【連載企画:かあちゃんが全部教えてくれたこと・・・4】 | What aわんだふるワールド

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がむばるベアーズ:マンセル、グラハムくんの奮闘日記。

さて、今回は第4弾となります。


連載企画:かあちゃんが全部教えてくれた事



ですが。

今回も文章のみの長い長い記事ですが、お付き合い頂ければと

存じます。



【病院選択で別れた運命について・・・】



かあちゃんの転院がはっきりして、毎週1回。

通院しながら、投薬治療を開始した。


ここで一つ、抗がん剤と何ぞや?


という事に少しだけでも触れなければならない。



まず、1つの抗がん剤を10としよう。


素人が思うに、この抗がん剤10を1回で全部打てれば、効くようにも

みえるが。そこはやっぱり素人だ!

いきなり10ある抗がん剤を10で打ったら、患者本人が持たないのだ。


抗がん剤とは、細胞分裂を止める作用のもの。


日々刻々と人間の細胞は、生まれは死に、生まれは死にと繰り返している。

それを、良い細胞も、悪い細胞も同時に止めてしまうから。

またそこが厄介なのだ。


副作用も同じ薬であっても人によりけりだ。

だからどれが一番有効なのか?

その妥協点を常に探らなければならない・・・。


そこで、10の抗がん剤を1にまで減量し。それを10週に渡って行い。

それを一つのローテーションとするのだ。

効き目は同じでも、体への負担がかなり違う。

それを、3カ月とか、6カ月とかでやっと1本打ちました。


という計算になる訳で。


抗がん剤の効果そのものを立証するには、少なくても半年先にならないと

分からないし。

その間も当然打ち続ける訳だが、本当に有効なのか?無効なのか?

長い間、まんじりともしない日々が続くのだ・・・。


そしてようやく、CT等の画像解析で拡大、縮小、現状維持などの状況が

見えて来るのだ。


先月に書いたように、患者それぞれに。どの抗がん剤が有効なのか?

無効なのか?

その検査を一切せずに、2年近くに渡って時間を浪費した事は、今になって

もそれは悔やんでも悔やみきれない。



だが、その時を同じくして。

かあちゃんの母親の兄弟の娘の孫。

ぶっちゃけ、遠い親戚筋という事にしておくが。


そこでも2人が乳癌に侵されている事が、後々になって分かった。


ちょっと義憤に絶えないのだが、かあちゃんが入院したり病気になった頃は、

バカみたいに人の家の状況を言い振り歩いていて、何の接点も無い人から、

お母さん大変だね。

って何回聞いたか分からないですよ。


その張本人が入院していたって、ダンマリ決め込むという。


他人の不幸を喜んでいるとしか思えない訳で・・・。



そんな孫娘の一人が、入院しているという。

しかも、もう危篤だというから・・・。どうしてもっと早く言わないの!?って

そりゃ~揉めました。

どこに入院しているって。


かあちゃんも通っていた、あの私立大学病院ですよ。



とっくに、課が閉鎖されているはずだったのに、まだやっている事に驚い

た訳だが。

駈けつけてみれば、苦しそうな表情をし。ベットに横たわっていた。

最後の言葉が、何でみんなに喋ったの?

だったそうです。


親戚のおじさん、おばさんを車に乗せて、往復送迎をさせてもらいながら、

あの病院への不信感をぶちまけてしまいました。


後になって知れば。

転院を勧められたそうなのだが、仕事もしているからというのもあるし。

他の病院でまた1からというのも・・・と、思ったようだし。

親しい先生がまだ残るという事で、お茶飲み相手にでも逢いに行くような?

そんな機運だったらしく。

その時も、家族の誰も何も言わなかったそうだ・・・。



実は、この方とかあちゃん。

ほぼ病状は同じくらいか、やや進攻が進んでいる状態だった訳だが。


この頃はまだかあちゃんの病状は安定と言っていいほどだが。

むしろ縮小傾向にもあった。

これは他でもなく、かあちゃんに見合った治療が行われたからでもあり。

各細胞検査が有効だった証でもある。


だが、私立大学病院では、そういった検査が行われていないから。

手さぐりで抗がん剤を撃ち続け、ホルモン療法など、知識の無い病院、

看板だけの見せかけ病院には、手を施す手段が無かったのだ。

これではっきりとした!


もちろん、治療費だって決して安くは無い!

お金も取られれば、命まで取られてしまいかねないあの病院。


ある意味では偶然と、間一髪のところでかあちゃんの危機を回避できた

のが、今では少しだけ親孝行できたのかなぁ~・・・。


と、思うようにしている。