人生の舵取りは自分でしよう | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

人生では、時に色々な事が降りかかって、収拾がつかない時もあります。

映画「タイタニック」の公開後一躍スーパースターの仲間入りをしたレオナルド・ディカプリオは「自分の人生の運転席に座ろう」つまり自分の人生は自分でコントロールしようと自分に言い聞かせたそうです。

同様に、長い歴史の中では運命の波に翻弄された生涯を送る人もいます。

マリー・ルイーズはハプスブルクの大皇女ですが、ごく平凡などちらかと言えば男性の庇護を必要とするタイプの女性です。

にも関わらず、過酷な運命は、愛と安らぎを求める彼女に人生の舵取りを余儀なくさせましたが、困難に打ち勝ち、潜在的に自分が持っている力を最大限に開花させた女性です。

彼女に関する資料は少なく、男性の視点で書かれた彼女は「ナポレオンに降嫁させられ、依存心が強く、宰相メッテルニヒからあてがわれた男性と生涯で3度の結婚をした」と言う説明のみで、自分の意思がない女性と言う印象です。

その為、私は長い事、彼らによって描かれたマリー・ルーズ像に興味も無く、「お姫様は結婚も悩まないのねぇ」位にしか思っていませんでした。←やっかみですが・・・。

思春期の彼女は幼くして母を亡くした為、ナポレオンが起した戦争から逃れる為、幼い兄弟や義母と共に祖国オーストリアを脱出しハンガリーやプラハ等を転々と逃廻る生活を余儀なくさせられました。しょぼん

ムムッ、この時点で彼女の見る目が変わってきました。

義母と言っても彼女よりたった4歳年上で病弱な女性の面倒を見ながらですから、どんなに心細くかった事でしょう。

そして惨めな逃亡生活を強いられている最中に、政治の駆引きとして戦争の当事者ナポレオンに嫁がされる事が決められたのです。叫び

良家の子女は親が決めた相手と結婚するのは当たり前です。先祖代々、従姉妹たちも、皆そうだったとは言え、そんな恐ろしい男と結婚しなくてはならないなんて・・・最初は彼女も抵抗しました。(そりゃ、そーだ)

一方ナポレオンも自分の跡目が欲しい。ついては家柄の良い女性に子供を産ませたいという、愛の無い結婚の始まりでした。が、次第に互いは惹かれあい深い愛情で繋がれていきます。

一人ぼっちで見知らぬ外国に嫁ぎ、心細い思いをしていた彼女は、愛情細やかに接してくれるナポレオンは頼りがいのある優しい男性として映り、ナポレオンは彼女の教養の高さと品格に魅かれていきます。(因みに年の差は親子程離れていたんですよ)ラブラブ

結婚生活は幸福でしたが、彼女はナポレオンが戦争ばかりしている事に心を痛めます。

戦争で離れ離れになる度、夫の無事を心配し、一方で、負傷兵や殺された兵士、逃げ回る家族の事、飢えに苦しむ人に、かつての自分の境遇を重ねては、つくづく戦争は嫌だ、早く平和な世の中になって欲しいと思うのです。

そして、連勝連敗のナポレオンにもとうとう命運が尽きる時がやってきます。

18才の時に祖国から売られる様にフランスに嫁がされたマリー・ルイーズは、今度は敵国となった祖国から、愛する夫と永遠に引離され、泣く泣く連れ戻されるのです。

帰国後、ウィーン会議によって彼女はパルマ公国の女王になる事が決定します。

ナポレオンとの間に生まれた息子とも引離され、首相に就任したナイペルク伯に伴われ、オーストリア領であるパルマのあるイタリアへ・・・。

ナポレオンが失脚すると、早々と夫を捨ててオーストリアに帰ったと言う説もありますが、ナポレオンを追って彼女もエルバ島に行こうとしたそうです。しかし、不穏な動きが残る中、再び戦争が起こることを懸念し、彼女には監視が付き、彼女とナポレオンの間で交わされた手紙は、殆どお互いの手に渡る事はなかったそうです。

そして、やっと彼女の手に渡った手紙は、中々エルバ島に来ないマリー・ルイーズに、ナポレオンは叱責するもの。かつての夫の怒りに怯えた彼女を励まし、危険が及ばない様に護衛についてくれたのがナイペル伯でした。

共に音楽への造詣が深い二人は、戦争で荒廃したパルマを建直す為に、力を合わせて内政を充実させ、経済復興の為に共通の趣味である音楽を通じてオペラ座を作るなど、彼女は統治者としても成長していきます。

メッテルニヒはナポレオンとの結婚の穴埋めとして、ナイペルクを派遣させた様ですが、やがて2人の間に子供も生まれ、極秘で結婚をするのです。ラブラブ

ナイペルク伯の死後、マリー・ルイーズはイタリアで蜂起する独立運動にも権力で弾圧せず、首謀者に恩赦を与えるなどして擁護しながら、しかし、毅然とした態度で首謀者達と向い合います。

そして、福祉や公共事業など内政に力を入れ、国母として絶対的な支持を得るようになります。ニコニコ

反ハプスブルクが強まる中、彼女の統治中、パルマだけは暴動もなく比較的穏やかでした。

圧力で統治するのではなく、女性らしく「手を差し伸べる政治」として、出来る限り困っている人達の力になろうと言うスタンスを貫くのです。

そしてナイペルク伯の死後3度目の結婚。夫となったボンベル伯とはお互いを思いやる穏やかで暖かい結婚生活であり、首相として女王マリー・ルイーゼを支え、協力して国民の援助に尽力したと言われています。ラブラブ

彼女の人生は、この上もない程、人生の荒波に翻弄された一生です。

18才で結婚をさせられた時は、幼さゆえに、内気な性格を克服する事も出来ず、常に保護を求める王家の娘らしからぬ姿勢だったかもしれません。

しかし、メッテルニヒを中心に祖国の政治の道具として翻弄される内に、母として女性として強く生きる自覚が生まれてきたのです。

メッテルニヒの思惑に従わず、ナイペルクとは愛人関係に終わらせず、純粋に自分を愛してくれた人への愛情と自分の意志で結婚を選ぶという人生の舵取りを始めたと思えます。

権力や地位、富を欲しがる男性と女性は違います。

彼女は私生活では、王族という立場より一人の女性として、野心や権力などは無縁な、ただ愛情と平和で心から安らげる場所を求め、自分が欲する物を得る事を彼女は決めたのだと思います。

周囲の噂や好奇の目に惑わされず、彼女は自分の人生のコントロールは自分で取る事を学び、選択したのだと思います。

現代を生きる私達は果たして自分の人生をちゃんと生きていますか?

周囲が結婚ラッシュだから、何歳迄に子供を産まないと大変だから、彼に頼った方が楽だし・・・一見自分の意志で決めている様に見えますが、周囲の目や習慣や他人の価値観に左右されて、いつの間にか自分の本心と違う生き方をしていないでしょうか?えっ

自分を幸せに出来るのは、他でもない貴方なのですよ。ニコニコ