先日の予算委員会において、細野議員が「生活保護家庭の子は大学行っちゃダメ問題」について質疑され、その際に言及していただきました島田と申します。その後、この問題に対する社会的関心の高まりを感じ、私個人として嬉しく思っております。

その一方で、生活保護家庭の大学進学についてその実情があまりよく知られていないのではないかという懸念も抱いております。この実情への理解の有無が、なんとかこの問題を解決しようとご尽力してくださっている方々とその他の方々との温度差のようなものに繋がってはいまいかと感じるのであります。そこで、生活保護世帯で育ち、現在東京で大学生活を送っている私の経験の記録がこの温度差のようなものを解消し、そして私の後輩を救う一助になればと思い、以下に記させていただきます。

 始める前に断っておきますと、以下の内容はあくまでその当時の私がどのように考えていたか、感じていたかについての率直な叙述でありまして、当時の私の誤解や勘違いのまま書かれている箇所があるかもしれません。

特に生活保護制度自体について、私が中高に在学していた6年の間にも細かな変更が多々あったようで、それらについては私が自分で調べた際の古い知識のまま高校卒業まで過ごしていたものもあるようですが、制度の変更が受給世帯にすぐには正確に伝わらないということそれ自体も問題の一端であると考え、これらについてはその当時の私が考えていたまま書かせていただきます。
 
進学を志すまで
 私が小学生の時、我が家はまだ生活保護世帯ではありませんでしたが、父親があまり家にお金を入れていなかったようで、基本的には母親が一人で家計を担っており生活は苦しかったと記憶しております。中学一年の時分、詳しい事情等は聞いていないのですが、住んでいた家を出なければならないこと、また両親が離婚することを突然告げられました。そしてこの時から生活保護を受給し始めました。

当時の私はまだ幼く、自分の置かれている状況をよくわかっておりませんでしたが、それでもこのような劇的な周囲の変化はいくらか堪えるものがありました。ですが、私の当時住んでいた地域では離婚だとか片親だとかはそれほどめずらしくなく、自分は特別かわいそうだというような認識はなかったように記憶しております。また、これも地域柄なのか、進学した地元の公立中学校にはいわゆる「不良」と呼ばれるような学生が多かったこともあり、私自身素行の良い方ではありませんでした。そのような周囲の状況もあって、中学卒業後の進路についてきちんと考えたことなんてなかったと思います。

そんな私に転機が訪れたのは、中学二年の冬、三年生になろうとしていた時期でした。友人に地元の小さな個人塾の体験授業に誘われ、冷やかしのつもりで行ったのが全ての始まりです。そこで受けた英語の授業で講師の先生が”be動詞”と言っているのを”B動詞”と言っているのだと勘違いし、私は「先生、B動詞とはなんですか?A動詞やC動詞もあるんですか?」と(鋭い質問のつもりで)聞いたのですが、とんでもないアホだと思われクラスの笑い者になってしまいました。幸か不幸か、反骨心というものを多分に有していた私の精神は、この屈辱を必ず晴らし、自分を笑った人間をことごとく見返してやるという形となりました。次の日、いやその日から私は猛勉強を始め、進学を志すこととなりました。

 ここまでの内容からわかりますように、生活環境も素行も悪かった私が勉強を始められたのは、全くの偶然であります。現状、生活保護世帯やその他経済的に恵まれていない少年少女には「希望」がありません。何かアクションを起こせば状況を変えられるかもしれない、そういう意識が最初から潰れてしまっています。これは後に述べるような進学に際しての障壁やそもそもの生活環境、周囲の環境の悪さによるのだと思います。必要以上に収縮した彼らの自尊心は、そうそう膨らむことはなく、私のように運良く前進の可能性を見出せる人間はわずかです。私の当時の友人がそうであったように、彼らが自分で思うより優秀であることを、私は知っています。
 
進学を目指して①
 猛勉強の甲斐あって、私の成績は改善し、県内の公立高校では一番の進学校に合格できました。高校合格後、勉強にハマっていた私は、新たな目標として東大を掲げました(この時はまだ、とりあえず東大を目標にして行けるとこまで行こうというくらいの短絡的な発想でした)。

しかし高校入学後、大学進学のため情報を集めている過程で、生活保護家庭は大学に進学できないということを知りました。同時に世帯分離をすれば進学できないことはないということも知りましたが、当時の私は「生活保護家庭の君は大学に行っちゃあダメだ」と言われているように感じ、一念発起してそれなりに勉強を頑張ってきたつもりの自分を全否定されている感じがしました。居ても立ってもいられず、生活保護から大学に進学した例、特に国公立大学に進学した例を探しましたが見つからず、代わりに生活保護家庭に対する否定的な意見ばかりが目につきました。私は、全世界が自分を否定しにかかっているような心持ちになりました。でもこれは良い傾向でした。私には反骨心があったからです。再び、私の精神は形を変え、今後数年間の方向を定めました。

 まずは進学後、完全に独立して生計を立てる必要がありました。そのためには、授業料、住居費、生活費をクリアしなければなりません。授業料は免除制度に頼るほかなく、住居は大学の寮に入れば安く抑えられるのではないかと考えました。生活費はバイトや奨学金で賄うとして、とりあえず学生支援機構の奨学金が借りられるくらいの成績を取ることにしました。

また、このとき私の一番の興味は勉強そのもので、将来は学問、特に理学を学び研究したいと思っておりましたから、大学院にも行きたいと考えており、そうなると貸与の奨学金だけでは将来的にきつくなるだろうというのは容易に想像できました。そのため給付型の奨学金を探し、条件の良いものを見つけたのですが、その奨学金は当時文系の難関大学限定でした。

こうなると、研究者になるという私の「夢」を実現でき、かつ生計を成り立たせることができるのは、授業料免除になりやすい国公立大学で、安い寮があり、かつ難関大学文系で理学の研究ができるところということになるわけですが、この無茶苦茶な条件を満たす大学は国内に一つだけ、東大でした。東大では大学三年からの専門の学部を選ぶことができ、一定の条件を満たせば文系でも理系の学部に進学することができるのです。こうして、最初に掲げたとりあえずの目標と、自分の「夢」から導かれたはっきりとした目標とがぴったりと結びつきました。高一の秋のことです。