久しぶりに町田康さんの記事を読みました。

今は、音楽活動はなさってないのでしょうかね。

マイクから鉛筆に持ち替えただけで

表現することにおいては一緒ですよね。

 

 

特段、町蔵さん時代の音楽を聴いていたわけではないのですが

(私はラフィン聴いてました)

カルチャー・クラブも前身はパンクバンドで

なんていうのか、

やっぱり誰でも何かに対する苛立ちってあるんだと思います。

 

 

理解されない、評価されない恨みだったり

必要とされない、求められない悔しさだったり・・・

 

 

そういったものをパンクだったり

その他の音楽や芸術、スポーツなんかで

表現する。

表現って内在するものを外へ出すことだから

スッキリしますよね。

健全ですよね、いきなり誰かを傷つけるよりは。

 

 

今は、いきなり傷つける。

見ず知らずの人にまで刃を向けるとか。

 

 

誰かを傷つけないで(もちろん自分も)

内在する苛立ちや不満を

昇華させて欲しいと思うし

自分もそうしたいと思います。

 

だから、芸術がありスポーツがあり

そして、パンクがある。

 

 

自分を振り返ってみても

中高時代は家庭が大変なことになっていて

三流ドラマのようでした。

出て行きたかったですが、自活できない中高生が

一般的には家を出て生きていけないですよ(そりゃ、超美人で

年齢を偽ってキャバ嬢→ナンバーワンとなり銀座のママになりました、

とかたまにおられますが)

でも、出て行かざるを得ない家で暮らさざるを得ない。

それは下手したら精神に異常をきたすことになりかねない。

でも、きっと、私はパンクで救われたのです。

30年経った今、ジョージやラフィンの存在がありがたく感じます。

しかも、今も現役でいてくれるんですから。