「アイの歌声を聴かせて」の謎が氷解すると号泣(ネタバレ有) | キュアな月に代わって鬼滅けて~プリキュア、鬼滅の刃、セーラームーン、旧車ミニカー等~

【各種伏線をコミック等で補う】

私は前も触れたように、SFモノやロボットモノのアニメは嫌い。だから当初、アニメ映画「アイの歌声を聴かせて」を観るつもりはなかった。しかしプリキュアを観るついでに観たところ、ジーンときた。が、その時、複数回観ようとは思わなかった。

 

それはラストの各種謎が氷解していくまでの各所の伏線が弱かったから。だから一回観た時点では、各種疑問を払拭できなかった。しかしコミカライズ等を見ることで、ストーリーの必然性や各種設定が納得でき、映画を2回目観た時は涙が溢れた。まさしくこの映画は今年屈指の感動劇場アニメ。

映画を1回観た時点で合点がいかなかった点は以下の通り。

(1)なぜ詩音は唐突に歌い始めたのか

当初、吉浦監督はこの映画を普通のアニメとして脚本を仕上げていた。しかし後日、アンドロイドである詩音の突飛な行動性を表現するための手段として、ミュージカル要素を取り入れることになり、脚本も変更された。

 

 

しかし詩音が「擬装転校」してきて最初の自己紹介で歌い始めるのは、あまりにも違和感がある。が、これには理由があった。詩音の「AI部分」が、サトミの幼少時に持っていたたまごっち型玩具だった頃、トウマに簡易AI型改造を施され、サトミの話すことや歌を、意識を持って記録することになる。

サトミは毎日のように、かぐや姫の西洋版とも言えるミュージカルアニメ「ムーンプリンセス」の主題歌や挿入歌を、友達に聞かせるかのように、たまごっち型玩具に歌って聞かせていた。

 

 

初代詩音とも言えるその玩具は、サトミが歌うことが好きだと認識していたんじゃないだろうか。そしてサトミは歌っている時は、楽しそうだった。だから転校生としてきた時、サトミを見つけると駆け寄り、歌い始めたんじゃないだろうか。

(2)なぜ詩音はサトミの幸せを願い続けたのか

詩音は転校してきて自己紹介をする前、サトミの元に駆け寄り、「幸せ?」と訊く。その後も頻繁にこの質問をサトミにする。これにも違和感があった。詩音のAI部がたまごっち型玩具から各種施設のコンピューターに意識的に移動し、サトミを見守り続けていたとしても、なぜそこまでサトミのことを気にかけているのか、疑問だった。

 

 

が、これはサトミの幼少時の家庭環境に起因するものだった。サトミの幼少時、両親は離婚している。母親は女手一つで育て、また、自分の仕事での「夢」を実現するため、仕事に没頭し、サトミの相手をしてあげる暇はあまりなかった。サトミはいつも家の中で一人ぼっち。ムーンプリンセスだけが寂しさを癒してくれた。それもあり、母はたまごっち型玩具を与えたんだろう。

少し記憶が曖昧だが、トウマは改造したたまごっち型玩具をサトミにあげる際、「これで寂しくないね」とか「幸せになってね」みたいなことを言っていたんじゃなかったか。だから詩音のAI部はたまごっち型玩具時代から、自分の使命はサトミを幸せにすること、と思っていたんじゃないだろうか。

 

 

(3)詩音のAI部がなぜ衛星に

映画のラスト、詩音のAI部はトウマによってアンドロイドから切り離され、人工衛星に向かって電波(?)となって飛ばされる。ここで、なぜ人工衛星なのか、どこの機関のどういう衛星なのか、少し疑問に感じた(映画の内容を忘れていただけかも)が、コミックを見ると、その衛星は詩音のアンドロイドを製作した会社によって製造された実証衛星「つきかげ」だった。

その役割は、宇宙空間に於けるデジタルデータの運用実証。詩音を製造した会社の衛星だから、詩音のAI電波もすんなり受け入れることができた、ということか。

また来週、観に行こうと思う。

 

 

ところで皆、この映画は人間とAIの関係を描いたもの、と思っていないだろうか。監督の以前の作品「イヴの時間」も人間とアンドロイドの関係性についてのものだったが、アンドロイドを人間の「他人」に置き換えた場合、「差別」がテーマになってくる。今回もAIを他のモノに置き換えると号泣度が倍増するが、それは今度。

この映画についてもっと深く知りたくなった、という方は次のバナーをクリックミー。