こんにちは。

こころカウンセラーのつばさです。

 

先日、

この秋に最愛のご家族が

天に召された方とお会いし、

お話をすることがありました。

 

ご家族が亡くなられた日の朝

普通に直接ことばを交わし、

その後間もなく逝かれたとのこと。

 

その悲しみは計り知れず、

今、様々な感情が

次々に訪れていることを、

語ってくれました。

 

そして、残されたご家族は、

混乱の中で

なんとか生きていらっしゃると。

 

わたしが弟を失くしたのも

ちょうど同じくらいの季節でしたから、

その直後にひかえていた

クリスマスシーズンやお正月の華やかさとの

あまりのギャップに苦しんだことを

昨日のように思い出します。

 

当時、

母と話していたのは、

こんなにも死ぬほどに悲しくて苦しいのに、

生きている私達は、

お腹が減れば食べるし、

夜になれば寝てしまうし、

トイレにも行く。

なんで?と思うよね、

ばかばかしいよね、

と。

 

私達は生きていかなければいけなくて、

その自然の営みも続けなければいけない。

 

「悲しみ」につける薬は

ないのかな?

あればなんでもいいからほしい。

 

と思っていました。

 

「悲しみ」につける薬は

ありませんでしたが、

ただ一つ、

「時薬(ときぐすり)」

というお薬があります。

 

病気からの回復の時に使う、

「薄紙を剥ぐように」

ということばが

当時のわたしには

一番しっくりきたのですが、

薄紙を剥ぐように、

ただ時が経つのを待ちながら、

毎日のことを淡々と続ける。

 

きつい山登りのように、

ただ自分の足元の、

その一歩一歩だけを見ながら。

 

毎日、

目が覚めて、

 

「そうかあの子はもういないのか。

 夢じゃなかったんだ。」

 

と気が付いた瞬間から、

悲しみが覆いつくして、

知らずに涙が出ている日々も、

その悲しみから、

気がそれる時、

気が紛れている時が

ほんの少しずつ増えていく、

そんなイメージでしょうか。

 

今はまだ、

「時薬」ということばすら、

聞きたくないという時、状態、

かもしれません。

 

「時薬」が癒すとか、

治すではなくて、

ただ、「時薬」が

悲しみに寄り添ってくれる。

そんな感じでしょうか。

 

それでも、

1日、1日、

1月、1月、

1年、1年と、

時が経つことが

慰めになることを

体感してきたので、

今日は書いてみました。

 

今日のこの記事を読まれた方の中には、

まさに悲しみの渦中にある方もいれば、

そうでない方もいらっしゃると思いますが、

このメッセージに込めた思いが

少しでも届いてくれたら幸いです。

 

あなたのこころと身体が

守られますように。

  




 

最後まで

読んでくださってありがとうございます。

 

越乃 つばさ