飄逸な料理店との出会い | premierスエマツナミのブログ

premierスエマツナミのブログ

ブログの説明を入力します。


ちょうどコロナの1年ほど前。

長年料理の仕事ばかりしてきた私は度重なる手術の後遺症に加えて腰を痛めたこともあり、勉強がてら今までほとんど触ったことのなかったパソコン作業など、パート時間でオフィスでの副業をはじめた。

コロナ以降はその副業が身を助け、料理の仕事はほとんど休んでいるが仕事に困ることはなく、むしろこちらの業界はコロナで仕事がたくさんあり、今ではこちらがメインになっている。
自然な成り行きで。
様々なオフィスを短期で渡り歩くのも、毎回新鮮な気持ちで働けるし何より社会勉強になる。

この働き方は今の私の体調に合っていて、休日は趣味に時間を費やしたり、今まで諦めていたことにチャレンジできたり、高齢になった母や義母のお世話をしたり、家はゆとりを持って整えられ、普通のことかもしれないが今までの私にすれば、考えられないほど日々穏やかに暮らしている。


 コロナの世界になる前の夏頃。
勤務先の近くに、衝撃的に美味しくてまるで異国へ来たような中華料理のお店があった。
お持ち帰りのから揚げ屋さんの店舗跡をそのまま飲食店に改装した、雑然とした小さな小さなお店。
入り口の上には前のから揚げ屋の看板が付いたままになっている。
店先や入口の両脇にメニューの写真が中国語でぎっしりと貼ってあり、どれが店名なのか分からない。
店内は無理やりに作られたような奥行の狭いカウンター席のみで、4、5人が座るといっぱいになる。





大きな目が印象的で、可愛らしいいつも笑顔の奥さんと、背が高く少しシャイで優しそうなご主人と、日本語堪能な頼もしい息子さんの、中国人の3人のご家族で営んでおられた。

 隣のビルの日本語学校に通う中国の学生さん達でいつもいっぱいで、中国語が飛び交い、まるで現地の屋台に来たようなお店。

日本人客は私くらいで浮いているなと思いながらも、日本語があまり通じないお店の方にお客の学生さんが通訳してくれたりと意外と居心地も良く、マニアックな料理の虜となり、休憩時間の楽しみにまた通ってしまう。

 料理はもちろんのこと、いつも優しく迎えてくださる奥さんと片言の日本語で交わす、ひとつ、ふたつの血が通う会話に癒されて元気をもらい、ますますハマっていった。


しばらくの間、店名はどれなのか難しい中国語が並んでいて分からないし、日本人が入っていいのか、いつも前を通りかかってはすごく気になりながらも、なかなか入る勇気がでずにいた。

因みにいまだに店名は分からない。

「飄香源」というお店だということは最近になって分かった。
読み方はよく分からないが、「飄」とは日本語では「つむじ風」と読むらしい。また、「飄逸」(ひょういつ)は世俗の煩わしさを気にせずのびのびしていること、だそう。
また、飄々(ひょうひょう)とした、とも読むらしい。知らなかった。

店名は分からないけど好きなお店、というところもなんとなく気に入っている。

 
いよいよ意を決してはじめて入った日。真夏の太陽が照り付ける休憩時間だった。

不安げに入口を覘く私を、奥さんが額の汗をぬぐいながら満面の笑顔で迎えてくれた。
壁中にびっしりと貼られたメニューの写真と中国語に圧倒されつつ、満を持して、かつ、恐る恐る唯一読める担々麵を注文した。すると奥さんは、
「担々麵ダメね!それ日本人食べる、中国ないよ!これいいよ!」と楽しそうに笑いながら自慢の麺料理をすすめた。
私も嬉しくなり、じゃあ、お願いします!と注文をした。

厨房から漂う現地的な強烈な香りに胃が刺激される。
「ハーイ」と、カウンターに置かれた料理を自分で取りに行く。

飾り気のない器に無造作に盛られた麺料理。
一口食べた瞬間の衝撃はいまだに忘れられない。
牛骨の旨味と、初めて口にする調味料と花椒と唐辛子が重なり合い、食材の持つ個性が広がっていく。日本人に全く合わせていない、ガツンとくるマニアックな味わい。

思わず半分立ち上がり、カウンターのお店の方に向かって親指を立て、世界共通の<いいね!>で思いっきり感動を伝えた。
言葉を越えて、お店のご夫婦も嬉しそうな表情で親指を立ててこちらへ向けてくれた。

以来、来店の度に「今日、これいいよ!」と、おすすめの料理を作ってくださるようになった。

麺料理の種類がたくさんあり、食べたことも見たこともない(私は)珍しいものばかりで、麺は全てお店で手作りされている。



豆腐を乾燥させて伸ばした平らな麺や、とうもろこしの麺、幅4㎝ほどの太い面、細いうどんのようだけどツルツルしたちぢれ麺、長さ5㎝ほどの先がとんがった短い麺など、いろいろな麺があり、スープは牛骨や鶏ガラなど、具材もさまざま。

味は一切日本人に合わせず、現地そのものといった感じ。
味わったことのない調味料や出汁や辛味に加え、惜しみなく使うニンニクで、かなりパンチが効いていてクセになる。ただし口臭剤は必須だ。

 餃子やお饅頭などの皮も全て手作り。
回鍋肉や青椒肉絲などの定番料理はもちろん、アヒルの頭や鶏の手の料理、せんまいの辛味和え、臭豆腐、ピータンのサラダなど、マニアックな料理もあれば、クレープ生地で包んだ中華なブリトーや、焼肉チャーハン、水餃子や小籠包など、食べやすい料理も揃っている。

この狭いキッチンでどうやって作っているのだろうと不思議に思うほどのメニューの多さだ。

 私が特に気に入っていたのはニンニクとナッツたっぷりのヨーポー麺と、冷麺と書いてあるけど常温の、甘辛いそぼろのソースを和えた麺料理。
実に美味しい。病みつきになる。

 時々食べている途中に、揚げたての鶏のスティック揚げを1本、手渡しでおすそ分けしてくれた。
これは地元のTVでも紹介された、このお店の名物料理。
中華風の調味料とスパイスをまとわせ、細長く切った鶏肉に細かいパン粉をまぶしてからりと香ばしく揚げたもの。
エビフライのような見た目の中華なジャンクフード。
ビールが飲みたくなるのをぐっと我慢する。

暑い日に暑い店内で熱々の旨辛い料理をいただき、お腹も心も満たされ心地の良い汗をかき、口臭剤を多めに飲み、クーラーのきき過ぎたオフィスでPCに向かってまた仕事をする。
誰にも教えたくないお店の、誰にも教えたくない私の密かな楽しみとなった。

 昨年の春先、勤務先が変わりこの中国料理屋さんへ行けなくなってしまった。
世の中にコロナのニュースが流れ出し、暗雲が垂れ込めている頃だった。

当初、中国の武漢市からコロナウイルスが広がったという話題で持ち切りで、今ではアジア人全体に対する差別が問題となっているが、その頃日本では中国人に対する風当たりが厳しくなっていた。

お店に行かなくなったのと世の中の状況が重なり、中国人の営むお店だから避けて来ないのかと思わせてしまっていたら申し訳ないと気になったり、大勢のお客の一人の私など気にも留めてないかと思い直してみたり、お客が離れてしまっているのではと心配になったり、どう過ごされているだろうか…ああだこうだと思いを巡らせているうちに緊急事態宣言が発令し、コンビニやスーパー以外のどこのお店もシャッターを下ろし、観光客どころか通勤する人も激減し、いつも人で溢れていた街は異常なまでに閑散としていった。

 街が少しづ賑わいを取り戻していったある日。久しぶりにあのお店を訪れた。
真っ暗な硝子扉の向こうは冷たく、人の気配は感じられなかった。
店先にひしめき合っていた料理の写真の看板もなくなり、閉店していることを受け入れざるを得なかった。

勤務先が変わることを伝えておけばよかった。遠回りしてでも行けばよかった。と、後悔した。

あんなに親切にしてくださったこと、いつも暑い厨房で汗を拭いながら美味しい料理を作ってくれたことにお礼を言いたかった。
みなさんお元気にされているだろうか。
まだ日本におられるだろうか。
時々またあの人の作る料理が食べたくなる。

再現は不可能だけど、失礼だけど、せめて調味料についてだけ質問しておけばよかった。

それからの私は、どこの中華屋さんへ行っても物足りなく感じるようになってしまった。

日本人に合わせた味付けとメニューのラインナップ。

私が求める刺激は辛いとか痺れだけの単純なものではないのだ。

私はあのお店の料理の無限ループに陥ってしまっていた。
だけどもう、あのお店はない。





 
先日、主人と買い物途中の昼食に中華が食べたくなり、近くに中華屋はないか検索してみた。

なかなか惹かれるお店がなかったがしばらく検索を続けてみると、〈飄香源 移転〉の文字が目に入った。

詳細の記載はなかったし、お店の名前がそれであっているかも不確かだったが、住所を見つけ、祈るような気持ちで向かった。

家から車で15分ほどの場所。
目の前には<飄香源>という分かりやすい大きな赤い看板。
屋台っぽさは微塵もなく、ちゃんとした立派な大衆中華屋さんの佇まい。
すっきりとした入口には、立て看板にメニューも分かりやすく記載されている。

あのお店にはなかった日本人っぽいランチのセットメニューがあり、担々麵が前面に押し出されているではないか。

あのお店で間違いないのか。
あのご家族はいらっしゃるのか。
不安がよぎる。

確信はないし、違うかもしれないという気持ちが強まったが、入口に下がる赤い中華ランタンをくぐり、恐る恐るその扉を開けた。

4人掛けのテーブルとイスが何席も並び、壁にはメニューの写真が美しく整列している。
整列しているが見覚えのある料理だった。



奥から「いらっしゃませー」と、中国語訛りのあいさつが聞こえ、厨房から出てきたのはあの、大好きな中国人の奥さんだった。変わらない笑顔だった。

2年ぶりに訪れた私にすぐに気付いてくださり、お互い思わず抱き合いたいところをぐっと堪え、言葉を超えて久々の再開を喜び合った。

みなさんとてもお元気そうで、あの小さなお店がこんなにも立派に大きくなり、感動と胸がいっぱいで泣きそうだった。

もう会えないと思っていたから余計に喜びが増す。
恐らくここに来るまで大変なご苦労があったことだろう。
日本に住み、お店を営むご家族に思いを巡らせる。

というのは、私がひとり勝手に心配し、ひとり勝手に感動しているだけで、店主たちは前々から計画的に準備をしていた可能性もあるし、余計なお世話だと思うかもしれないんだけど。

私は牛骨の麺のセットと、主人は満を持して、担々麵を注文した。
広々としたテーブルでゆっくり食べられることも感動的。
立派なメニューの日本語訳が、ぎこちない表記であるところを見ながらまた勝手にほっとした。






久しぶりの料理を、勝手に感慨深く味わいながらいただいていると、奥さんがもりもりと盛られたあの鶏のスティック揚げをひと皿、「サービスねー」と言って出してくださった。
そしてスマートフォンの翻訳アプリの画面で
「私を覚えてくれていてありがとう」と、メッセージを伝えてくださった。
そんなのこちらのセリフだよーと、また泣きそうになる。

あの頃は仕事の合間で飲めなかったビールを注文し、揚げたての鶏のスティックとの最高のマリアージュを、背徳感を感じながら運転する主人の承諾を得て昼間っから楽しませてもらった。

あー、なんて幸せなのだ。

またここへ通う楽しみが、これからの私の生活の一部に加わる、ということになる。

私はこの世の全てに感謝したいような気持になった。

食べることが私の至福の楽しみであるから。単純なもので。


お店の場所は、日本人学校が隣にあった博多駅のそばから、博多駅を南に下った山王公園近くのオフィスやマンションが建ち並ぶエリアへと移り、ある程度日本人に合わせざるを得ない場所にお店を構えられたので、日本人の好きな、日本人がイメージする中華麺料理「担々麵」を前面に押し出さざるを得なかったのだろうし、中には韓国料理まであり、清潔感のある店内で分かりやすいメニューに変えたのだろう。が、やはり滲み出るマニアックな感じ。

小さな店舗では出せなかった羊肉や牛肉の火鍋など、メニューも更に増えている。
しかし、朝鮮やモンゴルに近い中国の東北部・吉林省出身とおっしゃっていたので、羊肉や韓国料理があるのもごく自然なこと。


現在、福岡市は再三にわたる緊急事態宣言により外食は厳しい時世であるが、また落ち着いた頃には張りきって、お腹を空かせてあの笑顔に会いに伺いたいと思う。

その日を楽しみに。

感謝を込めて。