前回、“本質”とは、“不変で誰にでもある共通の基盤のようなモノ”と書きました。そして、私たち人間にもそのようなモノがあるとしたら、それが“本質”ということになります。それでは、一体全体、そんな“本質”と呼べるものがあるのでしょうか?

そのことを少し詳しく述べている記述がありますので、ご紹介したいと思います。

『インドの哲学者たちによりますと、全宇宙は二つの材料からできています。その一つを、彼らはアーカーシャと呼んでいます。それは遍在の、すべてのものに浸透している存在です。形を持ついっさいのもの、結合の結果であるいっさいのものは、このアーカーシャから展開したのです。空気に、液体に、固体になるのはアーカーシャです。太陽に、地球に、月に、星々に、彗星になるのはアーカーシャです。人間の体、動物の体、われわれが見るいっさいの形、感覚でとらえることのできるいっさいのもの、存在するいっさいのものはアーカーシャです。それは知覚することはできません。それは実に精妙なので、すべての普通の知覚の限界をこえています。それが粗大になったとき、形をとったときにはじめて、見ることができるようになるのです。創造のはじめには、このアーカーシャだけが存在します。この周期のおわりには、固体も液体も気体もすべてふたたびアーカーシャに溶け込み、次の創造のときに同じようにこのアーカーシャから出てくるのです。

何の力によってこのアーカーシャが、宇宙につくられるのでしょうか。プラーナの力によってです。アーカーシャがこの宇宙の無限、遍在の材料であるのと同様に、このプラーナは、無限かつ普遍的に現れているこの宇宙の力です。一つの周期のはじめとおわりには、すべてのものはアーカーシャとなり、宇宙間のすべての力はプラーナに還元します。次の周期には、われわれがエネルギーと呼ぶものすべては、われわれが力と呼ぶものすべては、このプラーナから展開するのです。動きとして現れているものはプラーナです。肉体の活動として、神経の流れとして、思いからもっとも低い力にいたるまで、いっさいはプラーナの現われにほかなりません。心のにせよ肉体のにせよ、宇宙のすべての力の総計は、それらの原始の状態に還元されるとき、プラーナと呼ばれます。「有も無もなかったとき、闇が闇をおおっていたとき、そのときには何が存在したか、そのアーカーシャが、動かないで存在した」プラーナの物理的な動きはとまっていましたが、それが存在することに変わりはありませんでした。一つの周期のおわりには、いままで宇宙に現れていたエネルギーは静まり、潜在的になります。次の周期のはじめに、それらは動き始め、アーカーシャに働きかけます。するとアーカーシャからこれらさまざまの形が展開し、アーカーシャが変化するにつれて、このプラーナも、これらすべてのエネルギーの現われに変化します。』(スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ著“ラージャ・ヨーガより)

このような考え方は、インドの古い哲学者たちの考え(サーンキャ哲学)ですが、ヨーガの基本的な考え方であるヴェーダンタ(ヴェーダの教え)に色濃く反映されています。

宇宙には、根源なるただ唯一なる存在が在るのみ、というのは、古くは、アドヴァイタ(不二一元)、最近では、ノン・デュアルティ(非二元)と呼ばれています。

この宇宙は、アーカーシャというダルマ(法)とプラーナという実在の力で出来ている、ということを、もっと簡単にわかりやすい例で譬えるならば、アーカーシャは、プログラムのような情報であり、プラーナは、プログラムを動かす、具現化する力を持ったエナジー、ということになるでしょう。

パソコンを動かすには、プログラムもそれを動かすエネルギー(電気)も必要です。そして、このことは、すべての存在に共通したことであり、それがそのモノとしてこの宇宙に存在するには、絶対不可欠な素材(要素)なのです。

それでは、この宇宙を在らしめている根源なるエネルギー(エナジー)とはどういうものか?というところに話を進めて行きたいと思います。

『真の治癒がもたらされるのは、プラーナによってであります。プラーナを制御したきよらかな人は、それをある種の振動状態にする力を持ち、その振動は他人につたえられて、彼らの内部におなじ振動をおこします。みなさんは、それを、日々の活動の中に見ておられます。私はみなさんにはなしています。何をしようとしているのでしょう。言ってみれば自分の心をある振動状態に持って行こうとしているのであって、それに成功すればするほどつよく、みなさんは私の言うことの影響をお受けになるでしょう。』

(スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ著“ラージャ・ヨーガより)

ナーナさんが、グループセッションや個人セッションで、“本質のエナジー”と言っているのは、プラーナのことであり、ナーナさんが放つエナジーは、他の人に伝わり、その人の内部に振動を起こし、その人を変容させます。このことは、ナーナさんのエナジーを受けた多くの人から、個人的体験が感想文として寄せられていて、その一部が、ナーナさんのブログに掲載されていますが、どれをとっても、身体に起きた変容、気持ちに起きた変容、意識に起きた変容についての報告です。これは、ナーナさんのエナジーが変容を起こすことが出来るパワーを秘めたエナジーである、という証拠でしょう。

この現象を更に詳しく述べるならば、ある振動が、他の者の内部に振動を起こすことを、“共鳴”と言います。ナーナさんから放たれるエナジーとは、他のモノの振動数を高めることが出来る振動状態になったプラーナのことだということがわかります。そして、このプラーナは、宇宙遍在のエナジーですから、私たちひとりひとりもこのプラーナなのですが、ただそのプラーナが高い振動状態になっていないのです。エネルギーは高い方から低い方へ流れます。そうやって、低い振動は、高い振動に共鳴していくので、ナーナさんのエナジーを受けると、ナーナさんの超微細振動に共鳴した私たちの内部の低い(粗い)振動のプラーナが活性化されていくのです。このエナジーの共鳴により、私たちの内部の粗い振動は、純粋で超微細な振動となっていく、という現象が起こるのです。そして、宇宙に遍在するエナジーは、この純粋で超微細なエナジー、プラーナなので、この共鳴現象を体験することで、私たちは、自分の“本質”が何なのか?を識り、そして、最終的には、自分が誰であるのか?何であるのか?を思い出すことになるのです。この直接体験を可能にするエナジー共鳴を起こすことが出来る“プラーナを制御したきよらかな人”は、世界でもそれほど多くはいないでしょう。いえ、むしろ、滅多にいない、と言えると思います。非二元を語る人は多くいるかもしれませんが、それを直接体験により識しめる力を持った存在が、どれほど稀有なことなのかは、ここで申し上げるまでもないでしょう。

変容させ得る力こそが、ホンモノです。

私たちは、目に見えない宇宙根源のエナジーを、共鳴によって起こる直接体験を通して、識っていくことが出来ます。それを起こすことができる存在は、もうすでに、存在の秘密に対する答えを得ているので、その答えそのものとなって、私たちを究極の答えに導くことが出来るのです。

私たちがすることといったら、本質のエナジーを認め、信じ、心を開いて、それに委ねるだけです。

それだけで、共鳴が起こり、私たちは、私とは誰なのか?何なのか?という究極の答え、存在の実相、この宇宙で唯一の実在に出会っていくことが出来るのです。

そして、自分が本当は誰であったのか?何であったのか?を身を以って識ることは、この宇宙に実在する唯一の存在を識ることにつながります。そして、個としての“我”が、“本当のわたし”(真我)を思い出すことを、覚醒、目覚め、悟りと呼んでいるのです。

真に覚醒状態にある人のみが、他の人を覚醒に導くことが出来ます。“それ”そのものになっている存在だけが、他の存在を“それ”に誘えるのです。

ナーナさんは、そのような存在であり、この地上で彼女のような存在に出会うことは、正に奇跡なのだと感じます。

最後に、直接体験のみが、唯一の答えである、というスワミ・ヴィヴェーカーナンダ著「ラージャ・ヨーガ」の一文をご紹介して、この長い文を終わりにしたいと思います。

『経験は、われわれが持つ唯一の教師です。たとえ一生涯しゃべって推理しても、それを自分で経験するまでは、われわれは真理のひとことをも、理解することはできないでしょう。人に数冊の書物をあたえただけでは、彼が外科医になることを期待するわけにはいかないのです。私に地図を見せるだけで、ある国を見たいという私の好奇心を満足させることはできません。私は実際に経験しなければならないのです。地図はわれわれの内部に、もっと安全な知識を得たいという好奇心をよびさますだけなのです。それ以上には何の価値も持ってはいません。書物にばかりしがみついていると、人間の心は堕落するだけです。神の知識のすべてがこの書物、またはあの書物の中にふくまれている、という宣言よりおそろしい冒涜があったでしょうか。神は無限であると言いながらどうしてあえて、彼を一冊の小さな書物の表紙の中などにおしこめようとするでしょうか!』

経験こそすべて!

ナーナさんは、共鳴により、“それ”を私たちに体験させてくれます。

このことにより、私たちの目覚めのプロセスは格段と進化し、スピードアップするのです。

         Y.Y.