修羅の道 | スコ猫くまきち日和+

修羅の道

電車に飛び込み自殺したくなる心理を30代男性語る
 電車の「人身事故」。これは飛び込み自殺か自殺未遂であることが多いが、これにより、ダイヤは乱れ、多くの利用者の足が止まることになる。..........≪続きを読む≫

※ この記事は長文です。写真じゃなく文字ばっかりです




昨年の春、わたしは取材に行く途中、人身事故車に乗り合わせてしまった。

田町から乗り込んだJR。

浜松町駅に到着するなというとき、ガッタンと電車が揺れた。

ボコンと揺れたといったほうがいいだろうか

その直前、同じ側の座席前方に座っていた女性が

「ひゃ~っ……」と、押えた悲鳴をあげた。

驚いてそちらを見た瞬間のボッコンだった。


そのまま駅にすべりこんだが、電車のドアは開かない。

何人かは見てしまったのか、携帯電話をみんなかけている。

「轢いちゃったよ、電車が……」

そんな声が聞こえてきた。

しばらくしてから車内放送が流れた。

「人身事故が発生しました。しばらくそのままでお待ちください」とか、なんとか……。


見てしまった、気づいてしまった1両目の乗客はみな、静かだった。

しかし、1両目より後ろの車両に乗っていた人たちが次々と1両目に移ってきて

運転者席の窓をたたいて抗議していた。

「急いでるんだよ。仕事なんだ。ドアをあけてくれ」

運転手さんが気の毒だった。

いちばんショックを受けているのはきっと運転手さんだろうから。



由比ヶ浜の夕日
人に迷惑をかけるとか、そんなことは飛び込む瞬間には考えなくなっている

と、アメーバニュースで自殺心理を語る男性は言っている。

うつ病とはそういうものだ、と。

自殺願望は発作的に起きる。発作的に飛び込んでしまう。

家族のことも、自分のしたことでどれだけの人に迷惑がかかるかなどということも

思い浮かぶ前に飛び込んでいる、と。


そうかもしれないなぁと思う。

そうかもしれないけれど……

そこで一歩踏みとどまる、動物的な、反射的な抑止力はないものだろうか?

残された家族は、理屈では、自殺は発作的とわかっても

なにかしら自殺者の自殺願望の責任の一端は自分にあるのではないかと、

自分自身を攻めてしまうそうだ。

そんな悲劇を少しでも減らす何か手だてはないものだろうか?



能
11月、わたしは生まれてはじめて能を見た。

出し物は『経政』

平清盛の甥にあたる経正は、琵琶の名手として知られ

その死後、琵琶の名器『青山』を手向けて供養をしていたところ

幽霊となって経政が現れ、なつかしげに琵琶を弾き、舞を舞う。

ところが、その途中で修羅の苦しみが襲ってくる。

経正は、修羅に苦しむ自分の姿を見られるのを恥じて、ろうそくを吹き消し姿を消す


ストーリーはそういったことらしい。

初心者向けのもので、そのあと詳しく解説をしてもらった。

経正が座ると、

それは姿が見えなくなっているということだ、というような

能の決まりごとは面白かった。

なかでもいちばん心に残ったのは、経正が苦しんだ修羅道のことだ。

ドロドロの恋愛に苦しむ人がよく「修羅」という言葉を使ったりするけれど

本当の意味は知らなかった。


修羅道とは、現世で犯した罪により

自分が死ぬ瞬間の苦しみを繰り返し繰り返し体験する道なのだそうだ。

1日に何度も(6回だったかな? もっとかな)体験しなければならない苦験だという。

経正の場合は、かつては琵琶などを奏でる才能豊かな人だったが

戦で数多くの人を殺した罪があった。

戦だから仕方がなかったという言い訳は通用しない。

挙句、自分自身も敵の刃にかかって命を落とすのだが、

その瞬間の苦しみを、痛みを、恐怖を、死んでからも繰り返し繰り返し、日に何度も味わう。

それが修羅道だという。

後悔しても、もう二度と罪は冒しませんといっても、手遅れなのだ。

その後悔とともに、現世で最悪の苦悩を味わい続ける道しかないという。


ゾッとした。

昔の人は、恐ろしいことを考えるものだなと思った。

と、同時に、そういう話をして聞かせることで

人間の罪への恐怖をあおり、

人を殺してはいけない、殺してしまえば自分が死んでから永遠に苦しみ続けるのだと

脳裏にすりこんだのではないか思った。

すりこまれた人は、何か罪を犯すとき、条件反射で罪の意識を感じるようになるだろう。

人間の本当の恐ろしさを、罪深さを、昔の人は本当によく知っていたのだなと思った。


自殺は罪である。

電車に飛び込むのは発作的かもしれないが

飛び込んで死んでしまったら

死んでからも永遠に、飛び込んで引き裂かれて、

体がズタズタにひきちぎられるその瞬間の苦痛を繰り返し繰り返し味あわなくてはならない。

おそろしいね。死んで楽になるなんて大嘘だね


もちろん事故で亡くなった人は違うよ。

罪を犯さなかった人は天国へいくのだから

修羅は、地獄へ落ちた人の死後の世界だ。

だから、日頃から罪を侵してはいけない、ということにもなる。

死ぬときは、たとえ不慮の事故にまきこまれた不幸なものであったとしても

それ以前に罪を冒していれば、地獄へ落ちて修羅の道を歩くことになる。

その修羅は、いちばん苦しかった最後の瞬間の繰り返しかもしれないのだ。


科学の進歩とともに、地獄だの天国だの

ペットの場合は虹の橋だの

そういうことを考えることじたい非科学的だと退けられてきた一方で

霊の世界が信じられ、ブームにまでなっている。

助かること、救われることばかりが喧伝されるなかで、忘れられているのは

脅すことかなという気もした。

罪を犯すと地獄へ落ちる。修羅の道が待っている。

怖いよ。苦しいよ。つらいよ。


修羅に落ちるのは、人間だけだ。

動物はそういう罪を犯さない。

アートだといって、犬を殺した人にもまた、修羅の道が待っていることだろう。

そういう恐怖心を、人間は持つべきだ。

大人は子供に教えるべきだ。

経政を見て、説明を聞いて、わたしはそう強く思っていた。



なかなか書く機会がなかったけれども、ようやく書けてホッとしている。

ずっとずっと、なぜだか気になっていた。

意味もなく、気がかりだった。

誰かにささやかれていたのかもしれない。

早く教えてあげなきゃダメだ、と。


読んでくれてありがとう。

キモチが暗くなっちゃったかな

最後は、くまきちに免じて許してね。


※経政(経正)については、こちらを参考にしました。




怖かった? ごめんね、ぷれこヒドイよね

ひどく脅かしちゃったよね。ごめんよ。

ほのぼのまったりを目指すくまきち日和なのに、さ




安心して。キミは大丈夫だから

だけど、ボクを好きなキミは大丈夫。修羅の道になんか落ちないよ

落ちないだろ? ボクはキミを信じてる


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