今日明日二日間、
婆と二人の生活、 今日は婆はデイで、昼間は一人。
現役時代には、「出来ない」=やらないに苦しめられ、
専属介護人になった当初は、出来るに苦しめられ、
婆は、落ち着いて穏やかに過ごしていて、
出来ること出来ないことの混乱は有るものの、
「出来ない」という事が、「手伝って上げる」と言うことで、
まだまだ出来ることもあり、
逆に「出来る」といっても、出来ないことが多くなってきました。
現役時代に「出来ない」と言っていた方は、
① CADや、機械操作には詳しいけれど、
製品についての知識が薄い方。
この方たちは、製品についての助言や、提案を受け入れ
それなりに対応してくれた方。
一方で、
② 機械操作は超ベテラン、成否についての知識もマアマア
若い方より、むしろ少し年配で機械操作に絶対の自信を持っている方は、
柔軟性がなく、自分が「出来ない」と言ったら絶対に「出来ない」といって譲らず、
品質も納期も一切関係ない。
そんな方が多く見受けられました。
事実上、生産管理から品質管理まで一切の責任を負わせられるような立場で、
憎まれ者になり、随分無理をしてきました。
そして今、認知症介護について専門家と言われる方々の意見を、
ネットなどで見ていると、
大抵の場合、
「出来ることを維持しましょう」
「認知症の方の人としての尊厳を大切にしましょう」
ですよね。
でもね、そうした一ククリの言葉でいいのでしょうか?
「出来ることを維持しましょう」ですが、
確かに「出来ることを維持する」事は大切です。
しかし、認知症の人が思っている「出来ること」
本当に「出来ること」と、
本当は「出来ないこと」なのにそう思っていることもあります。
そして、「出来ること」の中にも、
介護者にとって非常に負担になることだってあります。
例えば食後の洗い物、
油汚れや、酷い汚れがあっても、水を流しっぱなしにして、
時にお皿など割ってしまっても、
「出来ること」だから、介護者が我慢して、
後で全部洗い直せばいいって・・・・・
これって違うと思うんですよ。
他にもそうした事が一杯有りますよね。
介護者が耐えられない様な負担に感受る事は、
取り上げるようにしたっていいと思うんですよ。
「人としての尊厳」でも同じですよ。
介護者も人ですよ、尊厳もありますよ。
認知症の人は妥協したり、
人の気持ちを察したり出来なくなって来るのけれど、
以外と分っていることも多いんだから、
介護者が自分の出来る範囲で妥協して、
如何にして不安を取り除いて安心感を持たせるかが、
一番重要で大切なんじゃないでしょうか。
安心感が生まれると、意外と状態が維持できるんじゃないでしょうか。
介護状況や関係で考え方も違うかもしれないけれど・・・・
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