高校時代の先生から写真をいただいた。
私は10代の頃、写真を取られることが嫌いで、
あまり写真が残っていない。
いただいた写真も撮られていることに
気付いていないものだった。
通っていた学校は、幾つかの山や牧場を持ち、
教育の場として生徒が作業の一部を任されていた。
写真は、4mほどの杉の丸太を3人で担ぎ、
山の上から降ろす作業が写されていた。
覚えていることは、雨水を含んだ丸太は
驚くほど重く、ぬかるんだ山道を運ぶ作業は、
翌日、血便が出るほどの重労働だったことだ。
何を習っていたのだろう。
ただ働き、いや月謝を払って働かされていたのか。
もっとも月謝は親が払ってくれていたのだが。
運びながら数学の公式を教わったわけでもなく、
英単語を覚えたわけでもない。
40人の高校生と教師が山小屋に籠り、
火を起こして飯を炊き、五右衛門風呂に入る
自炊生活をしながら、早朝から日が暮れるまで、
植林地で重労働を行っていた。
後輩(後世)の椅子や机の木材を残していく。
仲間と理解し協力し合い、足並みを揃えて、
1つ1つ困難や課題を乗り越えていく。
当時、その労働価値について話は聞かされなかった。
聞かされたとしても理解できなかったと思うが。
『こういうことか』と今になってやっと答え合わせ。
それが、今の仕事に活きているだろうか。
あれが人間教育だったのだろうか。
その答えまでは、まだ行きついていない。
今、言えることは、
人や社会の役に立とう、という意志のある仕事こそ、
人間や組織を育ててくれるのだと思う。
それは芽を吹き、花を咲かせ、実を付けるだろう。
私の仕事は、ようやく芽が吹いたばかり。
これから幾多の丸太を担ぐことになるのだろう。
ぬかるんだ山道の中でバランスを取りながら、
一歩ずつ、だが着実に歩んで行きたい。
その先に、今はまだ解らない
新たな答えが待っていることを信じて。
私は10代の頃、写真を取られることが嫌いで、
あまり写真が残っていない。
いただいた写真も撮られていることに
気付いていないものだった。
通っていた学校は、幾つかの山や牧場を持ち、
教育の場として生徒が作業の一部を任されていた。
写真は、4mほどの杉の丸太を3人で担ぎ、
山の上から降ろす作業が写されていた。
覚えていることは、雨水を含んだ丸太は
驚くほど重く、ぬかるんだ山道を運ぶ作業は、
翌日、血便が出るほどの重労働だったことだ。
何を習っていたのだろう。
ただ働き、いや月謝を払って働かされていたのか。
もっとも月謝は親が払ってくれていたのだが。
運びながら数学の公式を教わったわけでもなく、
英単語を覚えたわけでもない。
40人の高校生と教師が山小屋に籠り、
火を起こして飯を炊き、五右衛門風呂に入る
自炊生活をしながら、早朝から日が暮れるまで、
植林地で重労働を行っていた。
後輩(後世)の椅子や机の木材を残していく。
仲間と理解し協力し合い、足並みを揃えて、
1つ1つ困難や課題を乗り越えていく。
当時、その労働価値について話は聞かされなかった。
聞かされたとしても理解できなかったと思うが。
『こういうことか』と今になってやっと答え合わせ。
それが、今の仕事に活きているだろうか。
あれが人間教育だったのだろうか。
その答えまでは、まだ行きついていない。
今、言えることは、
人や社会の役に立とう、という意志のある仕事こそ、
人間や組織を育ててくれるのだと思う。
それは芽を吹き、花を咲かせ、実を付けるだろう。
私の仕事は、ようやく芽が吹いたばかり。
これから幾多の丸太を担ぐことになるのだろう。
ぬかるんだ山道の中でバランスを取りながら、
一歩ずつ、だが着実に歩んで行きたい。
その先に、今はまだ解らない
新たな答えが待っていることを信じて。