おめでとう・・そして、さようなら
その日の優子さんはいつもと違っていた。
いつもの饒舌な優子さんとはうって変わって
カウンターのいつもの席で、じっとうつむいている。
私が話しかけても
「うん、大丈夫。」
そういうだけだ。
オーダーもとくにはないという。
いや・・・うちはBarなのだが。
お客様もそろそろ引け始めた午前2時ごろ
おもむろに優子さんは話し始めた。
「マスター・・あのね。
あたし・・・結婚するんだ。」
えっ・・その瞬間、あたしの手から
リーデルのグラスが滑り落ちた・・・。
お店の中には、私の心が砕け散る音を
かき消すかのように・・グラスの割れる音が
響いた。
そういった瞬間、優子さんの大きな目からは
大粒の涙が零れ落ちた。
冷静に・・冷静に・・・
そう言い聞かせて・・。
「なんで泣くんです?そんなおめでたい話をしているのに?」
「そうだよね・・ホントはそうなんだけど・・。」
震える私の手は、何をしていいのかもわからず
ただ、割れたグラスをあつめることに精一杯で・・。
来るべきときがきた・・いつかはそんな日が来ると思っていたけど
そんな日がついに・・・・。
「あのね、彼・・今度ロンドンに転勤するんだって・・。
それで、一緒に来てくれないかって。
そのときはうれしくて、『うん』って言っちゃったけど
それって、もうここにはこれないってことだよね。
マスターに愚痴いったり、相談したりできないってことだよね。」
そう言い終わると同時に優子さんは大きな声で泣き出し始めた。
何もできない・・・何もしてあげられない。
抱きしめることも・・・いや手を触れることも許されない
そんな二人の関係・・・
私は思いっきり笑顔を作って・・
「お祝いしましょう。このスパーク 最高においしいですよ。」
そう言って私は「クレマン・ド・リムー ブリュット・レ・グレヌム[2006]」
をグラスに注いだ。少しだけ、ほんの少しだけ私の涙もあわせて。
「これからは、彼がちゃんと愚痴も相談も引き受けてくれますよ。
だって、家族なんですから・・・。」
自分のいったい一言の重さが心に沁みた。
少し落ち着いた優子さんは、そっと席を立ち、入り口で深く頭を下げると
家路に着かれた・・どうやら外には彼がまっていたようだった。
うなだれた私の心はどこに行けばいいのだろう。
これからは、何を支えに生きればいいのだろう??
私の恋は今・・・完全に終止符をうった。
おめでとう・・・そしてさようなら。
グラスに残ったワインと、優子さんの誕生年1973の曲に身をゆだね
生きるということを深くかみ締める・・・
少し・・ほんの少しだけ 死にたくなった。
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