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倭の国、聖俗つれづれ

普通の会社員でも無視できなくなってきた、日常生活におけるスピリチュアル・神秘主義あれこれ

日本は現在貧しいのか。

そもそも「貧しい」ってどういう状況でしょう。


たとえば第二次世界大戦直後。

日本は本当に貧しかったと思います。
私の父親は1941年、母親は1942年生まれです。

両親や祖父母から聞いた当時の話を思い出すと、物がない大変な時代であったことがよくわかります。
 

食べ物を買いに行こうにも物がないので、仕方なく祖父母は庭先で野菜を育てていた。そしてその野菜を盗まれることもたびたびあったそうです。

終戦直後はまだ大阪の淀川も綺麗だったので、父親とその姉は淀川の河口付近にしじみを取りに行って、子供たちも食料調達のお手伝い。

お金などあったって何も意味がない。

十分な食事を摂れなくて、瘦せ細った「欠食児童」なんて言葉もあった。


大阪では(多分東京やその他の都市でも同じだったでしょう)あちこち焼け野原で、多くの人はまともな家に住めない。

祖父は住友グループで働いていたのですが、会社が旧住友病院の建物の部屋を分割して、社員に社宅として提供しており、戦後直後はそこに住んでいたということです。

 

学校では教科書やその他教材も、多くの子供たちは兄・姉の使用していたお下がりを使用。洋服もお下がり。かばん類も兄・姉の使用していたものの使いまわし。

 

「ここまで極端な状態と比べたらそりゃ豊かもしれないけど…」という人もいるでしょう。

でも今の日本で街中にホームレスが溢れかえっているかというと、そこまでではないように思います。
食うや食わずで学校に欠食児童が溢れている訳でもなさそうです。

 

うちの甥っ子は来年から小学校に入ります。

妹夫婦は先日ランドセルを選びに行ったそうですが、男の子なんてどうせ手荒な扱いをするだろうし、本革は重いしということで、合皮のランドセルを注文したそうです。本革に比べると少し安かったそうですが、それでも6万何千円か。

 

うちの妹夫婦は共働きをして堅実な生活をしているので、お金に困っている訳ではありませんが、決してお金持ちではありません。

 

しかし多くの親が6万も10万もするランドセルを購入でき、学校に入ればタブレットを使って授業と聞くと、何か貧しいかなあ…と。

 

多くの欧米の国々では日本よりもずっと高額な給料をもらっていますが、当然ながら物価も相応に高い。

ニューヨークでは卵1パック600円以上します。

ロンドンでワンルームの部屋を借りようと思ったら、月20万円は必要でしょう。

 

インフレ率ほど給与レベルが上がっていないのはこれらの国々も同じで、イギリスでも生活が大変らしく、こちらの新聞によると、イギリス人の2/3が1980~2000年代の方が生活は良かったと考えており、当時の方が未来に対して前向きな展望を持てていたといいます。(逆に今の方が未来に対して悲観的ということ)

 

格差社会と言われますが、欧米も含め諸外国の方が格差はもっとひどいです。

 

インドなどもとんでもないお金持ちがいる一方で、貧しい人はとことん貧しく、基本的な生活インフラの整備も十分ではない状態で生活している人も多くいて、格差社会どころではない貧富の差が歴然と存在します。(私は2019年にインドを訪れ、外国人向けのホテルではなく田舎町のお寺に宿泊しましたが、シャワーで髪の毛を洗えば洗うほど何か黒い物が付着してきて、閉口しました)

 

とはいえ、私は外国と比べて日本はマシだという話をしたいのではありません。

他国にもそれぞれの問題があるので、比較しても意味がなく、今後、希望の持てる日本を構築する為のソリューションは見えてこないと言いたいのです。

 

前回、バブル期のお話を書きました。

老いも若きもこぞってお金を消費していたのは、どちらかというと将来にまで期待できる安定収入と、マスコミによって煽られた「氣分」によるものだというのも、前回書いた通りです。

 

現行の資本主義経済システムでは、みんなが次々とものを買ってくれないと、経済は回らない。

それゆえ「経済の好循環の拡大には消費の拡大が不可欠」などと言われたりするわけですが、さて、今の日本で皆さんそんなに物欲ってあるのでしょうか。

 

たとえお金があったとしても、高級ブランドの衣料品や高級車を欲しがる人は、もはやバブル期のようにはたくさんいないような気がします。

 

その他の日用品や、旅行やレジャーはどうでしょう。

これも、誰も彼もが高級旅館やホテルに泊まりたいとは思ってはいないと思います。

日用品だって、誰しも必要な物はそれなりに揃っているのではないでしょうか。

 

洗濯機、冷蔵庫、掃除機。

だいたいどこの家にもあると思います。

テレビなんて「見ないから要らない」と、自主的に持っていない人もいます。

電子レンジも、私の周りでは「体に悪いから使わない」「持たない」という人がちょこちょこいます。

 

私自身、以前使っていたコーヒーメーカーが壊れた後は、ハンドドリップに切り替えて新しいコーヒーメーカーは買っていません。

ご飯も鍋で炊くので、炊飯器もありません。

 

家電にしろその他デジタル電子機器にしろ、これ以上特に欲しいと思う機能もない。

新たなモデルを開発しようにも、特に足りないものはなさそうで、だからスマホもせいぜいカメラ関連の機能とデータ処理の速さと容量を足すくらいしかできない。

 

結局現在の「勝ち組」企業は、無理やり需要を作り出すことに成功した企業ということになっていないでしょうか。

 

日本がDXで遅れを取っていると言われます。

確かに製造等の現場では、人口が少なくなっていくことを見越してある程度の自動化は必要でしょう。

しかしMaaSとか自動運転とか、要りますかね?

5Gとか、別になくても良くないですか?


必要な物の種類も機能も十分で、私たちの基本的な物欲はほぼ満たされていると言って良さそうです。

しかし同時に社会問題がないわけではない。

このままでは多くの国民にとって、老後の不安、若くても生活への不安があり、とても幸せで満たされた生活をしているとは言えないからです。

 

今、私たちはこの資本主義経済の考え方をいったん置いておいて、経済学ではなく、「自分がどのような社会を望むのか」を改めて考えないといけない時期に来ていると思います。

 

そのソリューションは、エラい政治家先生や経済学の専門家によっては導き出されません。

 

私たち自身がどのような社会を作りたいのかを考えないといけないのです。
で、そのヒントとなる動画の内容を次回、紹介したいと思います。