なぜプロテスタント教会が必要なのか?(対ローマ・カトリック教会)

 「教会は聖書と教義の誤りのない解釈者である」。

 この決議はローマ・カトリック教会において1545年のトリエント公会議でなされました。

 一言で言うと、聖書よりも教会に権威があるということです!

 皆さんはこれを受け入れられるでしょうか?

カトリック1

 つまり、ローマ・カトリック教会の主張によれば、教会は聖書の存在する前から存在しており、教会自らがキリストや内住の神の霊を通して存在する無謬の団体であり、聖書を神のことばであると認証できる唯一の団体であるというのです。

 言い換えると、教会は聖書が無くても存在することができるが、聖書は教会なしには存在しないということなのです。

 ですから、聖書が不完全なので、使徒たちの口伝や教会の伝承が絶対的に必要であると主張し、さらに66巻の聖書に7巻の外典を付け加え、合わせて73巻を正典として認めているのです。

ティンデル
ルター

 宗教改革者たちが命がけで聖書の完全性を強力に主張し、プロテスタント教会が誕生した意味がここにあります。

 プロテスタント教会は聖書こそが最高の権威であると主張します!

 なぜなら、聖書自身がこう言っているからです。

 「聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです」(第二ペテロ1:20~21)。

 さらに、ローマ・カトリック教会はローマ教皇の無謬を1870年の第一次ヴァチカン公会議において可決しました。

 ローマ教皇は1つとして過ちを犯さず、罪がないという意味です。

 しかし、聖書はひとりとして正しい人はおらず、すべての人が罪人であると言っています。

聖書

「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない・・・すべての人は、罪を犯した」と(ローマ3:10~12、23)。

 新約時代において最大の神学者であり、最大の伝道者であるパウロはこう言っています。

パウロ

「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです」(第一テモテ1:15)

 日々、聖なる主と交わる者は自分がどのようなものであるのかを次第に悟らされます。

 パウロも初期のころは「使徒の中では最も小さい者」(第一コリント15:9)と言っていましたが、

 やがて「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私」(エペソ3:8)であることを認め、ついには「罪人のかしら=どんな人よりも罪深い者」(第一テモテ1:15)と告白するに至ります。

 聖書に権威を置くか、教会に権威を置くかをはっきりさせることは本当に重要なことです。

 このように大きな差となって現われて来るからです!

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(第二テモテ3:16-17)

「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです」(マタイ7:24-25)

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