思春期になり色気づいた1977年、ブラウン管から流れてきた
資生堂春のキャンペーンのCM曲が琴線に触れる。
CM中のテロップには「マイピュアレディー/尾崎亜美」と出ていた。
CMに起用されたモデルは小林麻美さんだったし
その時点で僕は尾崎亜美さんを知らなかった。
マイピュアレディーが琴線に触れた僕はレコード店に走る。
手に入れたレコードジャケットの尾崎亜美さんを見て
顔はタイプじゃないと思ったのだが(笑)
マイピュアレディーリリース翌年1978年、またしても
資生堂春のキャンペーンソングが琴線に触れる。
「春の予感ーI ve been mellow」は南沙織さんが歌ってたが
歌番組で見たシンシアが歌ってるテロップには
作詞・作曲 尾崎亜美と出ていた。
尾崎亜美さんって良い曲作るな~って思った。
春の予感がリリースされた数か月後、同年にペドロ&カプリシャスを
脱退した高橋真梨子さんがソロデビューを飾った。
高橋真梨子さんは「あなたの空を翔びたい」という曲で
ソロデビューしたが歌番組で歌う時のテロップには
またしても作詞・作曲 尾崎亜美と出ていた。
あなたの空を翔びたいリリース同月、杏里という名前の
シンガーが「オリビアを聴きながら」という曲でデビューした。
オリビアを聴きながらは琴線に触れたが歌番組で歌う時の
テロップにはまたしても作詞・作曲 尾崎亜美と出ていた。
尾崎亜美さんは8歳でクラシック・ピアノを習い始め
16歳頃からポップミュージックに興味を持ち
アマチュアのサークルに参加、作詞作曲をするようになったそうだ。
1976年、シングル「冥想」で東芝EMIよりデビュー。
ポスト・ユーミンの最右翼と呼ばれるようになる。
ユーミンとはデビュー時から現在まで40年以上の交流があり
実の妹のように可愛がられているそうだ。
1985年には松田聖子さんに「天使のウィンク」「ボーイの季節」を
続けざまに楽曲提供、これらの曲も良い曲だった。
今日は尾崎亜美さんの記事なのでYouTubeは楽曲提供された
アーティストじゃなくご本人のセルフカバーの映像を使ったが
当時はシンガーソングライターの側面より他のアーティストへの
楽曲提供を多数手掛ける作家のイメージの方が強かったように思う。
しかし尾崎亜美さんも昭和歌謡史を彩った天才だったと思う。
ジャンジャン!