噂のベイ・シティー・ローラーズ | PRAINSのブログ

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赤ヘル軍団に生まれ変わった広島東洋カープが

悲願の初優勝を達成した1975年(昭和50年)

当時小学校6年生だった僕たち男子の話題はカープ一色だった

 

しかし女子はカープよりも話題になってた物があった

学校に芸能雑誌の平凡や明星を持ち込み何やらキャーキャー騒いでる

 

「やっぱり、山本浩二は凄いのぉ~」

「いやいや衣笠も負けとらんでぇ~」

 

と、クラスメイトとカープ談義をしてるとクラスの女子の話声が耳に入る

何やら横文字の名前を連呼する声がする

 

 

Bye Bye Baby / Bay City Rollers 1975

 

「レスリー、カッコいい!」

「エリック、カワイイ~!」

 

「おい、レスリーじゃー、エリックじゃ言うのは誰な~?」

「まさかプロレスラーでもなかろうが?」 (爆!)

 

それらが女子の間で大人気になってた「ベイ・シティー・ローラーズ」だと

知るのにさして時間はかからなかった

 

 

イギリス・スコットランド出身のポップロックバンド、BCR

ボーカルのレスリー・マッコーエン、リードギターのエリック・フォークナー

サイドギターのスチュアート・ウッディ・ウッド、ベースのアラン・ロングミュアー

ドラムのデレク・ロングミュアーという、当時は5人編成のバンドだった

 

翌1976年(昭和51年)に中学に入学した頃には人気は益々ヒートアップ

その頃、僕ら男子はスーパーカーブームになってスーパーカーに夢中だった

 

しかし、ベイ・シティー・ローラーズ人気は無視出来ない程になり

クラスの女子にベイ・シティー・ローラーズのアルバムをコッソリ借りて聴いてみた

そのアルバムのタイトルがズバリ「噂のベイ・シティー・ローラーズ」だった (笑)

 

 

この年はピンク・レディーがデビューして瞬く間に大人気になった

男子はスーパーカーブームに加えピンク・レディー、更には

嗚呼!花の応援団が人気になり映画主題歌を歌ったミス花子も人気だった

 

個人的には、オリビア・ニュートン・ジョンが大好きだったし

夏に開催されたモントリオールオリンピックで一躍スターになった

ルーマニア体操女子代表の、ナディア・コマネチも好きだった

 

しかし思春期に入った時代という事でベイ・シティー・ローラーズ人気も無視出来ない

女子への好感度を狙ってすぐさまタータンチェックのBDとマフラーを買いに走った (笑)

 

今でも手元にベイ・シティー・ローラーズのCDがあるので時々聴くが

子供から思春期へと階段を上った小6から中1の頃を思い出す

あれから45年の時が過ぎたのだが・・・ (笑)

 

ジャンジャン!!