日本が戦後の復興を世界にアピールした大阪万博の翌年
1971年(昭和46年)に開園した豊栄交通公園
僕らの世代の呉人は阿賀の交通公園と言ってたが
正式名称は豊栄交通公園だった
写真は1992年(平成4年)頃の豊栄交通公園だが
まだ幼かったウチの息子たちを遊ばせに連れて行った時の物
交通公園は休山トンネル建設に伴い2000年(平成12年)に
阿賀小学校の移転先になり29年間に亘る営業の歴史の幕を閉じた
豊栄交通公園が開園した昭和44年に僕は小学校の2年生だった
小学生の頃に友人たちと自転車を漕いで交通公園まで行き
ゴーカートに乘る事が楽しみの一つだった
思い返してみれば昭和のあの時代は交通公園の他にも
銀座デパートの屋上や、野呂山遊園地にもゴーカートがあった
銀座デパートの屋上は敷地的にも狭く遊具レベルに過ぎなかったが
交通公園や野呂山遊園地はコースの敷地も広く乗りこなす満足感があった
特に野呂山遊園地のゴーカートはスピードも速かった
もしかしたら昭和の男が乗り物好きが多かった理由として
こうした幼い時体験した乗り物を操る楽しみが理由の一つにあったのかも知れない
豊栄交通公園のゴーカートは緑色が一人乗り用
赤いカートが二人乗り用のゴーカートだった
交通公園の入り口対面に店の名前は忘れたが駄菓子屋さんがあった事も思い出深い
近くにあったバッティングセンターもよく利用したな~
ジャンジャン!!