さよなら子供の頃の夢の国 | PRAINSのブログ

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先日FBを見ていたら誰かの記事に「みどり屋」閉店するって書いてあった
本文を読むと、どうやら記事はみどり屋さんのご子息が書かれた記事のようだった
 
ー マジか・・・ そっか~ あのみどり屋もついに店仕舞いか~・・・
 
呉に住んでいる人で、みどり屋の事を知らない人はいないと思うが
みどり屋さんは呉市の商店街れんが通り(中通り)に昔からある老舗の玩具屋さんなんですよね
 
 
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みどり屋さんが、いつ創業したのかは僕にはわかりませんが
僕が子供だった昭和40年代には間違いなく店は営業してた
 
昨今、時代の流れもあり昭和の時代から続く老舗と言われる呉の店がどんどん閉店してる
 
みどり屋さんの閉店の理由は僕にはよく分かりませんが後継者の問題があるのかもしれないし
時代の変化と共に今では個人の路面店より大型のショッピングモールが主流になった感もある
 
物販に関してはネットという商売敵も現われ少子化に伴う子供の減少も影響してるのかもしれない
 
 
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思い返せば広の長浜という片田舎の港町で育った幼き日の僕にとって
当時呉の中心街の中通りっていう商店街は別世界くらいのイメージがあった
 
子供の頃に乗り物酔いが酷かった僕は呉市営バスに揺られ1時間かけて
呉越え峠を越えて辿り着く中通りはとても遠く感じてた
 
あの頃の呉市営バスは床が木製でバスの中は床の油の臭いが充満してた
更には排気ガスも独特の臭いだと幼い僕は感じていた
道路もまだ完全に整備されてなくデコボコ道にバスはよく揺れた
 
冗談じゃなく本当に中通りに辿り着くには地獄に行くような思いをしてたもんだ
当時中通りは活気がありとにかく人が多く毎日祭りをしてるくらいの勢いを感じてた
 
今じゃ考えられないほど寂れてしまったが・・・
 
 
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僕が育った家庭は親父の生き方の問題もあり家族で旅行に出かけたり
外食に行くなんて事は一度もなかった
 
親父は車に乗らない人だったし、母は内職をしてた事もあり世間知らずな面が多様にあった
 
夏休みや冬休みに友達が家族で旅行に行ったとか聞くと内心はとっても羨ましいって思ってた
しかし僕は子供ながらに何となくウチの家庭環境と言うか家庭事情を感じていたので
親に対して恨み事を言ったり親を責めるような言葉を言う事もなかった
 
 
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でも今考えるとたぶん母はそんな気持ちの僕を薄々は感じ取っていたんだろうと思う
夏休みや冬休みになると決まって1日は中通りに連れて行ってくれた
 
銀座デパートの屋上で遊具に乗せてくれ、呉動物園に見学に行き
昼食は決まって当時あった映画館サン劇の隣の2階にあった東和園でラーメンを食べ
帰りに晩御飯としてロンドン屋?で握り寿司のパックを買ってくれた
 
そんな中で僕が最も楽しみにしてたのが「みどり屋」に連れて行って貰える事だった
 
 
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広の片田舎の信号機も喫茶店もない長浜には玩具屋なんてなかった
 
昭和のあの時代にありがちな駄菓子屋や文具店や化粧品屋さんの片隅に
プラモデルが置かれてたくらいだ
 
当時広にはデパートもなく中途半端なデパートとスーパーを足して割ったような
「やまてや」という店があった程度だ
 
広の商店街には個人の路面玩具店はあったが駄菓子屋に毛が生えたようなレベルの店しかなかった
それに対し「みどり屋」は店舗も大きく品揃えも豊富だった
 
地獄のような臭いバスに1時間揺られ嘔吐しながら辿り着く「みどり屋」は
まさに僕にとっては三途の川を渡った後に天国があるような子供時代の夢の国だったのだ
 
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母は「みどり屋」に行くと必ず何か玩具を買ってくれた
 
ウルトラマン仮面ライダー、タイガーマスクの塩ビのフィギュアや
マジンガーZの超合金を買ってもらった事も今でも覚えている
 
夏休みや冬休みの思い出と引き換えに「物」を買ってくれていたんだろうと思う
それが当時の母なりに精一杯の親としての子供への誠意の気持ちだったように感じていた
 
当時僕が抱いた友達を羨む気持ちはトラウマになり
その後親になったの僕の子供達に対しての価値観になっている
 
そんな思い出のある僕の子供時代の夢の国だった「みどり屋」さんもついに閉店する事になった
ちなみに営業は5月いっぱいまで全商品半額だという事だ
 
 
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と、言う事で僕も先日みどり屋の記憶を留めておこうと店に寄ってみた
 
何か最後の思い出に買おうと思った僕の目に付いたのは
呉市営時代初期に使われていたボンネットバスチョロQだった
 
ちなみに商品は定価1800円の半額で900円だった
ん? チョロQってそんなに高いのか?・・・ って思ったが・・・ 笑!
 
僕がまだ幼かった頃呉は路面電車が走ってたから僕は間違いなく
現役時代のボンネットバスには乗っている
 
当時のボンネットバスはワンマンではなく車掌さんが同乗していた記憶がある
 
ちなみにボンネットバスは今でもイベント的に時々呉近郊を現役で走っている
 
 
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今年10月10日に開催予定の第6回呉オールドモータースミーティング時に
ボンネットバスの貸出し展示が出来るように昨年呉市役所で小村呉市長にお願いした
呉市長さんは約束してくれたが覚えてるんだろうか? 笑!
 
と、言う事で旧呉市営のボンネットバスと映画ALWAYS3丁目の夕日を見た際に買った
劇中に登場する鈴木オートのオート3輪のチョロQを並べて飾ってみた
 
いい思い出になったと自己満足しております 笑!
 
「みどり屋さん、長い間ご苦労様でした! 
そして夢を与えてくれてありがとう!」
 
と、言う事で今日はこれまで! ジャンジャン!!