2015 春 俺たちの旅 <5> 亀山社中 | PRAINSのブログ

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クールスライブで盛り上がり、長崎のアットホームな居酒屋さん狸部落
地元の名産に舌鼓を打った僕達は、ちょっと飲み過ぎた事もあり
そこで体力の限界になりホテルに帰って死んだように眠りました
 
翌朝目が覚めたのは8時頃だったか・・・
 
当日心配された天気ですが、昨日夜に豪雨、暴風だった空も曇り空になっています
 
と、言う事で朝の散歩、朝食を兼ねて僕達はホテルをチェックアウトせず
荷物をホテルに残したままバイクで「ある所」に出かけました
 
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市街地から ちょっと外れた昔ながらの簡素な住宅街の
急な坂をバイクで上って行くと何やら銅像が立っています
 
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そうです!
 
ここは、あの幕末の英雄「坂本龍馬」が貿易を行い交易の仲介や物資の運搬等で利益を得ながら
海軍、航海術の習得に努め、その一方で国事に奔走した拠点となった後の海援隊「亀山社中」なんですよ
 
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坂本龍馬は天保6年(1835年)、現高知県にあたる土佐高知城下に生まれました
 
江戸で剣術や鉄砲術を習得したのち、武市半平太らが結成した
土佐勤王党に加盟し政治活動を始めました
 
文久2年(1862年)に土佐藩を脱藩し、幕臣「勝海舟」に師事して航海術を学びます
 
慶応元年(1865年)には後の海援隊の前身になる亀山社中を結成し
「薩長連合」「大政奉還」と言った大きな足跡を幕末の歴史に残しました
 
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慶応3年(1867年)11月、維新を目前にして京都河原町の近江屋2階で暗殺され
その波乱に満ちた生涯を閉じました
 
当時長崎は龍馬が最も活躍した慶応年間にその本拠を置いたところであり
今も所縁の史跡が数多く残されているんですよね
 
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ここは亀山社中記念館
 
亀山社中記念館は坂本龍馬の亀山社中の遺構として今に伝わる建物を
所有者の御好意により平成21年(2009年)から長崎市が整備公開しているものです
 
幕末当時そのままに復元した空間で龍馬が活躍した幕末の長崎を感じ
激動の時代に思いを馳せる事ができるようになっています
 
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坂本家の家紋の入った黒地羽二重の紋服からは身の丈六尺近くもあったと言われる龍馬の大きさが
ブーツやピストルからは龍馬の新し物好きの一面が感じられます
 
日本初の商社とされる亀山社中は慶応元年(1865年)、薩摩藩などの援助により
坂本龍馬が中心になって組織されました
 
社中のメンバーには神戸海軍操練所出身者が多く
航海技術を生かして物資の運搬や貿易の仲介を行いました
 
特に当時反幕府の立場にあった長州藩に対し薩摩藩名義で
武器や艦船の導入を斡旋するなど薩長連合につながる大きな役割を果たしました
 
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亀山社中の名は彼等が最初に拠点を構えた地「亀山」と
仲間・結社を意味する「社中」を合わせてそう呼ばれるようになったそうです
 
 
僕はツーリングなどでこれまで龍馬所縁の高知県の高知城桂浜、
広島県福山市の鞆の浦にある「いろは丸展示館」など数か所に訪れています
 
亀山社中にも是非訪れてみたいと以前から思っていましたから念願が叶いましたね!
 
僕はツーリング前に、その諸を尾崎さんにリクエストしておいたのですがカツジに至っては
 
「ワシはもう見た事あるけん、お前一人で早起きして行って来い・・・」
 
って言ってましたからな~ ホントですぞ! 笑!
 
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亀山社中記念館を見学した帰りに、こんなレトロ交番を見つけました
長崎警察署管内の丸山町交番で石造りのレトロな建物が今でも使われているんだそうですぞ!
 
と、言う事でこの後ホテルの近くで朝食を食べた僕達は二日目の目的地に向けて出発します
 
空は今にも泣き出しそうな曇り空が続いています
 
さてさて、無事目的地に到着する事は出来るのか・・・?
次回の記事を乞うご期待! ジャンジャン!!