尖閣沖での衝突事故

*** 尖閣沖での衝突事故(事件?)で想うこと***


尖閣諸島衝突事故の概要は以下の通りです。

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沖縄県の尖閣諸島沖で中国の漁船と日本の海上保安庁の

巡視船が衝突した事件で、日本側が逮捕していた中国人

船長を(日本の法律上では拘留期間中であったにもかかわらず)

保釈すると言う異例の処置が講じられた。
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今回の事件で複雑な問題が浮き彫りになったとメディアは

指摘しています。

  ・フジタ社員の拘束

  ・東シナ海の天然資源開発問題

  ・東南アジアも巻き込んだ中国の領海問題

  ・日本の弱腰外交


衝突については

  漁船が巡視船を目掛けて故意にぶつかってきたのか?

  故意ではなく不注意でぶつかってしまったのか?

  巡視船が威嚇のためぶつけたのか?

事実関係がまだ国民に知らされていませんので、

一国民としても、善し悪しの判断はできないと思います。



私は、中国で中国青年達と僅か1年でしたが仕事を共にし、

物心豊かな中国将来の発展を目指しました。


中国人気質も少しは理解できたと思います。

日本人ならどうでもいいようなことでも、道端で延々と口論

する激情的な中国人同士を何回か眼にしました。


日本人なら乾杯後は互いにマイペースで酒を飲みますが、

中国では互いのペースに合わせて飲む乾杯作法があります(思いやり)。


やはりどこの国も一長一短の国民性があると思います。


だから、日中友好関係や日中戦略的互恵関係を築き、

互いに長所だけを見ましょうという約束をしたのでは

ないかと思います。

アジア貢献を掲げる小生にとりましては、日本も中国も

もっと大人の外交ができないものかと案じています。


まだ、真相は明らかではないのですが皆さんはどう

思われますか?

002_宇宙意思との遭遇

テーマ:
●6年前の2004年10月中旬

会社存続危機に陥り、

過去14年間の反省をしつつ、

自身の原点は何なのかを真剣に問うてみました。


自身の土木設計エンジニア(道路設計と造成設計)としての仕事をこのまま

小さいながらも会社経営を続けるのか?


或いは全く別のしたいことを発見してそれに全力投球するのか?



4人の子供らは中学生、高校生でこれから

生活費が最頂点を迎えようとしている時期に

青二才のようなことを考えてていいのだろうか? 


ああでもない、こうでもないといろいろ考えてはみるが
堂々巡りばかりでいっこうに先へ進むことが出来ない日々が続きました。



~~あれは34歳のときでした。

当時土木設計でCADを使っている会社は

ほとんどありませんでした。

もちろん私の勤めていた会社にもありませんでした。

唯一、キャノンの卓上1行ディスプレイコンピューター

(電卓の大判と思ってください)がありました。

大学ではフォートランしか知らなかった私ですがが、

その1行PCはベーシックプログラム作成機能があり、

やってみたら、以外におもしろく、当時手書きであった設計数量

計算書の一部をベーシックで組み、客先(設計コンサルタント)に

その成果を自慢げに提出していました。変更修正があった場合手書き

では大変面倒ですが、やはりコンピューターは便利です。


それと社会人になっても続けていた卓球のボール回転とスピードとを

シュミレーションさせた解析にも使い(会社には内緒で)、品川区

の新人戦で優勝しました(卓球も仕事に負けないくらい真剣でした)。


調子に乗り、今度は設計図面をCADで描きたいと思うようになり

会社に導入しもらうお願いをしました。

しかし当時は未だ高価なパソコンとCADソフトでしたので、

なかなかOKがもらえません。

もう我慢できずに、独立してCADシステムを導入しました。

当時は汎用CADソフトしかありませんので特殊道路線形を自動作図

するためのプログラムは独力で開発しました。

当然、仕事も順調に受注できるようになりました。

仕事も、スポーツも一生懸命努力しますが、

  <好きなことしか努力しない我侭な性格ですね>

長女が1歳のときで、奥さんの反対を押し切っての

・・・・会社経営の始まりでした。~~




危機とは言え、残した優秀な社員と二人で、

年間100万円~300万円の利益を出していました。

ですが、それは過去の大きな借金の返済のため残りません。


いつ潰れるかわからないような状況ではたして社員は

残るのだろうか?優秀な社員なので後継者としても考えて

いたので、先ずは彼の意思を確認することにした。

借金のある会社の後継者になりたいと思う訳がないと

思いつつ確認してみると、やはり後継者としての意思

がないことが分かった。それだけではなく、半年後の4月に

退職することになった。



49歳にして最悪のピンチである。私ひとりになったら、借金返済

できるほど利益は出せない。

半年以内に解決策を出さねば・・・・・・・


会社は私一人だけになることが確定したので、
社員を気にすることなく判断できるのは唯一の慰めです。


先ずはこの仕事に就いた原点を探りました。

それは高校2年の時、友人に誘われた文化祭で発表された

   ベトナム戦争の写真展

でした。


戦火に追われ逃げ惑う農民や少女の写真を見て、

他人事で無いと強烈な衝撃を受けました。


農民や少女はその後大丈夫なのだろうか?

きっと生活に不自由しているはずだ・・・・・・。



このことがきっかけで


農業土木を勉強したい。

荒らされたベトナムの農地を整備する仕事に就きたい。



と思うようになりました。


私にとってはこれが原点であると確信しました。



自身の原動力となる原点体験を思い出し、

50歳直前にして、素直にその体験を

  宇宙意思

として感じました。


2004年10月下旬、アイデアが浮かびました。

取引先担当者の中で中国人技術者がいたことがきっかけで、

  受注した日本の業務を中国で行う

です。

当時、中国の人件費は日本の約1/5です。

日本人一人の給料で5人雇用できます。

CADシステムが充実している当社は日本の社員も殆ど経験ゼロから

の人材で3ヶ月程度で戦力にしました。

道路工学を学んだ大卒ならば、十分行けると思いました。


思いつく問題としては、

  ・中国へ行ったことが無い。

  ・社会主義国で民間の土木設計会社をたちあげることができるのだろうか?

  ・技術指導で言葉の障害は無いだろうか?

  ・最低資金はどのくらいかかるだろうか?

  ・”原点(宇宙意思)=志”に繋がることか?

でした。普通なら、持続できないアイデアと思います。

しかし、「思い(考え)」は予想以上に進展しました。



早速、中国人技術者に連絡を取り、中国について教えていただくお願いを

しました。彼は快く引き受けてくれ、自宅へ訪問させていただきました。

驚いたことに、彼は11月8日から末まで休暇をとり帰国することを予定

していました。すぐさま、1週間くらい同行させてほしいとお願いし、

日本語通訳付きの中国人との旅が実現できました。

  青島(チンタオ)⇒淄博⇒済南(チーナン)⇒北京

彼の実家や親戚にも招かれ、中国の一般家庭料理もご馳走になり、

大変有意義な旅でした。

彼が勤務していた山東省の中心市である済南(チーナン)市に所在する

山東省道路規劃設計院(公共道路を設計する役所)内を見学

し、院長、副院長、道路設計幹部の方と民間設計会社の必要性

について意見交換できたことは大きな決断材料になりました。



<設計院内設計室その1>
再起のブログ-済南設計院内設計室その1

<設計院内設計室その2>
再起のブログ-済南設計院内設計室その2

<設計院内設計室その3>
再起のブログ-済南設計院内設計室その3


「志」はベトナムでの農地整備でしたが、「アジア貢献」にUPしました。

縁のある中国でグローバル土木設計事業を手掛ける意義は

  ・急成長を続けている中国で民間土木設計サービス会社として、

   現地設計技術者を育て、排出することは小さいながらもアジア貢献。

  ・コスト削減効果により日本国内業務に対し価格サービスが可能となる。


ベトナムへの貢献は縁のある中国拠点を安定させてから取り掛かかります。

決して忘れている訳ではありません。


こうして、中国での土木設計サービス事業構想が固まり、

半年以内で稼動させる計画をし、着々と実行しました。


 ・先ずは日本語のできる通訳者兼司書をネットで探し当て中国情報を得る。

 ・資金調達のための金融機関説得

 ・外資会社設立手続きと現地事務所探し

 ・現地大学への募集説明会

 ・現地社員のためのアパート探し

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今日は

  経営危機~中国現地会社立上げ

までの上昇挽回経緯を書かせていただきました。


次回は

  中国稼動開始~会社破産

までの「天と地獄」を回想形式でお伝えする予定です。

その後のブログ予定は現在進行形の

 「アジア貢献への日々の歩み」

を不定期便でお伝えする予定です。




001_ブログを始めます

テーマ:
 2006年8月 二つの会社を失いました。

ひとつは日本国内の会社、もうひとつは中国山東省の会社でした。

「家族」と「志」以外は全て失いました。

現在、漸く普通の生活ができるようになりました。



『人生これからブログ』をスタートさせていただき、

自身の「夢」と「反省」を記しながら、終わらぬ青春を語り続け、

再起し、世のお役に立ちたいと願っています。



   善くも悪くも人生は「思った通り」に成る。



と東西問わず世界の名達人は言われます。


ならば、せめて、思い考えることは善きことだけにしたいものです。

もし、不運な結果となったときは、善き思いを反省し、更なる善き思いを気付かせてくれる

      
   宇宙意思


に感謝したいと思います。