フクロウくんが描いた「空間と時間」に関する疑問 | 〜耕作の、主よ人の望みの喜びよ!!〜

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子供の時読んだ本で一番心に残った本は何か?を挙げるのは難しい。

が、アーノルドローベル は良く読んだ。なんてたって壮大でないところが良い。

話が壮大になりすぎる程読み手として白けてしまうと言う面がある。私が心に描く彼は至って平凡な普通人。この歳になって一層強く思うが、普通人の描くファンタジーにしかシンパシーを寄せる事は出来ない。

 

「カエルくんシリーズ」はダメっ子のカエル君とそれを支えるお友達ガエルの物語だ。

挿絵に出てくる絵が又、可愛い。アイスクリームなどこの絵で見るから実写以上の迫力が出るのだ。ファンタジーはリアルを超えてしまう。

 

然し何と言っても私の今でも心に残る物語はローベル初体験で読んだ「フクロウくん」だ。

一編一編が心に染みる最高のヒューマンファンタジーだ。

 

フクロウくんが階段の上に居る時に思う。或いは下に居る時。

「あれっ、下の(上の)僕はどこにいる?」

フクロウくん不思議に思って――-

 

何度も何度も階段を上り下り

「おーい、下に居るボクゥ」

でもふくろうくんが階段の下に行くと上に居るふくろうくんがいない。

「おーい、上に居るボクゥ」

ふくろうくん、不思議や不思議、何度も階段を上り下りする度に自分を発見し、自分を見失う。

もう思考の迷路。

 

でも、今思えばこれ「空間と時間」についての問題を全て平易な文章で表している。

人間として素朴に感じる身近で大事なことだけ書いてるから大袈裟な話にならない。これを普通でつまらないと感じるのは浅はかなんじゃないか?と思う。

 

空間があることによって距離が生まれ内側と外側、主観と客観の世界が生まれる。

ふくろうくんは幼いからそんな事は分からないけど、幼い言動でその現象の不思議に取り憑かれ、夢中になって思考の迷路の中を泳いでいる。で、実際それ以上大切なことが無いからその時間をたっぷり使ってそこにエネルギーを注ぎ込む。それを客観的に描写している大人の視点としてのローベルがいる。だからローベルくんはふくろうくんでは無い。もっと高い視点からこのふくろうくんの姿を見ている。子供ならふくろうくんになれば良いし、大人になったらローベルになってこの物語を楽しめば良い。

 

離れられたく無いと思う。同時に距離を置きたいとも思う。だから、相手にどう伝えれば良いか?空間が欲しいんだ、と言っても伝わらない。「嫌いなんだ」と言うのとも違う。

 

人間関係とはベガとアルタイルの様な関係が一番ロマンチックで理想的なのだが、それは「愛」そのものを否定することになるのだろうか?私には分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新作小説です。作中主人公が「質量と空間」について持論を述べる箇所があります。勿論、私の心境が反映されている事は言うまでもありません。