カトケンは私にとってジョンレノンとポールマッカートニーだった | 耕作の、お咄出てこい!!/ドンドコドンドコ、さようなら♪
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趣味の作詞や創作話を中心にある時は深く、ある時はバカ話に興じて、楽しく自由にのんびりと文章を綴っていくブログです。

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志村さんでよく語られるのはドリフに入りたての頃、未だ荒井注と入れ替わりたての志村を客席が上手く受け入れてなくて、ウケとしてもイマイチだった。で、志村の自伝によればその頃客として来ていた石橋貴明が客席から「あの髪の長い奴ツマンネーよ!」と野次を飛ばしたと言う。

 

そんなとんねるずがデビューしてテレビ出始めの頃志村なりに彼らが何か気になる存在だったんだろうな?

「お前らはゲストをいじってそのいじり方も相手が嫌がる様ないじり方をするだろ?欽ちゃんの司会を良くみて勉強しろ。ちゃんとゲストを引き立ててるだろ?」

とアドバイスしたと言う。

 

1988年と言う年がお笑い界の世代交代にとってネックだったのかも知れない。

この年に「ひょうきん族」に視聴率で初めて越されたドリフがそれを理由に冠番組を下ろしタモリが「もう、タモリでは視聴率を稼げない」と言われたことをきっかけに「じゃあ、辞めてやる!」と「今夜は最高」が終了。代わりとして「ねるとん紅鯨団」が同時間帯を引き継いでいる。

 

タモリにしろ、ドリフにしろ、クレイジーキャッツから日本のエンターテイメント界で脈々と受け継がれて来た軽妙洒脱なスラップスティック音楽コメディーショーと言うのを受け継いでいた訳で。その流れとしてスネークマンショーもあった。

 

そう言った笑いに入れ替わる様に「ヤングで格好いい」ともすれば軽薄とも言えるスタイルの物がお茶の間の主流になって来たとも言える。

「格好いい笑い」ってなんだ?若い女性相手に下衆なジョークも臆せずし、陽気にご機嫌をとる新宿カリスマホストの飲み会トークの様な「イケてる笑い」そんな物をテレビでやられちゃ敵わない。とテレビ離れしたおじさん視聴者もいたか?

 

談志師匠は「長さんには頑張って貰わなければ。やれ、たけしだのとんねるずだの子供の笑いが主流のテレビの中で唯一大人が観れる笑いなのだから」と自著の中でドリフにエールを送った。

 

晩年爆笑問題と共演した折「俺を超える芸人出てこいよ。そうしたら喜んで座を譲ってやる」

と語っていたっけ?

 

談志師匠を超える芸人など出てくる訳が無い。

芸にかけた情熱。磨いて来た力が違う。

 

長さんは「もし、俺がいなくなった後は志村にドリフを任せたい」と語っていたそうな。

数年前「だいじょぶだぁ」で夢の長さん抜きのドリフメンバー集結が実現した時、志村さんは長さんに託された思いを果たしたと内心思っていたのではないか?と妙に感慨深いものがあった。

 

長さんによれば自分を除けばメンバーの中で誰よりも会議の席でネタのアイデアを積極的に出していたと言う志村。ドリフ脱退後もネタは台本作家に任さず自分で作り演じることにこだわった。

 

映画ファンで洋画のビデオを自宅で見てそこからコントのアイデアを沢山得ていたそうだ。

ドリフにおける長さんに次ぐ作家性を持ったメンバーが亡くなった。もうあの笑いを見ることは難しいだろう。

 

日本を代表するエンターテイナー西田敏行と柄本明の二人を挙げ「こんな二人には敵わない」と語っていた。演じ手としてだけでなく、受け手としても一流の目利きだった。

 

相方加藤茶に関しても長さんが「ドラマーやってたこともあるのかも知れないけど、間が良かった」と語っていたのと同様「演じ手として凄い人。敵わない」と一目置いていた。

 

実は私も多くの人に漏れず、志村さんのちょっと灰汁の強い感じより、加トちゃんのソフトで愛嬌のいい演技が好きで、ドリフは自分にとって加トちゃんと思っていた時期もあった。

 

が、よく考えれば考えるほど、自分が好きな加トちゃんは志村さんと共演してる加トちゃんだった。加藤がボケて志村がツッコム。そのなんとも言えない間が他の演芸では目にすることが出来ない絶妙だった。

 

アメブロで数年前「大好きなジョンレノンの伝記映画を観に行ったよ」と語っていたケンさん。

大袈裟ではないが、志村と加トちゃんのコンビはビートルズに置けるジョンレノンとポールマッカートニーの様なものだったのかも知れない。

 

バカ殿は少し違った。アレは確かドリフのコント内で演じたキャラクターをソロとして冠番組に持って来て成り立たせたものだったと思う。若い女性を相手に間抜けな厚化粧をして騒ぐお殿様に化けて下ネタなどふんだんにはしゃぎまくる。どうもドリフで多彩なパターンを見せてくれた志村に比べコンセプトの性格上仕方ないかもしれないがキャラ一本頼りで泥臭く。又、子供受けしそうな世界観が積極的に見る気を誘わなかった。

 

「だいじょぶだぁ」

アレは大分志村のソロとして理想に近い。大人の笑い。

ただ、そう言う風に選別することが彼の大衆が喜ぶことを良しとして念頭に置いていつも笑いを表現し続けて来た信条を汲むことにはならないかも知れないが。

 

彼の持っていた大衆性を笑いに携わるものでも一部のインテリは嫌った。

モーニング娘。と「アイーン体操」を歌った時、違和感があった。なんか若いギャルと一緒に親父ギャグ演じてる姿が若者に迎合してるおじさんと言う印象を受けた。

だけど、アレもけんさんらしさとしていつものスタイルの一つもぶれる事のない姿勢だったんだろうな、と。

 

4月からは山田洋次監督作で主演を務める予定だったと言う。

多くの人に漏れず、私もその映画、観たかった!

 

「芸術」や「真面目ぶったシリアス」からはいつも距離を置いていた人。

「芸人が文化人ぶっちゃおしまい」と生前親交のあったタコ八郎さんの言葉を信条に「ああ言うのに出て頭がいいだ悪いだ言われる対象になるのが嫌」とクイズ番組にも一切出なかった。

映画で主演となれば普段コントで演じている姿とはまたひと味違う、新たな一面が観れただろうに。

 

ドリフの中で唯一お笑いニューウェーブ世代の類に属する彼がドリフに持ち込んだ音楽的なアプローチも新しい音楽の波と呼応する斬新かつ画期的なものだった。

 

「ドリフの早口言葉」では大好きなソウルミュージック、ウイルソンピケットのナンバーを編曲家の力でバンド向けにアレンジし直しノリのいいサウンドに合わせて「生麦生米生卵」「すももももももものうち」と歌った。

 

ラップの世界のサンプリングの様なものを1980年と言う年にテレビの世界に持ち込むと言う慧眼。たちまちレコードはバカ売れ。子供達はレコードのB面に収められた同曲のカラオケに合わせて一生懸命コピーの練習をした。

 

スネークマンショーの桑原作詞、細野晴臣作曲の「咲坂と桃内」はジャパニーズラップ黎明期の名曲だが「すもももももももものうち」等明らかに「ドリフの早口言葉」を桑原流に捻た言葉遊びを交えてアレンジした歌詞だった。

 

志村自身も嬉しかったのか?コント内でこの歌を軽く披露するシーンがYoutubeで少し前にアップされていた。

 

本人はタモリさん的なマニアック路線のインテリズムを嫌っていた様だが、出自の背景に持っているものは違えどミュージシャン的なお笑い。それもラップ・テクノ・ニューウェーブ時代に出て来たミュージシャン的なアプローチとしてのお笑いを電波の世界に持ち込んだと言う点に置いても好敵手と言ってもいい共通するものは多かったと思う。

 

後半の音楽面での指摘はやや蛇足でした。

やや語りたいことが多く、又あまり語りたくない心境の辛さもあり、彼の死を今後どう受け止めればいいか。

けんさん、志村。志村さん。色んな呼び方で文章の性格に合わせて彼の名を呼んだ。

 

合掌!!

 

 

 

 
 

 

 

 

 

(最早古典。松本もこのパターンを踏襲しております)