耕作の、お咄出てこい!!/ドンドコドンドコ、さようなら♪

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趣味の作詞や創作話を中心にある時は深く、ある時はバカ話に興じて、楽しく自由にのんびりと文章を綴っていくブログです。

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今回の書評は太田光さんの『マボロシの鳥』

1988年に結成した爆笑問題としてデビューした太田光さんは思春期真っただ中、生まれて初めてテレビのチャンネル権を獲得したばかりの私が恋した最初のテレビ芸人さんでした。

 

あの頃は深夜枠が彼らのメインで今程ポピュラーではなかった彼らの存在が、とても鮮烈で魅力的に思えた物です。

 

当時、太田光と言う人がどう言う人かと言うことが未だ掴み切れていなかったので、それが同時に興味を引くと言うか、今の太田さんは情熱と閃きを頼りに、ブラウン管の上で暴れまくっている姿が、逆に『もう、イイよ』と言うか前へ前へ来られると引いてしまうと言うのが人の心理かも知れません。

 

この作品は太田さんが当時考えていたこと、メディア媒体を通して主張していたこと、そう言った彼の思考の塊の総決算とも言える内容です。

 

『これは小説じゃない。太田光が小説と言う体を取って言いたいことを言っているだけだ』

太田さんと親交の深かった橋本治さんが言った言葉です。

 

それだけにストーリーテーリングも凄く直接的でメッセージ•主義主張ありきみたいな、そう言う太田さんらしい内容になっています。

 

逆に言えば先に言った橋本さんの様に『これだと小説と言う形を取らなくてもいいのではないか?』そう言う曲がった見方も出来ます。

 

『言いたいことを言ってそれで良し』なら、ストーリーテーリングを用いる必要は無い訳ですが、だからと言ってこれが全く小説と言う枠を取り払った型破りな作品とも言い切れません。

 

僕がこの中で唯一気に入った作品が『ネズミ』と言う作品です。

学校で皆に忌み嫌われ『ネズミ』と言うあだ名を付けられた少年は誰もが嫌悪する様な醜い画ばかりを書く少年でした。

 

ところが彼の下に魔法を用いる人間がやって来て、彼の画をとてもとても美しく変えてしまいました。

 

それをみた同級生や先生達は『コレは凄い!コレは彼が描いた画なのか?』と褒めそやし、彼を初めて歓迎しようとする。

 

ところがその少年はその画を気に入らずグシャグシャにしてしまう。

皆はガッカリして又彼を仲間はずれにする。

 

 

そんな話なのですが、この作品は比較的主義主張の中にもストーリーテリングの意味があると感じたので私は気に入りました。

 

 

作品の中に出てくる『ネズミ』と言う少年は皆が良しとする物に上手く同調することが出来ず、その違和感を正直に表現し続ける本当は純粋な少年だったのでしょう。

 

皆が気に入る『上手い画』を描いて皆と協調することを拒否した。

『綺麗』だと言われる物の中に『嘘』があると言うことから目を逸らすことが出来なかったのだと思います。

 

それは彼が『綺麗』だと言われる世界から阻害され、その世界を『美しい』と信じることが出来なかったから。

 

或は元々信じることが出来なかったからこそ、阻害されたのかもしれない。

どちらせにせよ、彼は世界に対してカウンター的な立場であり続けることを選んだ。

 

こう言うところが作者の太田さんの姿ともとても被るし、彼の生き方をとても現しているなぁ、と思ったので私はこの作品が気に入りました。

 

『綺麗な世界』の中にいる人達が描く芸術は、時に『大きな嘘』を『物凄く美しく』描くこともあるかも知れない。

 

それを政治的なプロパガンダとして人々を誘導し、残酷な行いに加担させることも出来る。

 

それが『芸術でない』とも言い切れないし、それも芸術の一つの顔なのかもしれない。

 

どの道、太田光が描いた『ネズミ』の様な少年はこの世界にある『綺麗で大きな嘘』に相容れないまま、永遠にこの世界のもう一つの顔を映し出す『カウンター』として孤独な道を歩み続ける。

 

『理解』『共感』

そう言う物と無縁の世界で己が道を行く彼の姿にとても共感したし、美しいと思った。

 

(動画は『平和』をテーマに私が描いた10分台の朗読劇です。声優の方に演じて頂きました)

 

 

 

 

 

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