「地震予知はムダ。いますぐやめたほうがいい」東大地球物理学者の警告

上の記事に書いてある内容は、地震予知に関して、予測できないものにこれ以上予算を割くのはやめにしないかということである。

確率に対する予測はできないということなのだが、これはAT機なんかを打っていてつくづく思い知らされる。
高設定台を打っていても、この時このタイミングで偶然この役を引けたから何とかなったけど、引けてなかったら多分クソ負けを喰らっていたんだろうなとゾッとした経験は枚挙にいとまがない。
発生する抽選結果は、全て偶然の産物なのだ。

例えば、タイムトラベルして過去にもう一度戻れたとして、その日打った台と同じ台を同じ時間からもう一度打ってみるとする。
しかし、前回と同様の抽選結果が発生することはない。それが完全確率の独立試行である。
全ての抽選は完全に独立して行われ、他の抽選に影響することもなければ、他の抽選から影響を受けることもない。
タイムトラベル前と後の抽選にしても、やはりお互いに影響を与えないために、同様の抽選結果は発生しない。
パチ屋にしても、この台を出したいからと言って設定や釘を打ちなおしても、当日本当に出るかどうかは結果が出てみるまでパチ屋自身も予測ができないのだ。

バック・トゥ・ザ・フューチャーのビフが拾ったスポーツ年鑑も、実はあまり役に立たなかったりする。
スポーツにおいても、別の時間軸と同じ結果は発生しないからだ。
直近の年の年間王者等の統計に基づく結果に関しては、ある程度の有用性はあるかもしれないが。

地震も似たようなもので、余震等の明確に連動する地震群はともかくとして、本震がいつ起こるかは確率で発生することなのだから、タイムトラベルして以前に戻れたとしても、同じ日同じ時刻に地震が発生する訳ではない。
さらに言えば、数百年、数千年単位という巨大な分母を持つため、発生日時のゆらぎの範囲もハンパではない。
つまり、「完全な地震予知」は不可能であるということ。
統計に基づいた長期予測などの、「ある程度の予知」までは否定しないが。

少なくとも今言えることは、完全な予測などできないからこそ、常日頃から地震に対する警戒や備えを怠らないようにするしかないということだ。

逆に、確率に対してポジティブになれる要素があるとすれば、「未来は決定的ではない」ということ。
人生自体、自分の意志次第でどうにでも変えられる可能性があるということだ。