傘 の 日 !

1989年に定められた 傘の日。この日が雑節のひとつ『入梅』になることが多いからだそうです。

宮城のほうも そろそろ 梅雨入りになりますかね。

こんにちは、デイサービスなごみです。

今日は風船バレーです。

向かい合って 『バシバシッ』と打ち合いました。

利き手じゃないほうの手を使ってもいいですよね!

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伝えたいことは沢山ある。言葉だけじゃ足りない、先日精神科の先生に質問した。
「先生、精神と心はイコールですか?」と、先生はこう言った「イコールではないなぁ」と、スピリチュアルな部分もあるからね〜と、思った通りだった。認知症は頭の病気、だから心は別もん、
その心を僕たちは癒し、自由を、提供しなければならない。我慢させてはいけない。スピーチロックについて書こう。🟨 【スピーチロック】とは?

はじめに、スピーチロックについてご説明します。スピーチロックとは、言葉で相手の心身の動きを封じ込めてしまうこと(※)を言います。


「◯◯さん、ちょっと待って!」
「いいから、いいから。ここに座っていてくださいね」


認知症の方へこんな言葉を発したこと、発しているのを目にしたことはないでしょうか?実はこれスピーチロックって言うんですよ。今回は、認知症の方がいる多くの家庭や施設で、知らず知らずのうちに当たり前になってしまっているであろう「スピーチロック」について、お話しします。


反論したくなる気持ちは、介護現場で働いている私自身、よーく分かります。しかし、このスピーチロックには明確な基準がなく、時間に追われる介護現場では軽視されがちです。それどころか、スピーチロックを問題視すらしていない介護現場が多くあるのが実情です。


〜 佐藤憲一 〜
追記: 利用者は、我慢してるんだよ!介護士さんに迷惑かけないように、気遣いしてるんだよ!それに気づかないといけないよ!色々な不自由な人を、更に自由を奪う事はしないでね!


🟨 人間と他の動物との違いは何か
 2020年6月7日
 因みに、僕は宗教家では無い、

 人間と他の動物との違いは何か? そんな疑問を、古来から人間は議論してきた。
『道具を使う動物は、人間だけだ。』こんな主張がある。ところが、チンパンジーの中には、蟻塚の白蟻を食べるために木の棒を使うものがいる。また、石を落として他の鳥の卵を割って食べる鳥もいる。道具を使う動物は自分たちだけなどというのは、人間どもの傲慢以外のなにものでもない。
 そこで、これを一歩推し進めて『道具を作る動物は、人間だけだ。』という主張が出てきた。しかし、先述のチンパンジーたちは、ただ落ちてる木の棒を使うのでなく、使いやすく加工して使っている。ならばということで、チンパンジーは木の棒を加工するといっても自分の歯や手しか使っていない。『道具を作るために道具を使う動物こそが人間だ。』と主張する連中がいる。間違いではないのだろうが、なかなかまだらっこしい表現だ。
 他の一派は『言葉を使う動物は、人間だけだ。』と主張した。これまた傲慢な話で、ようは人間が他の動物の意思疎通の手段を知らなかっただけのことだ。今では、よく知られていることだがイルカの群れは会話をしていると言われており、鳴き声の意味の解析も進められている。
「シーシェパード」あたりに言わせれば、逆に『イルカやクジラも人間同様に会話をするのだから、人間と同等の存在と認められるべきだ。クジラ漁などという野蛮な行為は即刻やめるべきだ』ということになるのかもしれない。しかしながら、我が輩たち狼をはじめ、地球上には群れを作って活動する生き物は多数いる。そして、群れとして行動できるということは、人間に理解できるかどうかは別にして意思を疎通する手段を持っているということだ。言葉を使えるからといって、人間もイルカも大して特別な存在と言うわけじゃない。
 別の一派は『人間とは「宗教」とか「哲学」といった抽象概念を持つ動物である』と主張している。これは、案外あたっているかもしれない。「宗教」とかいう奴は、我が輩にはとんと理解できない。野生動物である我が輩に理解できない概念、まさしく人間特有のものと言っても良いだろう。
 そもそも「神」だの「仏」だの絶対的なものが存在するのならば、その存在と比べれば個々の人間同士の差異など無にも等しいかと思う。神の真理とやらがあるのならば、全ての人間に即座に理解し受け入れることができるほどわかりやすいものか、誰にも理解できないほど難解なものになるはずだ。
 しかしながら、無宗教家の僕にとっては理解不能な宗教も多くの人間にとっては有益なもののようだ。何者も避けえない「死」という概念と対峙するにあたり、宗教は人間の助けであった。また、多くの民族で宗教的思想が、人々の共通概念としての善悪の基準、道徳律の基礎になった。そして、人間の歴史上、良くも悪くも多くの人間が一つにまとまる旗印の役目も担った。
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 さて、やっとチベットの話になるが、チベット人が中国に占領されて半世紀たっても、チベット人で居続けられる理由の一つは、やはり宗教の存在だろう。生活に密接に結びついたチベット仏教の存在がチベット人をチベット人たらしめている。これは、人種的に混血で変貌してもユダヤ教という共通概念によりユダヤ人がユダヤ人であることと似ているかもしれない。
 中国当局も、このことを分かっているから、チベット仏教に対して数々の干渉を行ってきた。拠り所をなくそうと、占領から数年の間に、9割以上の寺院を破壊したりした。 僧侶に公衆の面前で尼僧と性交することを強制し、チベット人から僧侶への尊敬を奪おうともした。また、今でもチベット各地で住民の信奉を集めた多くの僧侶たちが政治犯として捕らえられている。さらに、中国政府側が高僧を任命し、チベット仏教そのものを中国共産党がチベット人を管理するためのツールに変えようともしている。
☆そんな中、2010年5月にチベット本土で起きた話を紹介します。
チベット南東部カム地域にナクチュと呼ばれる地方がある。そのナチュクにあるシャク・ロンポという僧院の75歳になる僧院長ダワ・リンポチェ、そして同じ僧院の三人の僧侶たちが5月17日にラサで逮捕された。

 前でもも話したようにチベットでは一部の高僧は仏の化身であり、生まれ変わるという信仰がある。そして今話をしたシャク・ロンポ寺にもロンポ・チュゼという転生活仏がいた。ダワ・リンポチェたちが逮捕されたのは、このロンポ・チュゼの生まれ変わりを探すにあたって、インドのダライ・ラマ法王に連絡をとったからだそうだ。 捕まった4人のうちの一人はダライ・ラマの写真を所持していたとして2年の懲役を言い渡された。ダワ・リンポチェ自身は一ヶ月後に釈放されたが、その後も自宅で軟禁状態にされている。
 4人が逮捕された後、シャク・ロンポ寺には武装警官と役人合わせて200人が押し掛けてき、僧院の僧侶たちに対してダライ・ラマとダワ・リンポチェを糾弾するための愛国主義再教育が施された。再教育の中で僧侶たちにはダライ・ラマを非難する書面への署名と捺印が要求された。5月20日、70歳の老僧ガワン・ギャツォは、強硬に署名を求める官吏たちの脅迫に耐えきれず自ら命を絶った。最終的に17人の僧侶が署名を拒否し、中国当局により僧院を追放された。
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 人間を、人間たらしめているもの。それは道具を使う手でも、言葉を呟く口でもない。人それぞれが持つ、譲れない何かこそ人間を人間たらしめていると僕は思う。それが何なのかは人によって違う。しかし、それを失ってしまえば人間でなくなる、自分でなくなる。そんな何かを、人は誰しももっていると思う。


〜 佐藤憲一 〜
2020年6月7日