もしも、私が先に死んだら。
2020年は、本当だったらオリンピックの年で、日本中お祭り騒ぎだっただろうし、経済的にも景気の良い感じだったであろう。私的にも、猫たちのための家が2月に完成し、新居での楽しい毎日を過ごすはず、、、だった。なのに、ちょうどその少し前ぐらいから、世界中がコロナの脅威にさらされ、オリンピックは3月で延期が決定。ほかの行事やイベントもなくなり、先の見えない不安に誰しもがさらされた。特に、この時期一番衝撃だったのが、子供の頃から当たり前の存在であった志村けんさんの死。コロナという未知のものへの恐怖と、有名人の死、増加しつづける感染者の数。事実として受け入れなきゃとは思っても、あまりにも怖すぎて辛すぎる現実に、ニュースを見るのも嫌になってしまった。ただでさえビクビクとしていたその頃、私の身にもおかしなことが起きた。コロナではないが、右手の親指と左の手のひらに白い膿疱のようなものができた。実は、その前の夏にも指にブツブツしたものができたが、気づいたら消えていたりして、関係性はわからない。しかし、この異変は、この記事を書いている今現在(2020年11月9日)も完治はしていない。超悪化からは脱しているが、今現在も治療中である。そんなこんなで、公私ともにお祭りモード一色であっただろう2020年。激動というにふさわしい、そんな年だった。まだ残り2か月あるけど、正直状況はなんら変わらないでしょう。病気や人の死、未来について強く深く考える一年となった訳だけど、それと同じぐらい、自分の「命」についても考えることが多かった。時にそれは「考えすぎ」「ネガティブになりすぎ」と人に言われるけど、それぐらいに「命」と「死」を身近に感じるようになった。以前、若いころの私だったら「死にたくない」「長生きしたい」と漠然と思うだけだったが、40歳を過ぎた私は別に長生きしたいとは思っていない。できれば死にたくないけど、それは自分の体が完全な「健康体」であることが前提であって、今疾患を抱える身としては、健康体でない自分の未来をどうしてもポジティブに見据えられない。結果、いつもたどり着くのは、「もし、私が先に死んだら。」ということである。「先に死んだら」というのは、5歳になる愛猫たちよりも「先に」ということで、それを考えると、吐きそうなぐらいに不安になる。どう考えても、猫の方が寿命は早い。見送るのは私の方。だから、いつかの「そのとき」が怖くて悲しくて、いつも想像するだけで涙を流していた。しかし、今はそれ以上に「猫より先に死ぬ」ことの方が怖いと思う。だって、猫よりも長生きするなんていう保証はどこにもないのだから。◇私には、愛猫たち以外にも、人間の夫がいる。子供はいないから、この家で一番先に私が先に死んだら、猫たちのお世話は夫がしてくれる。それは今もそうだから、なんの心配もない。ないのに、先に死ぬのが怖いのは、ただただ見送ることができない「無念」なのか。さみしさや悲しさ、あとはなんだ、夫では心配か?うん、確かに心配。だって、猫たちは私を異常に愛しているから。そんな自負があるからこそ、私が先に死んだらどうなるんだろうという、不安が大きくなるんだ。よし、わかった。そこで、このブログを介して、大切な愛猫たちに遺言書を残そうと思う。私からの猫たちへの愛と、もし、私が先に死んだら、夫に読んでほしいから。現在治療中の疾患についても、あわせて綴っていこうと思う。とりあえずの目標は、三日坊主にならないこと。【本日の経過】私➡疾患ちょっと悪化(20%程度)猫➡どっちか吐き戻し