わたくしの知っているお金持ちがスポーツカーを買った。

そうして買った日に、天鵞絨(ビロード)のハンドル・カヴァをつけ、

フロント・グラスには造花や人形を飾り、

リア・ウインドウのところには、寝そべっている虎の人形を置いた。

こういうことを愛車精神だと思っているのかもしれない。

 

MG クラッシク・カー(「ヨーロッパ退屈日記」から)

 

そうして、都内を40キロで走るときにもトップ・ギアを使い、

上り坂で車がノックし始めると、初めてサードに落とすのである。

しかもやたらとブレーキを踏む。

スポーツ・カーを運転するものなら誰でも知っていることだが、

スポーツ・カーを運転するときにはできるだけブレーキを踏まない、

ということが原則である。

スピードを落とすときには、

ギアを低い方へ一段か二段シフト・ダウンして減速する。

これは、なにがなんでんも、そうでなければならないのだ。

 

MG C-type

 

そういうスポーツ・カーに乗って、

ブレーキ・ライトをちかちかさせながら走っている。

自分の無知を天下に告白しているようなものではないか。

しかも天鵞絨のハンドル・カヴァとは一体何事であるか。

これは最早思いやりの無さなどというものではない。

車に対する、そうして車を作った人々に対する暴力である。

わたくしはこういう人を認めない。

 

 

ー伊丹十三・著 「ヨーロッパ退屈日記」から(1965年)ー