2015年 8月 26日 ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所は箴言19章、ルカの福音書19章です。共にデボーションしましょう。
☆今日のみことば☆
「「ある所に身分の高い人が住んでいました。 やがてその地方の王に任命されるため、遠くの首都に出かけることになりました。 そこで、出発前に十人の家来を呼び寄せ、留守中に事業を始めるようにと、めいめいに六十万円ずつ渡しました。」
ルカによる福音書 19:12-13 JLB
http://bible.com/83/luk.19.12-13.jlb
ルカによる福音書 19:12-13 JLB
http://bible.com/83/luk.19.12-13.jlb
☆コラム☆
ルカ書での有名な十ミナ(60万円)のたとえ話です。
10人にそれぞれ1ミナを預け商売するように命じて主人は出ていきました。
戻ってきてこのようにしもべを評価します。
「最初の家来は、元金の十倍というすばらしい利益をあげたと報告しました。 王は非常に喜び、『でかしたぞ! 感心なやつだ。 少しばかりのものにも忠実に励んでくれた。 よし、ほうびに、十の町を治めさせよう』と言いました。 次の家来が進み出て、元金の五倍の利益をあげたと報告しました。 『よくやった! おまえには五つの町を治めてもらおう。』王は上きげんで言いました。 ところが、三番目の家来は、預かった資金をそっくりそのまま差し出すではありませんか。 『私はお金を大切に保管しておきました。 せっかくもうけても、横取りされてしまうのではつまりません。 あなた様はほんとうにひどい方で、ご自分のものでないものまで取り立て、他人の作った穀物さえ、取り上げるのですから。』 王は激しく怒ってどなりつけました。 『なんて悪いやつだっ! わしが、そんなにひどい人間だと言うのか。 よし、それなら思い知らせてやろう。 それほどよくわかっていたのなら、 なぜ、銀行に預けておかなかったのか。 そうすりゃあ、利息ぐらいついたのに。』」
ルカによる福音書 19:16-23 JLB
これは神を信じる者に与えられた賜物のたとえです。
主から与えられた神の子としての権威持ち、賜物を用いて神の栄光を解き放ち、どれだけ行動して来たか問われるのです。
大きく成果を上げた者はたくさんの町を収めます。これは来る千年王国では私達は王として町を、国を治める者となります。忠実に神の為に働いたものは天の御国で大きな報いを受けるのです。
「王は側近の者たちに、『さあ、こいつからお金を取り上げ、一番多くもうけた者にやってしまえ』と命じました。 『ですが王様。 あの者はもうすでに、たくさん持っていますが。』 それでも、王は言いました。 『そのとおり。 だがな、いつでもそうだが、持っている者はさらに多く与えられ、持っていない者はそのわずかな物さえ失ってしまうのだ。 それから、謀反を起こしたやつらのことだが、すぐにここへ引っ立てろ。 わしの目の前で死刑にしてやるがいい。』」 エルサレムを目前にして」
ルカによる福音書 19:24-27 JLB
そして、忠実でなかったものは、与えられたものを取り上げられてしまいます。そして持ってるものへさらにそれを与えるのです。
信仰のないものは与えられたものまで取り上げられ、信仰を忠実に守る者にはさらに賜物が与えるのです。
そして神の御国に入らない者は、悪魔に滅ぼされてしまいます。
私達はいつかこの世で死ぬときが来ます。その時に天の御国に入れるかどうか審判されます。
その時に「良くやった良いしもべだ!」と言われるように…
「あなたのことは知らない」と言われないようにしましょう!
小さな事から忠実に歩みましょう!
日々の感謝、祈り、聖書朗読、賛美、礼拝…
神様との関係を第一にしましょう!アーメン
あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように ☆あきら☆
(来られる方はご一報ください)
⭐️⭐️⭐️8月のカフェ礼拝⭐️⭐️⭐️
8/29土曜日 PM5からです。
真島牧師がメッセージしてくださいます。
どなたでも大歓迎!ぜひともに礼拝捧げましょう!
食事される方は予約ください!
■■ God Bless You !!! ■■
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。
ありさ姉
【マナメール】熱心に主を見続け、探し求め続ける(箴言19章/ルカ19章)
■S:今日の聖書の言葉
ルカ19章3.4
★彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
■O:今日のコラム
今日の箇所は、ザアカイがイエス様を見ようといちじく桑の木に登るという有名な話です。
ザアカイはエリコの取税人のかしらで、金持ちだった(19:2)とあります。
当時のエリコは大都市であり、交通のターミナル都市で、税関所があったと言われるエリコの町は、取税人が稼ぐには好都合の場所でした。
そんな大都市で、多くの取税人たちを雇っているかしら、きっと今でいう大都市の社長のような者ですから、当時は相当顔の知れた人であったのではないかと思います。
そのような金持ちの取税人のかしらが、いちじく桑の木に登るという行為は、当時からすると、面目を失うようなことでした。
何故なら、当時いちじく桑の木に登っていたのは、最も貧しい生活をしていた羊飼いたちであったからです。
取税人たちも、ユダヤ人たちからは異邦人のために同胞から税を取るということで罪人と扱われ忌み嫌われていましたが、社会的な地位としては、裕福で金持ちでした。
それとは反対に、羊飼いたちは社会の最下層に属し、社会でも忌み嫌われる存在、貧しい生活を送る人たちでした。
そして、当時そんな羊飼いたちが乾季のときの羊の食料を得るために、いちじく桑の木に登って木の世話をしていたそうです。
裕福な取税人のかしらであるザアカイが、面目を失う行為をしてまでも、最も貧しい羊飼いたちが登っていたいちじく桑の木にイエス様を見ようとして登ったのです。
ザアカイは面目を失ってでも、プライドや誇りを捨ててまでも、イエス様をみたいと探し求める熱心な思いがあったのだと思います。
3節にある「彼は、イエスがどんな方か見ようとした」の"見ようとした"を原語で見ると、「ゼーテオー」という「探し求める、懸命に試みる」という意味の動詞の未完了形と「エイドン」という「見る」という意味の動詞の不定詞で書かれています。
つまり、ザアカイがイエスがどんな方か見ようとしたとは、「イエス様がどんな方か見ようと懸命に探し求め続けた、イエス様を見ようとし続けた」という意味があるのです。
ザアカイは単に少し興味があるから、見てみようと思った訳ではなく、懸命に主を見ようとし続けたのです。熱心に主を見ること探し求めたのです。
「わたしを熱心に探す者は、わたしを見つける」と箴言8:17にあるように、自分の面目を捨ててまでもイエス様を熱心に見ようと探し求めたザアカイは、イエス様を見つけ、そしてイエス様に見出されました。
そして、ザアカイはイエス様と出会い、自分の大事にしていた富を手放し、イエス様を公に主と告白し、実際的な悔い改め(思いを変えること)へと導かれ、イエス様は救いが訪れたと宣言しました。
■A:考えてみよう
既にイエス様を主と告白し、救いを得ている私たちにとっても、日々主と出会うことが必要です。
主を探し求めて、主と出会うときに、私たちも自分の握っていたものを手放すことができ、悔い改めの思いに導かれ、私たちの思いが主の思いへと変えられていくからです。
私たちこそ、ザアカイが持っていた熱心な思いを持って、自分のプライドや評価、立場を捨てて、主を見たいと懸命に主を見続けること、懸命に主を探し求め続けることが必要です。
熱心に主を探し求めるなら、主を見つけ、主と出会うからです。
そして、主を見るならば、主の似姿へと変えられていくからです。
そして、私たちが主を見るならば、まだ救われていない、主を知らない人たちが、私たちを見て、私たちのうちにおられるイエス様を見たいと、ザアカイのようにイエス様を見ようと探し求め、イエス様と出会うようになっていくことを、切に願い求め、信じます。
すべてを捨てて、いつもどんな時も熱心に主を見続け、懸命に主を探し求め続け、日々主と出会い、主を見る者となることを願い求めます。
■P:祈り
イエス様、今日も、日々あなたと出会い、いつもどんな時もあなたを見続けることができるように、すべてを捨て、主を懸命に探し求め続けることができるように、助け導いてください。
そして、私があなたを見続けることで、私の周りのまだイエス様に出会ってない人たちが、私のうちにおられるイエス様を見たいとあなたを探し求め、あなたと出会うことがでこますように。
熱心に主を見ようと探し求め、いイエス様を見つけ、イエス様と出会ったというザアカイに起こった事が、またザアカイの主を見たいという飢え渇き、主を探し求める心が、私のうちに、そして私の周りの人たちのうちに起こさせることを信じ、宣言して、私の主であるイエス様の御名でお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
■■ God Bless You !!! ■■
新宿シャローム教会
〒160-0023 東京都新宿区西新宿7-9-7ニッカビルB1
TEL: 03-3371-7558(オフィス)
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★マナメールのバックナンバーは、ホームページからもご覧いただけます。
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【日曜礼拝】
■第一礼拝 9:00~10:30(別館)
■第二礼拝 10:30~12:30
■第三礼拝 13:45~16:00
■第四礼拝 18:30~20:30
【土曜礼拝】
■18:00~19:30
■英語礼拝 15:00~17:00(別館)
■中国語礼拝 18:00~19:30(別館)第2,4土曜(2013年からは毎週)
【祈り会S.H.O.P.】
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ルカ19章3.4
★彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
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今日の箇所は、ザアカイがイエス様を見ようといちじく桑の木に登るという有名な話です。
ザアカイはエリコの取税人のかしらで、金持ちだった(19:2)とあります。
当時のエリコは大都市であり、交通のターミナル都市で、税関所があったと言われるエリコの町は、取税人が稼ぐには好都合の場所でした。
そんな大都市で、多くの取税人たちを雇っているかしら、きっと今でいう大都市の社長のような者ですから、当時は相当顔の知れた人であったのではないかと思います。
そのような金持ちの取税人のかしらが、いちじく桑の木に登るという行為は、当時からすると、面目を失うようなことでした。
何故なら、当時いちじく桑の木に登っていたのは、最も貧しい生活をしていた羊飼いたちであったからです。
取税人たちも、ユダヤ人たちからは異邦人のために同胞から税を取るということで罪人と扱われ忌み嫌われていましたが、社会的な地位としては、裕福で金持ちでした。
それとは反対に、羊飼いたちは社会の最下層に属し、社会でも忌み嫌われる存在、貧しい生活を送る人たちでした。
そして、当時そんな羊飼いたちが乾季のときの羊の食料を得るために、いちじく桑の木に登って木の世話をしていたそうです。
裕福な取税人のかしらであるザアカイが、面目を失う行為をしてまでも、最も貧しい羊飼いたちが登っていたいちじく桑の木にイエス様を見ようとして登ったのです。
ザアカイは面目を失ってでも、プライドや誇りを捨ててまでも、イエス様をみたいと探し求める熱心な思いがあったのだと思います。
3節にある「彼は、イエスがどんな方か見ようとした」の"見ようとした"を原語で見ると、「ゼーテオー」という「探し求める、懸命に試みる」という意味の動詞の未完了形と「エイドン」という「見る」という意味の動詞の不定詞で書かれています。
つまり、ザアカイがイエスがどんな方か見ようとしたとは、「イエス様がどんな方か見ようと懸命に探し求め続けた、イエス様を見ようとし続けた」という意味があるのです。
ザアカイは単に少し興味があるから、見てみようと思った訳ではなく、懸命に主を見ようとし続けたのです。熱心に主を見ること探し求めたのです。
「わたしを熱心に探す者は、わたしを見つける」と箴言8:17にあるように、自分の面目を捨ててまでもイエス様を熱心に見ようと探し求めたザアカイは、イエス様を見つけ、そしてイエス様に見出されました。
そして、ザアカイはイエス様と出会い、自分の大事にしていた富を手放し、イエス様を公に主と告白し、実際的な悔い改め(思いを変えること)へと導かれ、イエス様は救いが訪れたと宣言しました。
■A:考えてみよう
既にイエス様を主と告白し、救いを得ている私たちにとっても、日々主と出会うことが必要です。
主を探し求めて、主と出会うときに、私たちも自分の握っていたものを手放すことができ、悔い改めの思いに導かれ、私たちの思いが主の思いへと変えられていくからです。
私たちこそ、ザアカイが持っていた熱心な思いを持って、自分のプライドや評価、立場を捨てて、主を見たいと懸命に主を見続けること、懸命に主を探し求め続けることが必要です。
熱心に主を探し求めるなら、主を見つけ、主と出会うからです。
そして、主を見るならば、主の似姿へと変えられていくからです。
そして、私たちが主を見るならば、まだ救われていない、主を知らない人たちが、私たちを見て、私たちのうちにおられるイエス様を見たいと、ザアカイのようにイエス様を見ようと探し求め、イエス様と出会うようになっていくことを、切に願い求め、信じます。
すべてを捨てて、いつもどんな時も熱心に主を見続け、懸命に主を探し求め続け、日々主と出会い、主を見る者となることを願い求めます。
■P:祈り
イエス様、今日も、日々あなたと出会い、いつもどんな時もあなたを見続けることができるように、すべてを捨て、主を懸命に探し求め続けることができるように、助け導いてください。
そして、私があなたを見続けることで、私の周りのまだイエス様に出会ってない人たちが、私のうちにおられるイエス様を見たいとあなたを探し求め、あなたと出会うことがでこますように。
熱心に主を見ようと探し求め、いイエス様を見つけ、イエス様と出会ったというザアカイに起こった事が、またザアカイの主を見たいという飢え渇き、主を探し求める心が、私のうちに、そして私の周りの人たちのうちに起こさせることを信じ、宣言して、私の主であるイエス様の御名でお祈りします。アーメン。
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■第四礼拝 18:30~20:30
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