テサロニケ人への第一の手紙 3:2-3 JLB
http://bible.com/83/1th.3.2-3.jlb
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。
■S:今日の聖書の言葉
テサロニケ人への手紙第一2章4節(伝道者の書10章)
★私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
■O:今日のコラム
文脈からこの箇所を読むと、パウロは福音のことばについて語っていますが、日々の言葉に関しても、この箇所が当てはまると思います。
私たちのアイデンティティ。それは、神様の子供。イエス様の弟子。御国の王であり祭司。また、パウロと同じく、私たちも神に認められて福音をゆだねられた者です。
なので、そのアイデンティティにふさわしく、私たちは歩むべきです。
その中で一番試されるのが、口の言葉だと私は思います。
私たちの言葉は、神を喜ばせていますでしょうか?私たちが人と語るとき、話すとき、私たちはまず第一にその話している相手を喜ばせようとして話ているのでしょうか?確かに相手を励ます、喜ばせることは、すごくよいことです。しかし、時には、相手が喜ばない真理を語らなければいけない時があるかもしれません。その時に、私たちは相手を喜ばせる為にその真理を曲がって語るのか、それとも、神様を喜ばせる為に、真理をまっすぐに語るでしょうか?
私たちのアイデンティティをもう一度思い起こして下さい。私たちは神様の者です。それにふさわしく、神様を第一に喜ばせる言葉を語っていきましょう。
■A:考えてみよう
今日、生活のすべての面で語る私たちの言葉において、主が喜ばれるように、聖霊様に口の扉を守ってくださるように祈りましょう。そして、主の喜ばれることばを解き放っていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
★というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、人にはわからない。
テサロニケ人への手紙 第一1:4
★神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちが知っています。
■O:今日のコラム
しゃろーむ!10月6日の朝です。今日1日も、主に期待して、主の御手の中で、自分が主に愛されている者だということを確かめていきましょう。聖霊様が僕らの本来の姿を教えてくださるからです。
僕らは、神様に愛されています。イエス様がいのちをかけるほどに、愛されています。天のお父さんが熱烈に愛している聖霊様を僕らの内側に住まわせてくださるほどに、主に愛されているのです。三位一体の主が、天の全ての祝福を通して祝福を注いでくださっています。
しかし、僕らの毎日の生活には苦しみがあります。労苦があります。これが、神様からの愛なのか、憎しみなのか、わからなくなる時があります。だから、いつも、どんな時でも、主の御手の中にあることを確かめ、宣言し、聖霊様から教えて頂きましょう。
今、どんな状況の中でも、すべては主の御手の中です。その中で、僕らは、主イエス・キリストへの望みの忍耐を、主の恵みと平安によって受け取っていくことができます。
すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。(伝道者の書8:17)
しかし、
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
ともすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイの福音書7:7,11後半)
僕らは、神様から愛されている者です。感謝です。神様に選ばれた者です。感謝です。すべてに感謝です。感謝できない状況も感謝です。自分の力ではなく、主の御手の中にあることを確めることができるからです。
今日1日も、あらゆる時に、主に愛されていることを感謝して、賛美していきましょう。
■A:考えてみよう
主の御手の中で生きていることを感謝しましょう。主の御手の中にあることを確めていきましょう。
イエス様を待ち望みましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
コロサイ人への手紙1章6節
★この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
■O:今日のコラム
コロサイ人の手紙においてパウロは福音の真理を解き明かしています。1章6節では、「その福音の恵みを聞き、それを本当に理解したとき以来、勢いをもって世界中で実を結び広がり続けています。」と言っています。
私達は福音の真理を本当に理解する必要があります。私達はキリストの十字架により罪赦され、天の国籍が与えられた。と同時に、神の子とされ、長子の権を持つ御国の相続者となり、キリストに付く王であり祭司、しみも傷も無いキリストの花嫁とされました。日々、私は自分自身に向かって福音に基づく身分とアイデンティティーを語り、それが自分の思いとなり信仰となる様に教え続けています。
また、私達は天の御国に行く特権を与えられた上に、今この地に神の御国をもたらす権威を受けています。
主イエスの十字架の目的は天と地が一つとされる事でした。パウロはこの奥義を聖徒達が悟る様に切に祈り求めています。
「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。」(コロサイ1:9)
コロサイ1章には偉大な福音の奥義が記されています。今日この1章全体を朗読し、黙想し、御霊にあって福音の奥義が私達の内に啓示される事を求めましょう。
■A:考えてみよう
コロサイ1章を読み、祈りましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
■S:今日の聖書の言葉
ピリピ人への手紙章6,7節(伝道者の書4章)
★何も思い煩わないで、 あらゆる場合に、 感謝をもってささげる祈りと願いによって、 あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、 人のすべての考えにまさる神の平安が、 あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
■O:今日のコラム
昔の歌謡曲で「大丈夫だよという君の言葉が、一番大丈夫じゃない」という歌詞がありました。これはそのとおりだと思います。もちろん、励ましの意味で「大丈夫だよと」と声をかけるのは大切ですが、その「大丈夫」は何に基づいているかということが大切です。
聖書の中では神様は私たちに繰り返し繰り返し「大丈夫だよ」と語りかけて下さいます。これほど心強いものはありません。全知全能の神がそう言われるのですから、これは絶対的です。それでは、なぜ私たちはそのみことばに従順できないのでしょうか。
その一つの原因は今日のみことばの冒頭に書かれていることが原因です。つまり「思い煩い」です。人は思い煩うのが大好きです。数秒間何も考えることがなければ、私たちの脳は思い煩いはじめてしまいます。
あなたがたのうちだれが、 心配したからといって、 自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。(マタイ6:27)
そういうわけだから、 何を食べるか、 何を飲むか、 何を着るか、 などと言って心配するのはやめなさい。(マタイ6:31)
だから、 あすのための心配は無用です。 あすのことはあすが心配します。 労苦はその日その日に、 十分あります。(マタイ6:34)
あなたがたの思い煩いを、 いっさい神にゆだねなさい。 神があなたがたのことを心配してくださるからです。(1ペテロ5:7)
いくら思い煩っても問題は解決しません。思い煩いは私たちのものではありません。イエス様は十字架にかかって下さった時に、私たちの罪と同時に思い煩いも一切を引き受けて下さいました。だから、思い煩いは私たちが持っていてはいけないものなのです。
■A:考えてみよう
今日、思い煩いを全て十字架のもとに持って行こう。具体的に神様に「私はこういう思い煩いがあります」と告白する祈りをしよう。これは決断です。その正直な祈りに、主は必ず答えてくださり、今までにない平安な心が与えられ、主との安息を得ることが出来ます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】