★最近、街でクルマのナンバーを見ていてふと驚いたことがある。何と地名の横の車両分類番号が2桁でなく3桁のクルマばかりなのである。調べてみると3桁ナンバーは1999年(平成11年)5月14日より全国で希望番号制と共に導入されたということなので、既にそれから丸16年を経ており、二桁ナンバーの1990年代以前に登録されたクルマは既に大幅に廃車が進んでいるということなのだろう。
私が子供の頃、1960年代は所謂シングルナンバー1桁(「品5」「練5」など)が主流であったのだが、1967年(昭和42年)9月から分類番号に二桁表記(「品51」「練55」など)が登場し、その後、30年以上に亘り二桁が主流の時代だった。それが、現在では何と3桁が主流となっているのである。(←「気づくのが遅い! 」とお叱りを受けそうですが、本当につい最近、バスまで200という3桁ナンバーが主流の時代になっていることに気づいて浦島太郎よろしくビックリ仰天してしまったのです。)
★日本国内で旧車を所有する場合、そのクルマが生まれた当時のナンバープレートがそのまま残っているか否かは車両の価値を左右する一つのポイントだろう。例えばポルシェ356やナロー911に現行の3桁ナンバーが付いていたらやはり少々興醒めしてしまう。私自身はシングルナンバーと二桁ナンバー以外のクルマを所有したことは一度もなく、裏返せば少なくとも過去16年以上は新車を買っていないことになる。
今後もし3桁ナンバーのクルマを所有するとしたら退職金で衝動買いするかもしれない新車のポルシェ911だけになるかもしれない(←こんな話をすると、「退職金で新しい911を買って、老後の生活は一体どうするの?」などと皆に失笑されますがww)。いや、本当は新車の911よりは私のアメーバ・ネームともなっている1959年式の356Aカレラ1600GS-GTクーペが欲しいのですが、最近ビンテージカー市場での価格が高騰している1950年代の356Aの中でもツインカムを積んだ最高性能版のカレラは特殊かつ稀少なため、例えウン千万出してもオリジナル・コンディションの良いクルマが手に入るかどうかは怪しいのです。ましてや、上述の当時物ナンバーに拘って1962年(昭和37年)2月14日に都内のナンバーに地区表示(品・練・足・多など)が付けられる以前の新車当時に都内で登録されたシングルナンバーの356Aカレラとなると、そもそも車両自体が存在しない可能性が高いのです。
★閑話休題。
6月に入り早くも1週間ですね。今夜は急に雨が降り出し、東京でも間もなく梅雨入りでしょうか。
今回は「自動車カタログ棚から」シリーズの第268回としてマツダ初の軽四輪商用車「B360」をピックアップします。1960年代という時代や古い国産商用車に特に関心のない方には全くもってつまらない記事だと思いますのでスルーしちゃってください。関心のある方には多少は楽しんで戴ける記事になろうかと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★マツダのルーツは1920年(大正9年)1月に創立された東洋コルク工業株式会社まで遡る(東洋コルクは別会社として現在も存続)。1927年(昭和2年)には東洋工業株式会社となり、この社名は1984年(昭和59年)5月に現在のマツダ株式会社に社名変更されるまで実に57年間という長期に亘り使用された。1968年(昭和43年)に改称されたプロ野球球団「広島東洋カープ」は言うまでもなく球団をバックアップした東洋工業との縁による名称である。
★東洋工業の自動車生産は1931年(昭和6年)の三輪トラック「マツダ号DA型」に始まり、戦前戦後はダイハツと並ぶオート三輪の代表的なブランドとして君臨した。
マツダの車名については、当初、「すめら号」「天使号」などの他の候補と共に社内で検討した結果、当時の社長 松田重次郎氏(1875年8月6日-1952年3月9日)の姓にちなんで「マツダ号」と最終的に決定した。また、横文字のロゴがMatsudaではなくMazdaとされたのは、善と悪とを峻別する正義と法の神であり光の神の意味も持つアフラ・マツダ(Ahura Mazdā)に因み、神の如く優れた自動車を創り出すという意味合いによるものであり、生産車両には「Matsuda」ではなく「Mazda」のエンブレムが取り付けられた。
★マツダの四輪自動車は戦前1940年(昭和15年)には既に試作車が完成していたが、四輪を市販するまでには太平洋戦争を挟み更に18年の歳月を要し、1958年(昭和33年)4月発売の小型空冷トラック「ロンパー」(本シリーズ第9回記事参照)が四輪第1号となった。
その後、1960年(昭和35年)5月に最初の軽乗用車「マツダR360クーペ」(本シリーズ第61回記事参照)、翌1961年(昭和36年)2月に今回ご紹介する軽トラックB360と少し遅れてB360ライトバン、同年8月に小型ボンネットトラックB1500、1962年(昭和37年)2月に本格的軽自動車「キャロル」(本シリーズ第66回記事参照)、1963年(昭和38年)10月に小型車ファミリア(最初はバン、翌年にセダン)、1966年(昭和41年)8月に中級セダン「ルーチェ」、1967年(昭和42年)5月には初のロータリー搭載車「コスモスポーツ」と1960年代には怒涛の勢いでマツダブランド四輪車のラインナップを拡充した。
★マツダ初の軽四輪商用車が1961年(昭和36年)2月に登場した「マツダB360」(トラック)である。
3ヵ月遅れて同年5月にはライトバンも追加発売された。B360は1960年春にデビューして既にヒット作となっていた「マツダR360クーペ」に搭載した空冷Vツインエンジンと同系統ながら圧縮比を落とし低速トルクを重視した僅か13psのBA型エンジンを搭載し、535kgの車体を67km/hまで引っ張った。ボディデザインはマツダの数々のオート三輪、R360クーペ、キャロルと同様に小杉二郎氏(1915年-1981年)が手掛けた。1959年(昭和34年)デビューの軽三輪トラック「マツダK360」(本シリーズ第92回記事参照)、や1960年(昭和35年)デビューの軽四輪乗用車「マツダR360クーペ」がヒットしていた実績も手伝い、B360は当時のレベルとしてもややアンダーパワーながらも軽四輪商用車市場において生産数トップのヒット作となった。デビューした1961年に45000台、翌1962年には82900台と2年足らずで13万台近くが市場に出た。生産数は同時期の軽乗用車マツダR360クーペやマツダキャロルを遥かに上回った。しかし、実用に供され乗り潰されてしまう商用車の宿命でこの発売2年目までの空冷Vツインを搭載したB360の現存車両は皆無とも言われ、約13万台が鉄屑として葬られたことになる(山梨、長野あたりに草ヒロとして人知れず廃車体が現存している可能性もゼロではないが水冷B360はあっても空冷B360の目撃情報はないようだ)。これは、同じマツダの軽乗用車R360クーペやキャロルが比較的現存しているのとは対照的である。
★1963年(昭和38年)5月、マツダB360はキャロルに搭載されていた水冷4気筒BB型18psエンジンに換装され、同年11月にはキャロル同様20psにパワーアップ、性能は同時代のライバル達(ダイハツ・ハイゼット等)を凌ぐレベルまで飛躍的にアップした。
年産約9万台(月産7500台)のハイペースで生産が続けられるも、晩年にはフロント周りを大幅にアップデートした後、1968年(昭和43年)11月には大幅に軽量化したポータートラック/バンにマツダ軽ボンネット型商用車のバトンを渡して7年9ヵ月の生涯を閉じた。
1960年代の他のマツダ車、R360クーペ、キャロル、ファミリア等と同様にB360は夥しい種類のセールス・カタログが発行されており、もとより全てを網羅することはできませんが、手元のカタログ棚からカタログの顔である表紙の画像を中心に駆け足でご紹介することとします。
【主要スペック】 1961年マツダB360 トラック KBBA33型 (1961 MAZDA B360 Typ.KBBA33)
全長2990㎜・全幅1290㎜・全高1480㎜・車重535kg・FR・BA型強制空冷OHV4サイクル2気筒90°V型・最高出力13ps/4800rpm・最大トルク2.2kg-m/3400rpm・圧縮比7.3:1・変速機3速コラムMT(2/3速シンクロ)・乗車定員2名・最大積載量350kg・最高速度67km/h・全国統一販売価格29万5000円(スペアタイヤ・標準工具一式付)
●1963年 マツダB360トラック 新車陸送風景
1964年6月1日 学習研究社発行 よいこの学習1964年6月号付録「じどうしゃのずかん」表紙(B5判)。ロンパーを水冷化したマツダD2000とマツダT2000三輪の特殊車載トレーラー車に6台ずつ積まれた水冷にMC後のB360トラック。トレーラーは全長約3m・全幅約1.3mのB360を横に2台、縦3列に積んでおり、全長12m以上、全幅2.6m以上の道交法の制限を超えた特殊車両。先頭のD2000トレーラーが「品1」ナンバーを付けていることから広島市内での輸送ではなく都内での陸送に使用された際の写真のようだ。写っている車両は全てが小杉二郎デザインのマツダ車である。

●1961年2月? マツダB360トラック リーフレット (A4判・モノクロ印刷・表裏1枚)
デビュー時の最も簡易な白黒1枚のみの印刷物だが写真があまりに暗い。「登場!」の文字がある初期のもの。この時期のマツダ車のカタログには印刷年月を示す印字がなく正確な発行時期の特定は難しい。

●1961年2月? マツダB360トラック ポスタータイプカタログ (縦18.5×横17.2cm・6つ折12面)
K360・T600・D1100等でも出された広げるとポスターになるタイプのカタログ。広げるとオレンジのB360トラックと後ろにブルーのR360クーペが併走するこの大きな写真が現れる。「クリムゾンレッドの新型車」がB360の初期型カタログに見られるコピーだが、色合いはオレンジに近い朱赤。この色合いのオレンジは同じ1961年デビューの愛知機械工業コニーグッピーにも使われており、初代パブリカ、2代目PT20型コロナ、三菱500等に使われたピンクと共に1960年代初頭の流行色だったようだ。

●1961年2月? マツダB360トラック 簡易カタログ (縦15×横20.6cm・3つ折6面)
R360クーペやキャロルの簡易カタログでも見られたA5判近似サイズ。

【中面から】
バックに流し撮りされた、紺/濃黄の電車は小田急だろうか。

●1961年2月? マツダB360トラック 本カタログ (A4判・8頁)

【中頁から】

シンプルな運転席

空冷V型2気筒エンジン

荷箱

男性が手をかけている助手席の背後にスペアタイヤが収納されている。

スペック

図面

●1961年5月? マツダB360ライトバン 専用リーフレット (A4判・表裏1枚)
「好評のマツダB360にさらに用途の広いライトバンができました」のコピー。

●1961年? マツダB360トラック/ライトバン 本カタログ (A4判・10頁)
最後の2頁にB360ライトバン(KBBAVD)が掲載された1961年5月以降のカタログ。なかなか洒落たムードの表紙。

【中頁から】

スペアタイヤは助手席の後ろに収納

雨の夜のライトバン。背後の洋品店とコーヒーの看板の出ている喫茶店も昭和30年代のムード。

透視図&図面

●1961年? マツダB360トラック/ライトバン 本カタログ (A4判・10頁)
これも最後の2頁にB360ライトバン(KBBAVD)が掲載された1961年5月以降のカタログ。

【中頁から】
未舗装路を飛ばすB360

●1962年? マツダB360トラック/ライトバン 本カタログ (A4判・10頁)
これも最後の2頁にB360ライトバン(KBBAVD)が載されたカタログ。表紙の車両がオレンジからグリーンに替わったが中頁にはオレンジも登場。

【中頁から】
港のグリーンとオレンジと女性

●1962年? マツダB360トラック 専用本カタログ (A4判・8頁)
表紙・中頁共にクリームベージュのボディの車両のみとなった。表紙の横断歩道が互い違いにラインが塗られているのもこの時代の特徴。

【中頁から】
煙草屋さんとお肉屋さんの前にて

●1963年5月 マツダB360ライトバン 専用カタログ (縦20.2×横21.2cm・12頁)
アルミ合金製「白いエンジン」水冷4気筒18psエンジンが積まれ内外装が変更された。最高速度75km/h。グリル、スモールライト、MAZDA文字の書体などフロント周りは幅広に見えるデザインに変った。変速機は4速となりコラムからフロアシフトに変った。ライトバンデラックスは白タイヤ、サイドモール、ルームミラー、サンバイザー、カーテン等が付く。車両型式は、KBDAVDに変更された。

【中頁から】

デラックス

家族でドライブ

●1963年11月 マツダB360ライトバン 専用カタログ (縦20.2×横21.2cm・12頁)
水冷4気筒エンジンが20psにパワーアップ。最高速度は79km/hにアップ。

【中頁から】
幼いユニホーム姿の子供たちはコーラを飲んでいる。

●1965年2月 マツダB360トラック 専用カタログ (縦20.2×横21.2cm・12頁)
トラックも水冷4気筒20psとなり、車両型式はKBDA33に変更された。

【中頁から】
背後に写っている家具調のテレビが懐かしい。

まだエレベーターのなかった団地での商品配達は重労働。

●1965年7月 マツダB360ライトバン 専用カタログ (縦20.2×横21.2cm・12頁)
デラックスの白タイやはホワイトリボンが細くなった。

「どんな職業にも使える・・・」

この時代、既に洋装が主流となっていたので助手席の和装のお母さんはお洒落をしてお出かけ。

●1966年6月 マツダB360ライトバン 専用カタログ (縦21.2×横27.1cm・12頁)
フェンダーサイドのB360のエンブレム形状やシート等が変更され、デラックスのメインカラーは緑系からホワイトイエロー(黄味がかった白)に変更された。

バン・デラックスで家族ドライブ

商店街のバン・スタンダード

天ぷら屋さん前で縦列駐車。

●1968年5月 マツダB360トラック/ライトバン 本カタログ (縦21×横27cm・16頁)
車両型式はトラックがKBDA33、ライトバンがKBDAVDと同じまま、フロント周りを中心にビッグマイナーチェンジ。基本的なボディは変っていないが、顔付きは1968年11月デビューの後継車ポーターと似た印象のデザインとなりイメージが一新された。

バン

トラック

水冷4気筒20psエンジン

★オマケ(その1): 大滝製作所 1/20スケール 1961年 マツダB360トラック プラモデル
全長14.5cm。当時定価:不明。前後パネル、両サイド、ルーフ等とバラバラに分割されたボディ・パーツを貼り合わせて形にするキット。マブチモーターNo.15と単三電池2本で走行。フロントのMAZDAのエンブレムやテールライトはデカールを貼る。幌骨パーツに付ける「マツダB360」のロゴの入った黄色いビニール製の幌が付属。フロントグリルの形状やマツダマーク「m」の入ったホイルキャップなど国産プラモ黎明期のキットとしては出来は悪くはなく、当時としては大滝が割合真面目に力を入れて出したという印象のキット。しかし、可動させるのは大変だったろう。組立説明書を見ると「転写マークを貼りなさい」等と命令口調で書かれているのが面白い。大滝がリアルタイムにプラモ化したことでB360の実車が売れていたことも解かる。恐らく現在に至るまで唯一のB360の立体造形物。半世紀以上を経たこの年代のビンテージ未組立プラモを作ってしまうのは少々勿体ないので、最近はレジンコピーを採って組み立てる向きが多いようだ。

箱絵のアップ

マツダの「m」マークがきちんとモールドされたホイルキャップとフロントグリルのパーツ

巨大な薄紙に印刷された組立説明書

★オマケ(その2): マツダB360コレクション 動画
カタログ画像、現存車両の画像等で構成したB360の静止画像集。マツダK360と共に現地生産されたミャンマーでタクシーとして使用されている画像など珍しいものも含まれています。