★広島に本社を置く東洋工業 (現マツダ) は、1931年(昭和6年)に三輪トラック「マツダ号DA型」で自動車生産に乗り出した。
性能が良く積載量が多いこと、部品の国産化と量産体制の確立とを目標にエンジンをはじめ東洋工業の特許であるバックギア付トランスミッションやリアディファレンシャルなどを自社製造し、黎明期の国産三輪トラックとして歴史に残る1台となった。1932年のダットサンの誕生や1936年のトヨダAA型の発売よりも早い時期の市場参入であった。
この最初の三輪トラックDA型での市場参入に当り、東洋工業では「すめら号」「天使号」などの候補と共に車名を検討した結果、当時の社長 松田重次郎氏(1875年8月6日-1952年3月9日)の姓にちなんで「マツダ号」と最終的に決定した。また、横文字のロゴがMatsudaではなくMazdaとされたのは、善と悪とを峻別する正義と法の神であり光の神の意味も持つアフラ・マツダ(Ahura Mazdā)に因み、神の如く優れた自動車の生産を目指す意味で採用され、生産車両には「Mazda」のエンブレムが取り付けられた。
また、戦前より東洋工業は宣伝活動には積極的に取り組み、1936年(昭和11年)にはマツダ号4台で鹿児島~東京間2700kmを25日かけて走破する「鹿児島-東京間キャラバン」を行い車両の耐久性・優秀性をアピールしてマツダ号の販売拡大に成功した。同種のマツダ号のキャラバン宣伝は戦後にかけても行われ、戦後は三輪トラックを中心に自動車業界の列島縦断キャラバン宣伝ブームを引き起こすきっかけとなった。
★戦後、三輪トラック業界へ新規参入する企業が増えたものの、各社共に戦前と変わらず大型オートバイの後輪を2軸として荷箱を取り付けただけの極めて原始的なスタイルが主流であった。
運転席には風防も屋根もなく、ドライバーは風雨にさらされたままという過酷な状況が当たり前のように続いていた。オートバイと同じバーハンドルで跨り式のシートの原始的な三輪トラックに1950年(昭和25年)前後からまず風防ガラスが付けられるようになり、次いで屋根が取り付けられ、1955年(昭和30年)前後からはドアが付き、次いで丸ハンドルでフルキャビン式の車両も現れ始めた。丸ハンドルへの移行は2トン積など三輪トラックの積載量増加・車体の大型化に伴ってバーハンドルでの操作自体が危険な状況となっていたことも要因となった。しかし、丸ハンドル・フルキャビン化は元々安価・簡便を特徴とした三輪トラックの高価格化を招いた。その一方でトヨエースなどの四輪トラックが簡素化によるコストダウンを進めたことから、三輪トラックは四輪トラックに対する価格競争力を失い絶滅への道を歩む結果となった。
★このような三輪トラックの進化変転の流れの中でマツダの三輪トラックは、1955年(昭和30年)型でドアなしのまま2灯ヘッドライトの全車共通デザインとなり、1956年(昭和31年)型でドアが付き、1957年(昭和32年)式ではエンジン冷却ファンをサーモスタット付の自動冷却「オートクール」に変え、1958年(昭和33年)には丸ハンドル・フルキャビンの車両HBRがデビュー、1959年(昭和34年)には丸ハンドルHBRを水冷化したT1100およびT1500に変更、そして最後のマツダ三輪T2000へと変遷していった。
今回ご紹介するのは、未だバーハンドルで跨り式シートながら風防・屋根の付いた丸ハンドルとなる以前の1954年から1958年にかけてのマツダ三輪トラック。エクステリア・デザインは1949年頃よりマツダ三輪トラックのデザインに携わり、後年マツダR360クーペ、マツダキャロル、マツダK360、マツダB360等を手がけたことで知られるインダストリアル・デザイナー小杉二郎氏(1915~1981)によるもの。丸ハンドルのHBR~T2000も小杉デザインだが、小杉氏の三輪はどれもフクロウのようなデザインが愛らしい。四輪とは異なり前輪が1輪であるために前輪上の重量を増やすことが危険な三輪のフロントデザインに小杉氏は極力構造材を少なくした応力外皮構造を採用してインパクトのある魅力的なデザインを生み出した。東洋工業の小杉デザインの採用がマツダ車のイメージ造りと市場でのヒットに大いに貢献した。
(※丸ハンドルのマツダ三輪トラックHBR~T2000については項を改めてご紹介予定です。)
【主要スペック】 1957年 マツダ三輪トラック 2トン積 CHTA型
全長4230㎜・全幅1570㎜・全高1880㎜・ホイールベース2825㎜・車重1286kg・空冷2気筒OHV1400cc・最高出力38.4ps/3500rpm・最大トルク9.1kgm/2000rpm・変速機4速MT・乗車定員2名・最大積載量2トン・最高速:不明・販売価格:不明(750kg積みが31万円7000円という資料が見つかったので2トンは40万円前後?)
●1954年7月発行 1954年型マツダ三輪トラック 総合カタログ (縦19×横25.5cm・4つ折8面)
1954年式までは750kg積みと1トン積みはヘッドライト1灯、表紙に描かれた2トン積みのCHTA型のみヘッドライト2灯の何れも小杉二郎デザイン。表紙の手摺りに寄りかかった女性が印象的だが、これで転倒したら大怪我間違いなしだろう。

中頁から
2灯ヘッドライトの2トン積みCHTA

ヘッドライト1個の1トン積みCLY型

ヘッドライト1個の最小750kg積みGCZ型

裏面スペック&図面

●1954年9月発行 1955年型マツダ三輪トラック2トン積みCHTA 専用カタログ (縦18.5×横25.5cm・2つ折4面)
1955年型で全ての型式が第1回毎日デザイン賞を受賞したこの小杉二郎デザインのフロントカバーに統一された。シャシー・エンジンは1954年式と同じ。なお、マツダ三輪トラックの年式表示は米車に倣い、前年秋に翌年型をデビューさせた。

中頁から

●1955年9月発行 1956年型マツダ三輪トラック 総合カタログ (A4判・4つ折8面)
「冷たい雨風を防ぐサイドドアーがつきました」とカタログに謳われて漸くドアの付いた1956年式。ドアといってもスチールは下半分のみで上半分は取り外し式の布とビニールの窓。ドアなしで手摺りだけだった前年までの車両に比べれば、少なくとも同乗者が走行中に落下する危険は減った。

中頁から

運転席の眺め

運転席左側の小さな助手席はバスの補助シート以下で長距離の同乗は厳しかっただろう。

裏面スペック

●1955年9月発行 1956年型マツダ三輪トラック750kg積みGDZA 専用カタログ (A4判・2つ折4面)
この時代の三輪トラックのカタログは各社共に総合カタログ以外に型式毎の専用カタログが発行されており、コンプリートに揃えることはなかなか難しい。

●1955年9月発行 1956年型マツダ三輪トラック1トン積みCLY 専用カタログ (A4判・2つ折4面)

●1955年9月発行 1956年型マツダ三輪トラック2トン積み2トンCHTA 専用カタログ (A4判・2つ折4面)

●1955年10月発行 1956年型マツダ三輪トラック2トン積み平床三方開車 CHTAS 専用カタログ (A4判・2つ折4面)
全長5920mmで車重1526kgと恐竜のように大きな三輪。全長6m近く車重1.5トンのこのクルマをバーハンドルで操作するのは大変だったことだろう。

絶滅寸前の恐竜を思わせる長大なボディ

●1956年9月発行 1957年型マツダ三輪トラック 総合カタログ (縦22×横30cm・4つ折8面)
エンジンの冷却ファンを寒冷期など必要のない時には自動停止させるサーモスタット付けられ、「オートクール」を謳った1957年式。エンジン出力は若干上げられた。

中頁から: オートクールの説明

裏面スペック

●1956年9月発行 1957年型マツダ三輪トラック750kg積みGDZA 専用カタログ (A4判・2つ折4面)

中頁から: 運転席周辺の詳細説明

●1956年9月発行 1957年型マツダ三輪トラック1トン積みGLTB 専用カタログ (A4判・2つ折4面)

●1956年9月発行 1957年型マツダ三輪トラック2トン積み平床三方開車 HATBS 専用カタログ (A4判・2つ折4面)

●1957年9月発行 1958年型マツダ三輪トラック750積みGLTB 専用カタログ (A4判・2つ折4面)
この58年式で丸ハンドルのHBRがデビューし、バーハンドル車は最小サイズで廉価な750kg積みのみがカタログに残された。これがマツダ三輪最後のバーハンドル車で1959年式からは全てが丸ハンドル車となった。

中頁から

★オマケ(その1): 萬代屋(現バンダイ) 1/18スケール 1956年マツダ三輪トラック 2トン積 CHTA
全長22cm。萬代屋製品番号375番。実車登場直後の1956年発売。当時定価:不明。各種幌付き、日通仕様のバリエーションも発売されている。画像はノーマル仕様の初版で1本ワイパーが別パーツで付き2トーンの塗り分けが実車に忠実な良心的な造り。再販品ではワイパーが省かれて塗り分けラインも変えられた。萬代屋赤函シリーズのヒット商品の一つ。ヤシの木と海をバックにした有名な箱絵は、東洋工業の印刷物から写したものか萬代屋のオリジナル作品なのか不明。



バーハンドルや室内計器類も再現されている

★オマケ(その2): 萬代屋(現バンダイ) 1/24スケール 1957年マツダ三輪トラック 2トン積 CHTA
全長17cm。萬代屋製品番号513番。当時定価: 不明。バンダイではサイズ違いで大小2種を発売したが、これは小さいサイズ(オマケ1が大きい方のレギュラーサイズ)。箱絵は1957年型総合カタログの表紙の絵が使用されている。幌付きのバリエーションも発売されている。



萬代屋製マツダ三輪トラック大小2台の並び

★オマケ(その3): 1983年 「わがインダストリアルデザイン 小杉二郎の人と作品」
1983年4月20日 日本橋丸善発行。B5判・131頁。小杉二郎氏の業績を氏が専門誌に寄稿した文章と共に纏めた書籍。各種三輪トラックを始めK360、R360クーペ、キャロルなど小杉デザインのマツダ車が好きな人は必携の資料。

中頁から

★オマケ(その4): 1954年?「マツダ三輪トラック・バタンコ節」
オリジナルはSPレコード?ダットサンDBなども映っている貴重な映像。バタンコとは当時の三輪トラックの愛称のひとつ。
★オマケ(その5): 1954年? マツダ「生れ出る三輪トラック」
ちょっと長目なので特に三輪に興味がある人向け。静止画像なのが残念。