とても久しぶりの更新、お許しください。


○嵐山町:比企丘陵とオオムラサキ

 図は比企丘陵をバックに悠々と飛ぶオオムラサキです。(オオムラサキについては中央自動車道「北杜市(④長坂町)」をご参照ください)尚、画像は後日アップします。
 嵐山町は「蝶の里」として都幾川周辺に生息するオオムラサキの保護に努めており、1988年には「オオムラサキの森」及び「オオムラサキの森活動センター」を創設しました。
 「オオムラサキの森」は、もとからある雑木林を整備して作られたもので、保護対象であるオオムラサキは勿論、昔から比企丘陵に生息していた生態系の保護にも努めています。また、敷地内にある「オオムラサキの森活動センター」では、オオムラサキをはじめとした各種生態系に関する図鑑や資料が豊富にあり、地元の自然保護ボランティア団体の活動拠点となっています。
 では、オオムラサキの保護活動はいつ、どうして始まったのでしょう。町役場サイトによると、オオムラサキの保護活動は1982年に愛好家の間で始まったといわれています。これは日本国内でも早いほうで、嵐山町は保護の歴史の長さも誇っています。

○小川町:紙すき

 図は紙を漉く(すく)作業のアップです。嵐山パーキングエリア(下り)のレストランから見えます。
 小川町は古くから和紙産業が盛んな町です。町内の工芸館では行灯などの和紙を使った作品が展示されており、また、和紙づくりの体験学習をすることもできます。和紙づくりは今でもしっかり引き継がれており、息の長い伝統工芸となっています。
 小川町で作られる和紙は「小川和紙(細川和紙)」といいます。通例、和紙を作る際にはコウゾ、ミツマタ、ガンピの皮を使用しますが、小川和紙は一番丈夫な素材であるコウゾのみを使用しています。槻川や兜川といった水資源、コウゾが多く植わる小川盆地と、環境を最大限に利用した地場産業です。尚、「小川和紙」は国の無形文化財に登録されています。
 小川和紙作りの歴史は1300年前にさかのぼります。高麗からの帰化人である僧雲徴が方法を広めたのが始まりです。(当時、このあたりには高麗からの帰化人が多く、日高市の高麗神社も高麗からの帰化人によってつくられたものです。高麗をテーマにこのあたりを散歩するのもまた一興です。)江戸時代に、小川和紙は江戸に近いことから紙の一大産地となり、生産量を一気に上げなければならなくなりました。地元では「紙漉き唄」というものが残っていますが、この唄は一日中紙漉きを行っても報酬は問屋にはねられるという内容のものですが、いかに和紙の大量生産が大変だったかを端的に物語っています。
 埼玉伝統工芸館では和紙の工芸品が買えますが、海外から東京に来たという方にお土産として和紙のメモ帳を持たせると、喜ばれるのではないでしょうか。