ダイヤモンドの演技 | ロンドンつれづれ

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トリノでの怒涛のファイナルが終わり、ロンドンに戻ってきた。

 

そして、動画で改めて羽生選手の二つのプログラムを夫と一緒に見てみた。

 

SPでのジャンプの抜けは、確かにもったいなかった。 しかし、それを除いた「オトナル」は本当に美しい出来だった。 今までみたオトナルの中でも最上だ、と感じるぐらい…。

 

 

 

しかし、多くのファンが感じたと同じく、羽生選手も13点近い差をフリーで逆転することに、ほぼ絶望していたという。 そんな中での公式練習のクワドアクセル。 目の前で展開されるクワドアクセルのアテンプトは、それと気が付いてからはハラハラしたことは事実だった。 と同時に、羽生選手の面目躍如というか、この選手はなにもあきらめてはいない、というワクワクも感じたのである。

 

あとから「コーチがいないというか、リミッターがなかったから…」と本人も言っていたが、もうあとは自分のリミッターをとっぱらって戦闘モードでフリーに突入していくという彼の気持ちの吹っ切れが見えたように思ったのだ。 数日前に「リミッターをはずす」という記事を書いたが、そこではアスリートは「脳のリミッター」をかけてしまうと限界ができる、という話をした。

 

 

羽生選手はあのSPのあと、「クワドアクセルがまだ跳べない」「クワドルッツを2年間も封印している」というリミッターをはずしたのである。 

 

数日前の記事では、「試合の本番ではリミッターを外すに違いない。 グランプリファイナルの王座を奪還するために。  それも羽生選手らしいやり方で。」と書いた。

 

 

実に羽生選手らしいやりかたで、彼はリミッターを外し、フリー本番ではクワドルッツを解禁、そして5つのクワドを降りるという、初めての挑戦に成功した。

 

本人がいつも公言するように、彼が競技会に出るということは、勝つためである。勝たなければ意味がない、というがその通りだ。勝たなくていいなら、競技会に出る必要はない。 そのぐらいの強い気持ちで彼は常に戦っているのだ。

 

SPで追い詰められた羽生選手は、ファイナルのフリーですべてのリミッターをはずし、持てるジャンプをすべて投入したプログラムで逆転勝利を目指した。 その結果、体力を使い果たして立ち上がれないぐらいの死闘だった。 久しぶりに見た彼の究極の限界への挑戦。

 

 

「ジャンプに集中するために、繋ぎは少し省いた」というぐらい、すべてのジャンプを降りる決意があった。最後の3Aではとうとうスタミナが切れてしまったが、この構成でプログラムを滑りこんでこなかったのだからそれは仕方がない。 今後これだけのジャンプを入れて最後まで滑りとおす練習を積んでくるだろう。

 

ファイナルでは念願のタイトル奪還はかなわなかった。 それはきっと無念だろう。ファンもその気持ちを共有している。 が、この試合で得られたことはとても大きかったのではないのだろうか。 現地についてからのフリーのジャンプ構成の変更。 それを敢行、ほぼ達成した。 誰にでもできることではない。

 

できないかも、というリミッターをはずし、クワドルッツの公式戦での実施とクワドアクセルの突然の練習。うっかりすれば4Aを1本でも降りて、公式の場で、会場いっぱいの観客の目の前での初クワドアクセルにもなったところだ。 怪我のリスクと隣り合わせでのリミッター外し。 すべてのスイッチを自分でONにしたのだ。 戦闘モード、フルスロットルである。

 

そして演技では3A以外のジャンプを、プログラムの中で実際に降りて魅せたのである。4種5本のクワドに、後半に怒涛のコンビネーション3本という高難度だった。
 
たしかに、いつものフリーよりも繋ぎはすくなかったし、いつもの羽生選手よりは慎重に滑っていた。 しかし、これはこのジャンプ構成で演じた初めての競技会でのパフォーマンスである。
 
できた。 やってみたら、できたのである。 羽生史上、最高難度の構成。 
これは大きな自信になっただろう。
 
 
 
今後は、このジャンプ構成を体に慣らしていくだけだ。 ベースバリューをライバルと同じところに揃え、あとは体を慣らしてGOEを積み重ねていく。 そして繋ぎや表現を取り戻して、PCSもこれより高くできる。 
 
戦略はできた。 SPにクワドルッツを入れることも可能だ。 あとは練習を重ねるのみである。 昨年、おととしと、怪我のために思うような練習も試合もできなかったが、今年は復帰シーズンである。これからだ、と考えているだろう。 若いライバルと互角で戦う下地はしっかりできた。
 
 
又見せてもらった羽生結弦劇場。 コーチ不在という考えられない出来事までが、今回トリノという特別な場所で、演者の誕生日という特別な日に行われるファイナルのパフォーマンスの演出のように見えるではないか。 すべてが12月4日に始まった一つのドラマのストーリーのように。
 
簡単にタイトル奪還は許されなかった。 ライバルも一筋縄ではいかなかった。 しかし、これは新たなチャプターの扉を開くための、最後の戦いだったのである。 これを経て、初めて新たな景色へ一歩を踏み出すことができる。 
 
今まで人前で見せることのなかったクワドアクセルを跳んで見せた。 フリーの構成を最高難度に変えてきた。 すべてのリミッターを外し挑んだファイナルの闘いは、実に見ごたえのあるものだった。
 
ディック・バトン氏の言う、「ハニュウは結果なんておまけだ。羽生結弦は別格なんだ。今見逃すと二度とみられないような演技をする。点数を超えて感動を与えられる。彼はお客を魅了することの大切さを知っているんだ。 金を超えて、ダイヤモンドだね」というその言葉を、我々観客はまた実感したのである。
 
今回も、一期一会の演技を見せてもらった。全身全霊で。 
 
はるばるトリノまで集まった世界中のファンの期待に応えて魅せた。 
優勝はしなくとも、会場を出てくる羽生ファンの顔は、不思議に満足感に満ち溢れていたのだ。
 
 
改めて、ダイヤモンドの演技を本当にありがとう、そしてトリノでたくさんのものを乗り越えたこと、こころからおめでとうと言いたいのである。
 
 
 
 
 
 
グーグル:ヒーロー模索の2019年、として1分ぐらいのところに、飛翔する我らのヒーローが。
 
Throughout history, when times are challenging, the world goes looking for heroes. And this year, searches for heroes — both superheroes and everyday heroes — soared around the world.
(時代が厳しい時、歴史を通じて世界が求めるのはヒーローだ。今年、スーパーヒーローと普通の人達代表のヒーローが、世界中に発見された…。)