「タイパ」なる造語が定着しつつある。タイムパフォーマンス、時間あたりの効率を評価する言葉のようだ。筆者はこの言葉が気に入らない。随分ジジイになったようでこういった言葉一つの発生、伝搬が気に障る。昨今の情報、物資の流通量を顧みれば時間あたりの消費効率がどうこうという発想も当然、自然な成り行きではある。

 

最近では映像作品を倍速で見たり、冒頭部分だけで良し悪し、好嫌いを判断したり、文学作品の内容・あらすじ紹介が人気だという。アホか? 現代人は忙しい。この調子でいくと文学や映像作品などはじっくりと鑑賞され評価される機会は減るのであろうし、またその能力も減退していくのだろう。行き着く先は況やである。

 

実家の元の自室の本棚に埃をかぶった「ゆたかさへの旅」という本がある。朝日で特派員を務め評論家に転身し文明批評で名を馳せた森本哲郎の作品だ。読んだのは10代のちょうど世の中の成り立ちがようやくわかり始めた頃のことで、さらに眼を開かされたような衝撃を受け、何冊もむさぼり読んだ覚えがある。

 

東京大阪が新幹線で3時間と便利になったが、以前より空いた時間で人間は何をするのか?という問いだった。世界各地の文明発祥の地を巡り発する文明批評は若い筆者に驚くほど染み込んでいった。久しぶりに読んでみるかと手にとって見たが、薄茶けて埃だらけなので新品を買い直すかと調べてみるとどうやら絶版らしく、古本が僅かばかり高値で取引されているようだ。

 

最近の若者はこういった文明論に触れるのも困難らしい。残念なことだ。まあ、潤沢に流通していたところで、タイパなる価値観とは相容れない論評なので意味をなさないのだが。同書を勧めてくれた同級生の白井くんも当時から相当の変人で国立大を卒業して旅行代理店に就職したが、あっさり退職して神社の神主になった。今は寺社のコンサルタントをしている。きっと画一的なリーマンの枠に収まり切らなかったのだろう。