あぁーーーーーー
遂に、この日が来たのか…………。
自分の身体の中に流れている日本人の血は半分にも満たないというのに、純日本人を装い別人になりきり、また別人格をも創り上げ過ごしてきたこの数年間……。
どれだけ荒んでも罪深くても諦め切れなかったこの仕事を、日本人として成功させるまでは決して帰らないと決め、我武者羅に走ってきた……。
母国へと還る空の上の小さな窓に映る、自分の本当の姿を眺めているとーーー
そっと俺の手に重なる、白く華奢な手。
窓から視線を移して君の方を見れば、憂わしげな様子で俺の顔を覗き込んでいる。
やっとの想いで手に入れた愛しい君に、俺の総てを話したのはいつの事だったか……
溢れる涙を止めることなく聞き届け、小さな身体で俺を抱き締めてくれたことだけはよく憶えている。
その後もお互いの仕事に注力しながらそれぞれ功績を挙げ、また多忙な中でも一歩ずつ愛を育んできた俺たちーーー。
何ヶ月も前からスケジュールを調整し、ようやく確保できた俺と君との数日間のオフ。
今回の目的は二つーーー
一つは、君を両親に紹介すること。
そしてもう一つは、リックの墓前にて弔うことーーー。
俺の僅かな心の機微も感じ取ることのできる君の、重ねられたその手をそっと握り返すと、君はふわりと微笑んだ。
久々に降り立った故郷。
社長が来たあの日以来、見ることのなかったこの景色。
家へと向かうタクシーの中で隣に座る君は何度も手提げ鞄を開け、俺の両親への手土産だという手作りの物を確認しては楽しみだと笑う。
散々心配を掛けた両親。
それでも俺を信じてずっと待ってくれていた。
キョーコを連れて二人で行くと連絡した日は、眠らなかったらしい母さん。
父さんによるとその日の母さんは、しばらく泣き続けたかと思うと夜中にも関わらず突然家を飛び出し、パーティーの準備を始めたらしい…。
普段家のことの一切をハウスキーパーに任せているというのに、母さんが自分で準備…
想像しただけで恐ろしい……。
だがきっと父さんも、最初こそ止めようとしただろうけど、最後には二人で準備を楽しんだに違いない。
どちらにせよ、大袈裟なほどの歓迎ぶりが窺える。
「ここが、俺の育った家だよ。」
タクシーが敷地内に入り、玄関へと向かう。
専属の庭師によって整えられているガーデンに目を輝かせて、後で散策してもいいですか?と言う君に俺の心も自然と和む。
あの日以来となるこの扉の前で、一瞬だけ目を閉じて深く息を吐き出してから、ドアベルを鳴らした。
ーーーガチャ
「よく…来たな。
久遠、キョーコ……っ!」
父さんは迷うことなく、キョーコと先にハグを交わした。
そして俺の方を見て、少しだけ眉尻を下げながら優しく両手を拡げてくれた。
父さんが日本に来た時には交わすことのなかったハグ……
父さんは、こんなにも小さかっただろうかーーー
少しだけ涙が零れそうになった。
その時、父さんの背中越しに、顔を両手で覆う母さんの姿が見えた。
もともと事あるごとに泣き真似はよくしていた母さんだけれども、本気で泣いているのは初めて見たかもしれない……。
父さんとのハグを終え、俺は母さんに向かって大きく両手を拡げた。
嗚咽を押し殺しながら、飛び込んできた母さん……。
「おかえりなさい……クオンッーーー!!」
その一言の後はもう言葉になっていなかった母さん。
改めて親不孝な息子だったんだな、と実感しながら、咽び泣く母さんの背中を擦り俺も一言だけ交わした。
「ただいま、母さんーーー」
それから歓迎パーティーと称した食事を摂りながら、一頻(シキ)り再会の歓びを分かち合い、キョーコの紹介で盛り上がった頃ーーー
♪~~~
ドアベルの音が鳴った。
俺たちの他にも、誰か来るのか……?
「お……、来たかな。」
父さんが迎えに出る。
迎えに出た父さんの声と……微かに聴こえる若い男の声。
誰だ…………
何となく鼓動が速まっていくのを感じるーーー
「……さぁ、こっちだ。」
父さんに連れられて入って来た、その男はーーー
ーーーーーーガタン!!
俺は思わず椅子が転げる勢いで立ち上がった。
「ーーーーーーリック………!!?」
「……えっ!?」
俺が発したその名前に隣でキョーコが驚いていたことも、その時は気が付かないくらいに俺は吃驚していた。
「よぉ!クオン!」
俺の驚きなど気にも止めず、目の前の男は俺に笑顔を向けた。
「リック……どうして………」
だって、リックはーーー!
「すまない、久遠……。」
「父さん…?」
父さんは、何か知っていたというのかーーー?
「ボスから話を聞いて、お前がリックのことで思い悩んでいると知ったのは、お前が日本に発ってしばらくしてからだった……。」
ーーーそうか。
あの頃の俺は、両親に何の相談もしていなかったな……。
「ボスから話を聞いてから、リックの事故について調べたんだ。
最初に運ばれた病院のICUで奇跡的に意識を取り戻してから、別の州の病院で静養していたそうだーーー。」
何だって………!?
それじゃあ、リックはーーー!
「クオン、お前……
俺を勝手に殺. してくれるなよなっ…!」
ハハッと笑うリックに俺の頭の中は未だ整理し切れない…。
「だったら、連絡くれればーーー」
そうだ。
どうしてリックも父さんも、今までずっと黙っていたんだーーー?
「それは、私がリックに頼んだんだよ…。」
「……父さんが??」
「あぁ。
リックの見舞いに行って、リックから当時の久遠の話を全て聞いた。
忙しく家を空けがちだった私たち夫婦は、荒んでいくお前に気が付きながらもどうすることも出来なかった。
リックの事故のことも知らなかった私たちは、事故後に完全に壊れてしまったお前のことも、何が原因でそうなったのかも分からないままに、ただボスに頼ることしか出来ずにそのまま送り出したんだ。」
「父さん……」
「ボスとリックから話を聞いて、ようやくお前の苦しみが理解出来たよ。
ただ同時にこの苦しみは、自力で抜け出して、また此処に帰って来て欲しいとその時強く思った。
だからボスにもリックにも、久遠には本当のことを伝えずに待っていてくれと私が頼んだんだーーー。」
「そうだったんですね……。
久遠さんが、自分で乗り越えるのをーーー」
気が付いたら、隣でキョーコが涙を流していた。
「全く、クオンは俺を誰だと思ってんだよ!」
「え?」
「俺は、優秀なスタントマンだそ?
あのくらいで死んでたまるかよっ!」
ヘヘッと鼻を鳴らす勝ち気な態度は、あの頃のままだーーー。
「そういえば…そうだったっけ……。」
そう、リックは子どもの頃から様々な体術を身に付け、18の頃から本格的にスタントマンとして活躍し始めていた。
その優秀な技術を認められ、将来有望とされていたんだ。
「おっ!これ、俺の腕時計じゃん!
やっぱ、クオンが持ってたかぁ!」
しばらく左腕に着けていたリックの腕時計を、今日は弔いの意を込めて右に着け直していた俺の手を取り、リックが腕時計を見つめる。
「あぁ……ごめん。勝手に……。」
「ホントだよ!腕時計がないことに気づいて、後で警察に聴いてもなかったって言われたからさ、きっとクオンだとその時閃いたんだ。」
「…リックさん、久遠さんは、いつもこの腕時計を大切に身に着けていたんですよ?」
キョーコが流れる様な英語でリックに話しかけた。
「そうか…。ありがとう、クオン……」
なんだかそのリックの一言に、自分の総てが洗われたようで、無意識に涙が零れた。
「リック……良かった……。
生きていてくれて、本当に良かったーーー!」
「ちっ、相変わらずチキンだなクオンは…
泣くなよーーーーーーっ!」
ガッシリと強くリックが俺を抱き締めてくれた。
良かった……本当に………。
「ところで、クオン。
この時計、止まってるだろう?」
再度俺の手を取り、腕時計を見るリック。
「待ってろ。」
俺の腕から時計を外し、鞄から取り出した工具で直し始めたリック。
「ホラ、これでいい。
この時計はもう、お前にやるから。」
俺の中で止まっていた時が今、動き出したーーー。
Fin.のつもりが続きがありました。
⇒ SS そして時は流れる(後編)
リックについては、皆さん色んな推測(妄想?)をされているかと思いますが、私の予想?はコレです。
スタントマン。
で、生きていてくれないかなぁ……と。
いつか書きたいと思っていたお話を出してみました。
今回、ブログを始めてから初めて、1週間くらいお話を書きませんでした。
のんびり読み専しつつ、とにかく眠くて早寝たっぷり寝の生活をしてました(笑)
またボチボチ続きモノとかも書いていきたいと思いまーす(*´∇`*)