人気ミュージカル・ナンバーをジャズ・ミュージシャンが録音する事例は数えきれないほどたくさんあります。
ボクは、コルトレーンの「マイ・フェヴァリット・シングス」もそんな事例のひとつだと単純に理解していましたが、あるときふと、“なぜコルトレーンは「マイ・フェヴァリット・シングス」を録音する気になったのだろうか?”と疑問を抱くようになりました。
この録音には、そのほかにもいくつかの謎があります。
そのきっかけは、コルトレーンの録音は、映画化された『サウンド・オブ・ミュージック』の公開に先立つこと5年も前であることに気付いたからです。

(謎‐その1)映画公開の5年も前に録音したこと。
コルトレーンが「マイ・フェヴァリット・シングス」を録音したのは1960年10月21日のことです。
一方、世界の多くの人が『サウンド・オブ・ミュージック』を知ったのはジュリー・アンドリュース主演の映画によるもので、1965年(昭和40年)にアメリカを始め世界公開されました。かくいうボクも映画を観て「マイ・フェヴァリット・シングス」という曲を初めて知ったと記憶しています(なにぶん古いことなので、“多分”ですが・・)。
もちろんこの答えは簡単です。コルトレーンが活動していたニューヨークでは前年(正確には、1959年11月16日から)ミュージカルは上演されているのですから、その気になれば簡単に観られるじゃないか、おそらく主役メアリー・マーティン他出演者が録音したオリジナル・キャスト盤だって発売されていたハズ?なので、音源の入手は簡単じゃないか、と。
しかし、ブロードウェイでミュージカルをご覧になったかたはお分かりでしょう。ミュージカルの観客に黒人は皆無であることを。
ボク自身観劇の経験はそんなに多くはありません(3~4回くらい)が、劇場でキョロキョロ見回した限り、アジア系は結構多いものの、黒人の観客に気付いたことはありません。
したがってコルトレーンがミュージカル観劇に行ったことは100%あり得ないことでしょうから、誰かがレコードを入手して推薦したのでしょうね、きっと。
まさにコルトレーンがステップ・アップした名作・名演です。
My Favorite Things/John Coltrane
(謎‐その2)こののメロディが“モード的”?
コルトレーンは、アトランティック・レコードで初アルバム『ジャイアント・ステップ』で新しい一歩を歩き始めました。
『ジャイアント・ステップ』は1959年に録音したものですが、同じ年にコルトレーンはマイルス・デヴィスのメンバーとしてアルバム『カインド・オブ・ブルー』にも参加しています。この記念すべき“モードの誕生”を決定づけたアルバムへの参加が、後に“シート・オブ・サウンド”と称されたコルトレーン的モード展開へのヒントを与えたに違いないと思います。
おそらく「マイ・フェヴァリット・シングス」の音数の多い、またアップダウンの激しいメロディ・ラインが、コルトレーンの向学心と技法の開発意欲に、火をつけたのではないでしょうか。このメロディ・ラインをアドリブ展開することで、いつも時代を先行するマイルスにストップをかけてコルトレーン独自の“シーツ・オブ・サウンド”技法を確立することになったわけですから重要な作品だと思います。
それと「マイ・フェヴァリット・シングス」が“超”のつく新曲であることも、時代の先取り感がありますからね。
これで(3つ目の謎)なぜソプラノ・サックスを使ったのか?もハッキリしました。(ボクの勝手な思い入れですが)
いままでのテナー・サックスではなく、あまりジャズ・ミュージシャンが使わなかったのがソプラノ・サックスですから、このアルバムで「最新曲」を「新しい楽器」で演奏し、「時代を先導する」のはコルトレーンであることを世界にアピールすることに成功したといえるでしょう。
このアイディアを出した知恵者は、(これも勝手な推測ですが)アトランティック・レコードのプロデューサー、ネスヒ・アーティガンだったのではないかと思います。
ネスヒは弟のアーメットと一緒にアトランティック・レコードを創設した人です。ちなみにこの兄弟は、ニューヨーク在住の駐米トルコ大使の息子たちです。兄はジャズに、弟はブラック・ミュージックに熱中して、レコード・ビジネスに身を投じました。
ネスヒは比較的早く亡くなりましたが、アトランティック・ジャズというべき一連の名作群を残しています。
弟アーメットは、80歳代の半ばでなくなるまでMusicmanという愛称で呼ばれた大プロデューサーです。
ちょっとコルトレーンのネタで長く(かつ理屈っぽく)なりました。
ここで趣向をかえまして・・・。
ゴンチチ/マイ・フェヴァリット・シングス
この曲も多くのウタものカバー録音がありますが、ここでは“究極の歌モノ”とでもいうべきボビー・マクファーリンの一人歌いの超絶技巧で。本当にスゴイです。
Bobby McFerrin My Favorite Things
それにしてもコルトレーンをして録音する気にさせるとは、リチャード・ロジャーズこそに時代を先取りしたすぐれた作曲家だったことに気付きました。「マイ・フェヴァリット・シングス」を創作したロジャーズ=ハマースタインⅡ世の才能に感謝したい気分です。
【おまけ】
おそらく映画の公開当時にインスパイアされた人たちが作ったのでしょう。
こんなアイディアいただき企画がありました。
実はボクも結構好きな歌です。
佐良直美 私の好きなもの
おそらく当時この曲の制作にかかわった人たちは、今これを聴くとどんな気分なのでしょうか?
ボクは、コルトレーンの「マイ・フェヴァリット・シングス」もそんな事例のひとつだと単純に理解していましたが、あるときふと、“なぜコルトレーンは「マイ・フェヴァリット・シングス」を録音する気になったのだろうか?”と疑問を抱くようになりました。
この録音には、そのほかにもいくつかの謎があります。
そのきっかけは、コルトレーンの録音は、映画化された『サウンド・オブ・ミュージック』の公開に先立つこと5年も前であることに気付いたからです。

(謎‐その1)映画公開の5年も前に録音したこと。
コルトレーンが「マイ・フェヴァリット・シングス」を録音したのは1960年10月21日のことです。
一方、世界の多くの人が『サウンド・オブ・ミュージック』を知ったのはジュリー・アンドリュース主演の映画によるもので、1965年(昭和40年)にアメリカを始め世界公開されました。かくいうボクも映画を観て「マイ・フェヴァリット・シングス」という曲を初めて知ったと記憶しています(なにぶん古いことなので、“多分”ですが・・)。
もちろんこの答えは簡単です。コルトレーンが活動していたニューヨークでは前年(正確には、1959年11月16日から)ミュージカルは上演されているのですから、その気になれば簡単に観られるじゃないか、おそらく主役メアリー・マーティン他出演者が録音したオリジナル・キャスト盤だって発売されていたハズ?なので、音源の入手は簡単じゃないか、と。
しかし、ブロードウェイでミュージカルをご覧になったかたはお分かりでしょう。ミュージカルの観客に黒人は皆無であることを。
ボク自身観劇の経験はそんなに多くはありません(3~4回くらい)が、劇場でキョロキョロ見回した限り、アジア系は結構多いものの、黒人の観客に気付いたことはありません。
したがってコルトレーンがミュージカル観劇に行ったことは100%あり得ないことでしょうから、誰かがレコードを入手して推薦したのでしょうね、きっと。
まさにコルトレーンがステップ・アップした名作・名演です。
My Favorite Things/John Coltrane
(謎‐その2)こののメロディが“モード的”?
コルトレーンは、アトランティック・レコードで初アルバム『ジャイアント・ステップ』で新しい一歩を歩き始めました。
『ジャイアント・ステップ』は1959年に録音したものですが、同じ年にコルトレーンはマイルス・デヴィスのメンバーとしてアルバム『カインド・オブ・ブルー』にも参加しています。この記念すべき“モードの誕生”を決定づけたアルバムへの参加が、後に“シート・オブ・サウンド”と称されたコルトレーン的モード展開へのヒントを与えたに違いないと思います。
おそらく「マイ・フェヴァリット・シングス」の音数の多い、またアップダウンの激しいメロディ・ラインが、コルトレーンの向学心と技法の開発意欲に、火をつけたのではないでしょうか。このメロディ・ラインをアドリブ展開することで、いつも時代を先行するマイルスにストップをかけてコルトレーン独自の“シーツ・オブ・サウンド”技法を確立することになったわけですから重要な作品だと思います。
それと「マイ・フェヴァリット・シングス」が“超”のつく新曲であることも、時代の先取り感がありますからね。
これで(3つ目の謎)なぜソプラノ・サックスを使ったのか?もハッキリしました。(ボクの勝手な思い入れですが)
いままでのテナー・サックスではなく、あまりジャズ・ミュージシャンが使わなかったのがソプラノ・サックスですから、このアルバムで「最新曲」を「新しい楽器」で演奏し、「時代を先導する」のはコルトレーンであることを世界にアピールすることに成功したといえるでしょう。
このアイディアを出した知恵者は、(これも勝手な推測ですが)アトランティック・レコードのプロデューサー、ネスヒ・アーティガンだったのではないかと思います。
ネスヒは弟のアーメットと一緒にアトランティック・レコードを創設した人です。ちなみにこの兄弟は、ニューヨーク在住の駐米トルコ大使の息子たちです。兄はジャズに、弟はブラック・ミュージックに熱中して、レコード・ビジネスに身を投じました。
ネスヒは比較的早く亡くなりましたが、アトランティック・ジャズというべき一連の名作群を残しています。
弟アーメットは、80歳代の半ばでなくなるまでMusicmanという愛称で呼ばれた大プロデューサーです。
ちょっとコルトレーンのネタで長く(かつ理屈っぽく)なりました。
ここで趣向をかえまして・・・。
ゴンチチ/マイ・フェヴァリット・シングス
この曲も多くのウタものカバー録音がありますが、ここでは“究極の歌モノ”とでもいうべきボビー・マクファーリンの一人歌いの超絶技巧で。本当にスゴイです。
Bobby McFerrin My Favorite Things
それにしてもコルトレーンをして録音する気にさせるとは、リチャード・ロジャーズこそに時代を先取りしたすぐれた作曲家だったことに気付きました。「マイ・フェヴァリット・シングス」を創作したロジャーズ=ハマースタインⅡ世の才能に感謝したい気分です。
【おまけ】
おそらく映画の公開当時にインスパイアされた人たちが作ったのでしょう。
こんなアイディアいただき企画がありました。
実はボクも結構好きな歌です。
佐良直美 私の好きなもの
おそらく当時この曲の制作にかかわった人たちは、今これを聴くとどんな気分なのでしょうか?