作詞・作曲家としてのセルジュ・ゲンスブールが放った初期の大ヒットは、フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」です。
ユーロヴィジョン音楽祭にノミネートされ、見事優勝します。
(CDのジャケット写真)




合格フランス・ギャルの証言(当時15歳):『他の(参加)曲はセンチメンタルでスローなのに、私の歌だけはテンポが速くて、ミュージシャンが気に入っていなかったのよ。
セルジュはうんざりして出て行ってしまったわ・・・』

当時ヨーロッパの音楽祭の参加曲は、スローで歌唱力を発揮するタイプが主流だったために、始まる前には不評だった「夢見る・・」は、結果的にゲンスブールの作戦勝ちとなる。

その後の行動が、いかにもセルジュ・ゲンスブールの真骨頂発揮です。なんと「夢見るシャンソン人形」のヒットの後で、「アニーとボンボン」という歌をフランス・ギャルに提供するのですから。

⇒アニーとボンボン(画面はシングルジャケット写真のみです)

歌詞の大意は、♪アニーは棒キャンディが好きなの
アニス味の棒キャンディが・・というたわいないものですが、
本当の狙いは、ロリータに見立てたフランス・ギャルにエロティックなイメージをこの歌に託したらしいのです。

叫びセルジュによる25年後の証言:『フランス・ギャルはロリータにするには少しおバカさんすぎたな。ロリータと言うからには男に火をつけるようでなくてなならない。彼女は私にまったく何も感じさせなかった。私にはガソリンがあったんだが、彼女はライターを持っていなかったということさ

ゲンスブールの用意した爆弾ガソリンは、ギャルがライターを持っていなかったためドクロ不発に終わります。

それにしてもフランス・ギャルの父親で作詞家で友人のロベール・ギャルに頼まれて作った「夢見るシャンソン人形」が大ヒットしたからといって、友人の娘をロリータに仕立てようとするセルジュのしたたかさには、正直あきれてしまいます。

果たして後にその歌詞の意味を知ったフランス・ギャルは、あまりのショックで、何週間も家に籠もってしまったという。

ずいぶん後になってのインタビュー映像がこれ。↓


この中にあるピアノを弾きながらのリハーサルの様子には、セルジュ独特の魔術が見え隠れします。
女性歌手に「その気」にさせる異様な熱心さ。これこそが、セルジュ・ゲンスブールのプロデューサーとしてのマジックに違いありません。

さて、このブログもそろそろゲンスブールと離れたいのですが、それはもう一人の男の登場の次に、ということで。

*次回は、セルジュ・ゲンスブールとマルコム・マクラーレン(セックス・ピストルズのプロデューサー)です。

(注:セルジュ・ゲンスブールに関する記述は、「ゲンスブールまたは出口なしの愛」(ジル・ヴェルラン著・永瀧達治訳)を主に参考にしています)