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順調だった発達障害児の息子の小学校生活が・・・学級裁判 によって激変したお話の続きです。
ここまでのいきさつは↓下記↓をご参照ください。
☆学級裁判
小学校5年生の時の担任の先生の心ない指導によって傷付き、学校や教師への反発から、授業をボイコットし、宿題をやらなくなった息子・・・その子に「薬を飲ませて、大人しくさせたら?」と言う新しい担任の先生・・・。学校や教師への不信感でいっぱいの中・・・事件は起こりました。
授業をボイコットし、廊下で遊ぶ息子・・・プア子も気になって時々学校に様子を見に行っていました。いや、2~3日に1回は行ってたかも。
学校に行くと・・・クラスの男子生徒の3分の1が廊下で遊んでいる(人数にすると6~7名)・・・というのが日常でした。 廊下で遊んでいる子の中にうちの息子もいるので、こんなこと言える立場じゃないですが・・・正直、「一体どうなっているんでしょう、この学校・・・」って思っていました。
そんな荒れ放題の毎日の中・・・いつものように先生の言う事を聞かない息子を・・・その日だけはどうしても許せなかった先生。
息子をクラスメートの前に立たせ、先生が息子の後ろに立ちました。
そして「今から罰を与える」と言って、息子の両頬を後ろからすごい力でつねりました。
数回つねってから、「これくらいでいい?」とクラスメートに確認しました。クラスメートは無言でした。
息子の右頬には大きな痣ができました。心配したクラスメートが「保健室に行け」と言ってくれ、息子は保健室に行きました。
その後、何がどうなったのかよく分かりませんが、担任の先生からプア子に連絡があり、プア子は保健室に息子を迎えに行きました。
そして、その日以来、息子は不登校となりました。
当初、担任の先生は無抵抗の息子に後ろから危害を加えたことを隠していました(つねったことは認めていました)。そのため、真相を明らかにし、解決策を練るまでとんでもなく時間を要しました。その間に、多感な年頃の息子の心の傷はとてつもなく大きくなってしまいました(学校の先生が自分への傷害行為を隠蔽しようとしているのだから、絶望的な気持ちだったことでしょう・・・)。
息子は口を閉ざして何も語ってくれなかったのですが、息子から伝わって来るピリピリした空気と、「なぜ右頬のほうが痣が大きいのか?(先生は右利きだから正面からつねったら左頬のほうが痣が大きくなるはず)」という疑問から、ただ事ではないと察して、校長先生に掛け合って事情を知っている生徒に色々と聞いてもらい、少しずつ真相を明らかにしていきました。
全てが明らかになったのは事件の日から10日くらい経った頃です。担任の先生が真実を認めたその日、プア子がその事を息子に伝えると、その日から数日間、息子はほとんど眠りっぱなしでした。ずっと張り詰めていた気持ちが、ようやく緩んだのでしょうね・・・。反抗期でも生意気でも、所詮は小学6年生の子供です。息子の大人への不信感と絶望を、どうやって払拭していったらいいのか、眠り続ける息子を見ながら途方に暮れる思いでした。
その後、卒業する日まで、本当に色々な事がありました。ずっと不登校だったわけではなく、学校に行った日もありました。担任の先生や校長先生から謝罪も受けました。たくさん話し合いもしました。でも、息子の不信感を消そうという努力を担任の先生も校長先生もしてくれませんでした。息子は卒業式にも出ていません。
当時のことを詳しく書くには・・・私自身の心の傷もまだ癒えてないようです。この1年ほど、書いては消し、書いては消し・・・を繰り返してきましたが、やっぱり今はこれ以上は書けません。
いつかまた、書ける日が来たら、この続きを書きますね。
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