ご無沙汰しております。
台風で中秋の名月どころではなくなりました。
替わりにこんな感じではいかがでしょうか?


tyhoon2

 
  

10日ほど前に久々にやってしまいました。ぎっくり腰。。。
前日出張先から長距離を運転して夜遅く帰宅、早朝にわんこの散歩と、確かに筋肉がほぐれていなかったとは言え。。。う~ん、さすが魔女の一撃と言うだけのことはありました。

午前中にその日発送すべき書類をまとめ、昼食という頃にはもう動けません。部屋に一人、机間5mを10分かけて移動しなければならない始末。
なんとか帰宅できたものの、横にはなれるけれども寝返りがうてない状態でした。

こうなると要介護状態です。r^^;
この時の要介護者の心理は、昨日までできていたことが全くできなくなり、心の中では焦りと情けなさが満ち溢れています。一方家族は、表面に現れない怪我のため、何が起こっているのかわからず声をかけるが手を出さない状態です。お互いの感情の溝が埋まるまで、要介護者には不信感が生まれます。家族は冷たい、何もしてくれないと。。。(要はすねているだけなんですが。^^; )

初日の晩飯は、1m先の机までの移動途中で力尽き、ベッドからずり落ちた状態のまま床上で食べることに。。。用意してあった食事をおにぎりにしてもらって。。。この時点でも、家人は階下まで下りて、床に座って食べることができると思っていたようです。日頃の関わりが一気に表面化したような気がします。*_*

トイレに行くのも一苦労。ベッド上で転がりなんとか端坐位を確保。ここまでは三好氏の講習会で得た知識が役に立ちました。立ち上がる場合、頭部生理的曲線を描く方法では腰に負担がかかるため、力技ですが、頭が一直線に上に引っ張られるような動きになります。重量挙げ選手のような動きでしょうか。ベッドの周りに手すりやつかまることのできる家具を置くことを薦めたいところです。
トイレまでの移動もつかまることのできる家具の存在は助かります。もっとも床上の片づけは常にしておくべきだと思いますが。

トイレ内もウォシュレットの存在には助かりました。リモコンで便座と蓋が開閉する機能も良いですね。手すりがついていないので、手洗い器や台などを使って室内でのミッションをこなしましたが、手すりの位置と形状などは十分に考えられました。

風呂は結局5日目にようやく入ることができました。と言うよりも、入ることに気がついたのが5日目でした。真夏でなくて助かりました。^^;
それでも、かがむことが困難であるため、椅子に腰かけて滝に打たれるような姿勢で洗っていました。肘がつける台があれば良いかなとも思いました。

回復までもう少しかかりそうです。今回介護される立場になり、自己と周囲の感情の乖離について理解できたことが今後の役に立ちそうです。また、家族の協力により介助の手は食事の運搬以外はほとんどなかったため、どこまで自分でできるかというのも理解できたし。
ただ、関わりの積み重ねが介護の形になって現れることを改めて認識したことも付記しておきます。ご家族との関わりは大切に。^^/

追伸
この間、予定していた行事をドタキャンしてご迷惑をかけた方々に申し訳なく思っています。
スミマセンでした。


お泊りついでにシャンプしてもらったわんこが帰ってきました。
よっ!男前!!^^

leon20120909

 

 

帰宅するや、欲求鳴きの連発で電話も聞こえないほど。。。
よほどお泊り先ではかまってもらえなかったんでしょうね。。。(あたりまえなんですが。)

そういう時に限って発する言葉は「ちょっと待っててね。」、「あとでね。」
わかっているんだけど。。。

自問させてくれる介護の師匠でもあります。

 
なんかうれしい。。。

アスリート99999

 
 
ついでに、もっとうれしい。。。v^^

アスリート10km

 
 
記録を見れば、昨年に9月に77777㎞、今年の2月に88888㎞を通過しています。
今回は高速道路走行中だったので、あらかじめ、助手席の息子に頼んで撮ってもらいました。
ケータイのカメラですが、なかなかの優れものです。 

日常の流れの中で、日頃の積み重ねの行為が一つの点を通過することを見ることは、なかなかないと思います。が、それができたとき、実感として自己評価ができ、これから先の点を見ようとします。点と点を結びこれからの点をどこに求めるかということを考えます。

これで終わったわけじゃなく、これからの方向を見つめるために。。。
 
もうひとりは、おっさん体形の多い中一人スマートなカー君。

最初会ったときは、名前を聞いても僕の記憶の中の彼とは一致せず困惑だけ。しばらく話をするうちに、そのしぐさや口調、声のトーンが記憶の中の彼と一致していきます。

話を続ける中で彼が末期がんであることがわかります。
次回の同窓会で会えるかな…、と彼の親しい友人は答えます。
そんなカー君と3時まで一緒に話しました。彼は、死にたくないといいます。

僕は彼には「死にたくない」よりは「生きたい」と、思っていてほしいのです。
誰かのためあるいは何かを成し遂げるために最期まで生き抜いてほしいと。

私たちは、いつの時点かで人生に着地点が訪れます。
通常それはいつなのか、どのようなものなのかはわかりません。
彼の場合はたまたま他者から自分の着地点を示されたにすぎません。
そして得体のしれないものだから恐怖が生まれます。

同じ時代を生きてきた友人としてできることは、彼の想いと恐怖を共有し彼の人生を受け止めることだと思うのです。
もちろん治療に伴う痛みなどわかるはずもありません。が、気持ちの上でそれを和らげることは可能だと思います。

彼が満足して最期を迎えるよう関わる。そのことで自分の生きる目的ができる。
その連鎖で周囲の人を巻き込み、彼の「生きたい」を支えることになる。
酒席での語り合いでどこまで想いが届いたかはわかりませんが、一人じゃないというところは理解してもらったと思いたいですね。

とても重たい、とても有意義な同窓会でした。
まだまだ関わりは続きます。