2020年12月30日(水)。天気小雨のち曇のち晴れ。

昨年の正月(約2年前)、町田市最高峰の「草戸山」(標高364m)に登りました。

今回は、川崎市最高峰という「諏訪ヶ岳」を目指します。とは言っても、標高は144mです。

出発は、「京王・小田急永山駅」です。

「永山駅」前の広場。多摩ニュータウン開発の中心地ですが、既に1974(昭和49)年の駅開設から46年が経過しています。

もはや「ニュータウン」という名称はふさわしくないかも知れません。

ここから、神奈川中央交通バス「桜24 鶴川駅行き」に乗り込みます。系統番号のとおり、このバスは、「聖蹟桜ヶ丘駅」発です。

この辺りは、多摩川と相模原台地とに挟まれた多摩丘陵の懐深く、かつては人跡稀であったことと思いますが、今は丘陵の上に至るまで住宅地としての開発が行われ、丘陵の尾根には、その名も「南多摩尾根幹線道路」が通じています。

バスを「永山高校バス停」で降りました。朝から雨が降っていたのですが、幸いにもあがったようで助かりました。

「南多摩尾根幹線道路」から、散策路への入口が通じています。

この丘は、永山駅・多摩センター駅付近を流れる乞田川と、鶴川街道(ほぼ京王相模原線)に沿って稲田堤方面に流れる三沢川とに挟まれています。京王相模原線は、若葉台駅と京王永山駅との間でトンネルに入りますが、これはこの丘を潜っている形になるのです(小田急多摩線も)。丘の尾根には、「多摩よこやまの道」として散策路が整備されています。

落ち葉が敷きつめられ、たいへん歩きやすそうな、気持ちの良い道になっています。この「よこやまの道」は、今年の7月に小山田緑地に向かった際にも一部通りました。「よこやま」とは、多摩川の向かい側(即ち武蔵国府のあった府中など)から多摩丘陵を見ると、横に長い山が連なっている様によるとのことです。かつての南多摩郡横山村(現在の八王子市の一部)や、さらに遡って中世の武蔵国の武士集団横山党など、古くから多摩に土着した名称になっています。

この尾根は、北を東京都多摩市(下の写真では左側)、南を神奈川県川崎市(右側)との境になっています。

まさに尾根道というような景観にもなります。私は少し油断していたのかも知れません。尾根道は風が吹いて寒いのが常です。手袋もせずここに来たことを、やや後悔しました。

でも、遭難の危険は少ないと判断して先に進みます。無謀登山は慎まなければなりません。

そして、「防人見返りの峠」と名付けられた展望広場に出ました。

府中市にある「ふるさと府中歴史館」では、万葉集に収められている東国の防人の妻の歌が紹介されています。

「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」。ここは、古東海道のルートにあたっていて、東国から招集地である難波まで向かおうとして、多摩の横山の峠を徒歩で越えていく夫を思った歌です。これも本当に理不尽なことですね。人の生は、昔も今もままならないものです。ここからは、晴れていれば、遠く上州の山(赤城山、榛名山)まで望むことができるほど、関東一円を見渡すことができます。

この小高い丘は、「黒川丸山城跡」と呼ばれていますが、城郭が築かれていたということではなく、見張り台もしくは狼煙台のような役割を果たしていたようです。

この「黒川丸山城跡」の下では、横山道と交差するように、北・瓜生(多摩市)と南・黒川(川崎市)とを結ぶ「瓜生黒川往還」が通っています。この「瓜生黒川往還」は、古代・中世に武蔵国府と相模国とを結び、さらに近畿まで通じていた古東海道のルートにあたるのではと考えられています。武蔵国府は府中ということは有名ですが、相模国府の場所は確定していないそうです。現在の海老名市、平塚市もしくは小田原市などの推定がされているようです。黒川に向かって丘を下って行く道。

さて、今日のハイライト、川崎市の最高峰「諏訪ヶ岳」へのアプローチです。

そして、着いた!無事、登頂成功。標高144.5m。

「諏訪ヶ岳」山頂からの眺めです。

山頂からさらに進んでいくと、「よこやまの道」と「南多摩尾根幹線道路」とが近付いてきました。

こちらは尾根道の南側・川崎市側の景観です。こちらの方が、住宅地の開発が新しく行われました。

私のつもりとしては、適当な所で川崎市側に下りて、小田急多摩線の「はるひ野」駅に出るつもりだったのですが、いつの間にか京王相模原線の線路まで越えてしまっていました(上記のとおり、小田急多摩線・京王相模原線は、この丘の下をトンネルで潜っています)。

「よこやまの道」から、川崎市麻生区はるひ野5丁目の街路に下りてきたところです。

結局、京王相模原線「若葉台駅」へ。

以降は「おまけ」です。中央線(総武線)の飯田橋駅がホームの位置を移設して、西口の駅舎も新しくなったということだったので見に行ってみました。「飯田橋駅」ホームの新宿寄りです。ここから出口があると、さらに位置が変わったという印象になったのですが、そういうわけではありませんでした。

しかしながら、長年にわたって工事中だった西口が、ついにリニューアルされました。と言っても、既に7月からのようです。

市ヶ谷方面につながる外濠沿いの道。再開発ビル「飯田橋サクラテラス」とあいまって、この辺りの景観は全く変わっています。

変わらないのは、外濠の光景だけでしょう。

そして、「靖国通り」の年末の光景。