所用があって池袋に出かけ、駅北口からしばらく行った「平和通り」にある中華料理「永利」で、ランチの青椒肉絲定食をいただきました。池袋では、「平和通り」の入口にある「京華閣」もしくはこの「永利」に行きます。
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池袋から新宿に移り、新宿駅の南側エリアを歩いている時に通りかかった「プーク人形劇場」。「人形劇団プーク」は1929(昭和4)年創立。この建物は、1971(昭和46)年築。

文化学園大学前の歩道。ここはかつて京王線の線路が通っていた場所と思われます。この下には、現在は暗渠化された玉川上水が通っており、京王線の線路もその上に敷かれていました。この先は、甲州街道との併用軌道になり、戦時中に変電所が爆撃された影響で電圧の低下をきたして、省電新宿駅南口の陸橋を渡れなくなってしまうまでは、現在の「京王新宿追分ビル」のある所、即ち「新宿三丁目」まで乗り入れていました。
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文化学園大学前を通り過ぎ、西に向かうかつての京王線跡。現在もこの下に京王線の地下線が通っています。
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こちらは立川駅北口のペデストリアンデッキ。いつ見ても立派なペデです。
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立川駅北口から歩いて約10分。「昭和記念公園」の入口までやって来ました。
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まだまだ入口の入口くらいですが、それでも広大な敷地になっています。遠くに見える建物は「花みどり文化センター」。「昭和天皇記念館」も併設されています。
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「花みどり文化センター」の中は、子供が思わず駆け出してしまうほどのスペースがあります。ギャラリーやカフェもあり、私が訪れた際はフルートの演奏が行われていました。
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そして屋上は「浮遊の庭」という緑化されたエリアになっています。
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「浮遊の庭」から眺めた立川市街。
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さらに所変わって、「千鳥ヶ淵」近くの土手の上です。
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「首都高都心環状線」が「千鳥ヶ淵」を横切っています。
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「東京国立近代美術館・工芸館」の建物が見えてきました。
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「旧近衛(第一)師団司令部」です。1910(明治43)年築。
1945(昭和20)年8月15日、「宮城事件」の際にここで近衛第一師団長・森赳中将が、クーデターを企図した畑中健二少佐らによって殺害されました。
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スウェーデンのデザイナー・陶芸家である「インゲヤード・ローマン展」が開かれていました。

雰囲気のある建物です。
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近衛師団長であった北白川宮能久親王像。
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帰りは「北の丸公園」を通って、「田安門」から出ました。
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「田安門」から見た「千鳥ヶ淵」。奥に見えるのは「インド大使館」です。
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こちらは「九段会館」側のお濠です。
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そして、九段下の駅に向かう坂道から見た「屋根の上に光る玉ねぎ」。
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