【 うつ病・奇行 】泰葉と春風亭小朝の離婚理由は旦那の浮気? | poohta8のブログ

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真相まとめ 【 一部抜粋 】

泰葉と春風亭小朝の離婚原因を検証

泰葉さんからの一方的な離婚、その後の小朝さんへの暴言等で、泰葉さんばかりが悪い印象を

持たれていましたが、実は、離婚の原因は小朝さんのほうにあるという噂もあります。

 

春風亭小朝(しゅんぷうていこあさ)のプロフィール

出典:https://www.japanarts.co.jp/

本名:花岡 宏行( はなおか ひろゆき )

生年月日:1955年3月6日

出身地:東京都北区

東京電機大学高等学校卒業。

 

師匠柳朝は8代目林家正蔵(後の林家彦六)の総領弟子。8代目の孫弟子に当たる。

また、彦六にとっては2人目の孫弟子である。なお、彦六存命中に真打になった孫弟子は

小朝だけ。少年期から「落語の天才」よばれた。1970年、高校生の時に5代目春風亭

柳朝の下へ弟子入りし、80年には36人抜きという異例のスピードで真打ちに昇進した。

小朝の性格

調べてみると、あまりいい評判はないようです。

「小朝に人望がないのは、落語業界では特に有名。何事も独断専行ですからね。

落語協会会長の鈴々舎馬風も、小朝の扱いには手をこまねいていますよ」

(演芸ライター)

 

引用:大物芸人を怒らせた春風亭小朝の野望と独断専行

 

独断専行な性格は、正蔵襲名披露にも・・・

小朝は当時、協会の理事という重職にもかかわらず、協会に相談もせず、

襲名披露を独善的に進めたことが協会内で問題視されることになる。

 

引用:大物芸人を怒らせた春風亭小朝の野望と独断専行

 

小朝さんは、あのビートたけしさんでさえも利用していたようです。

小朝は、泰葉と結婚する直前まで、岸本加世子と交際していた。ただ、マスコミに書かれるのを恐れて、当時、仲の良かったビートたけしを岸本とのデート現場に

誘って、彼をカモフラージュに利用していたというのは業界内では有名な話。

 

引用:大物芸人を怒らせた春風亭小朝の野望と独断専行

 

あの鶴瓶さんも小朝さんのことはよく思っていません。

一緒に主催していた公的行事に近い落語祭の終了を小朝さんが独断で決めたためです。

鶴瓶もある高座で、「金髪が何でもひとりで決める。私たちは指示に従うだけ」と暴露。「金髪は腹を割らない男」と人格まで批判した。

 

引用:大物芸人を怒らせた春風亭小朝の野望と独断専行

 

離婚原因 ① 小朝の出世欲

「実力もあるし、天狗になるのも無理はない。しかも、彼には強い出世欲が    あって、泰葉との結婚も打算から踏み切ったと囁かれてきました」(同)

引用:大物芸人を怒らせた春風亭小朝の野望と独断専行

 

「アイツは、海老名家が持っている、林家正蔵・三平という名跡欲しさに    結婚した。名誉欲が強い奴だ」と憤慨した(ビートたけし)

引用:大物芸人を怒らせた春風亭小朝の野望と独断専行

 

どうやら泰葉さんとの結婚は、計算づくの政略結婚的なものだったようです。

林家正蔵の8代目の孫弟子であった小朝さんは、林家正蔵の名跡が欲しく、

泰葉さんと結婚すれば襲名できると思っていたようです。しかし、結婚してでも

欲しかった正蔵の名は弟へ渡ってしまい、誤算だったというわけです。 

 

小朝さんが泰葉さんと結婚してでも欲しかった名跡(みょうせき)とは・・・

芸道・芸能や相撲・武道の世界などにおいて代々襲名する名前(フルネーム)。

 

名跡により継承されるのは「信用」「伝統」「歴史」「良きイメージ」    「芸統・気風」すなわちブランドであるが、それのみならず、「顧客リスト  (ハウス・リスト)」(=優良な顧客層、ご贔屓筋、スポンサー、タニマチ、  借金の貸主)そのものも含む。

 

引用:https://ja.wikipedia.org/

 

芸人も誰しも大名跡は継ぎたい。まして、落語界は、

血筋優先の歌舞伎役者と異なり、誰でも襲名争いに「参加」できる。

 

引用:「円生襲名争い」の恥っさらし

 

名跡が継げないとわかり、泰葉さんといる価値がなくなったと言われています。

 

離婚原因 ② 妻・泰葉の母への暴言

ほかにも、泰葉さんのお母さんに酷い呼び名をつけていたことも離婚原因かもしれないですね。

ブログによると、泰葉の元夫・春風亭小朝は、泰葉の母・海老名香葉子のことを  20年間「ゲロ」と呼んでいたのだという。

「私を生んでくれた人をなぜゲロという。私の心の中にたまった20年分の       ゲロは会見の金屏風となり、ピースサインとなって吹き出した

 

引用:泰葉がブログで切れまくり! 小朝は「金髪豚野郎」!?

 

誰でも自分の母親のことを悪く言われてうれしいはずがありません。

あまりにも配慮のない言葉のように感じますね。

 

私、よくお酒を飲みますが、急ピッチで飲んだ時期があったとき、

つまみがイカで食べ過ぎたのか? 吐いた時期がありました パンチ!パンチ!

 

離婚原因 ③ 小朝の浮気癖

 

俗にいう「芸の肥やし」というやつですが、小朝さんももれなくでした。

 “肥やし” は、07年の離婚の原因にもなったという。

 

引用:泰葉、元夫・小朝の“芸の肥やし”黙認していた

 

「すぐ分かりましたよ、芸を見れば。浮気してきたな、って」と当時を振り返って泰葉は話した。「( 落語では )くるわの話とかする。( 浮気した )次の日は

全然違う。うわー、こりゃ浮気しちゃったわ、と」。

 

引用:泰葉、元夫・小朝の“芸の肥やし”黙認していた

 

( 芸が )あんまり素晴らしいんで、いいわ、何十人でもいいわ、って。

20年間ですからね。“何百人” を超えてるんじゃないですかね」

 

引用:泰葉、元夫・小朝の“芸の肥やし”黙認していた

 

芸の肥やしと黙認していたようですが・・・。

何百人と浮気をされたら、心穏やかではいられませんね。

女性問題で、ずっと泰葉さんは苦労したよう、だから怒りが爆発し、      金髪豚野郎になった。泰葉さんの苦悩を、峰さん・正蔵師匠・三平師匠も    知ってるので、豚野郎を否定しない。

 

引用:Yahoo!知恵袋

 

芸の肥やしとは言え、やはり我慢の限界がきてもおかしくないですね。

 

この話は、小朝さんじゃなく、脚本家のジェームス三木さんのことです。プンプン おばあちゃん パンチ!パンチ!

 

 

小朝・泰葉離婚会見、母・海老名香葉子は「現代の離婚を見た」

ORICON NEWS       

 落語家・春風亭小朝が13日(火)、都内で、妻で元歌手・タレントの泰葉(やすは)

との離婚会見を行った。前日夕方以降、一部マスコミが大物芸能人の離婚発表情報を掴んで

いたが、フタを開ければ東の人気落語家のおしどり夫婦による円満離婚会見となった。

「新たな門出の祝福」という意味から、離婚会見には超異例とも言える “金屏風” を

セッティングした泰葉は「今夏頃から、離婚を考えていた。5~6年前には母から

『 本来のあなたではない 』と言われていた」と、小朝ですら初耳という事実も

飛び出すなど、波乱に満ちた会見となった。

 

お母さんから本来来のあなたじゃない」と言われたのは、あの三女が後ろに憑いていて、

変な発言をさせられたり、行動もおかしいと分かったからでは?パンチ!

私も実家に帰った時に、似たようなことを言われた経験があります。

そして、「鳥かごに閉じ込められている鳥みたい」と言われましたが、そんなことはない。

また、あの三女が言わせたんだと分かりました 物申す パンチ!

 

 テレビカメラ18台、およそ150人の報道陣が見守るなか始まった会見。

今年に入り、夫婦揃ってのテレビ出演が多い2人だったが泰葉は、あくまで「思い出作りで

した」と “驚愕” の説明。「私、女将さん業ができない。迷いは無く、江戸っ子気質で

スパっと言ってしまった」。泰葉の父で故・林家三平の命日となった今年9月20日、

「別れてください」と切り出された小朝は「まさかと思った。でも、彼女は本来外で

活躍するタイプ。彼女の人生を考えた時(仕事を)やらせてあげたかった。

今でも仲は良いし “離婚” の現実感はありません」と、神妙な面持ちで話した。

 

2018年19年と9月18日や20日にプレッシャーを感じていました。

理由は、林家三平さんと村山実さんの奥さんが亡くなった日でした ムキー おばあちゃん パンチ!パンチ! 星

 

 離婚届は、前日12日に提出。泰葉は今後、小朝の個人事務所の役員を務めながら、

再来年に控える実弟・林家いっ平の二代目・林家三平の襲名披露イベントなどのプロデュースを手がけ、小朝の高座なども手伝う。住居についても、「同じマンションに住んでていたい。

言ってしまえば、夫婦から “援助交際” になる感じ」と小朝がラブコールを送るも、

一方では「芸は尊敬できたが、( 夫婦間の会話が )仕事のことばかりだった」と

 “不満” もポロリ。「16歳に戻った感じ! 私は、早く自立してバンバン稼ぎたい」と

再出発の目標を語る目は、活き活きと輝いていた。

 共に「浮気、不倫は無かった」とあくまで “円満離婚” を強調、今後も仕事の

パートナーとして歩んでいくと誓った2人。意気揚々と「会見とかけて、泰葉と解く。

その心は・・・“コワサ” 知らず!」と、なぞ掛けまで披露する夫妻を林家正蔵と共に、

両脇で見守ったいっ平は「昨日、飲んだくれて泣いた。別れて欲しくなかった」と

関係修復を求めていたという。また、会見同日に泰葉の実家がある東京・台東区では

母・海老名香葉子も急遽取材に応じ「お騒がせして、申し訳ございません」と謝罪。

離婚については「本気にしてなかった。( 離婚届提出後 )海老名に戻ります。

よろしくお願いします」と、泰葉から報告があったことを明かした。また、泰葉の女将っぷり

には「化粧もせず、いい女将さんをしていたが、仕事を与えてしまった小朝さんにも

責任はある。彼、家のカギを持たずに外出するのでいつ、帰ってくるのか判らず留守にも

できなかった」と語り、最後には「今の時代の離婚を見たと思う。でも、2人共子供好き

だけど、泰葉が『私も子供が欲しい!』ってよく言ってた。子供がいたら、多少我慢

してたでしょうね」と、結婚21年目の “終止符” の原因を分析していた。

【補足】

旦那の春風亭小朝さんとの子供が欲しかったという泰葉さんは離婚後に、開運離婚」という

本を出版していてその中では、旦那の風俗通いや、夜の営みがないことを暴露しています。

寝室も別々で春風亭小朝さんは子供を望んでおらず、コミュニケーションも少なかったと

いうから夫婦の関係は修復できない状態にまでいってしまったんですね。

これらのことで二人の離婚理由は、

  • 春風亭小朝の浮気が原因
  • 二人のコミュニケーションが不足
  • 子供が欲しいという泰葉に対し旦那は子供が欲しくなかった

ということになりますけど、小さい火種になるものは他にもいっぱいあったんでしょうね。

 

 

春風亭小朝、不倫証言の元妻・泰葉を痛烈批判 

「遠くから石を投げられてる」 ORICON NEWS    2008-05-23 06:0

 一部週刊誌で “3人の天使” と称される女性マネージャーとの不倫疑惑について、

元妻でタレントの泰葉から証言された落語家・春風亭小朝が22日(木)、

都内で行われた映画『 ぼくの大切なともだち 』のトークイベントに出席。

「(彼女たちとの)同棲はありませんよ」と恋愛関係にはないとして否定した小朝は

「今は自由な身。本命はいないがアイドルと付き合いたい」と悪びれずに語り、

さらに「遠くから石を投げられている」と泰葉を痛烈に批判した。


 イベント後の会見途中に「(後ろに)天使たちが今日も来ています」と “話題の女性” 

たちを堂々と紹介した小朝は、離婚後に夫婦生活を暴露し続けている泰葉について

「遠くから石を投げるのは止めて欲しい」と皮肉り、「今後、友人として付き合いたいが

それは彼女次第ですね」と辛らつなコメント。また、離婚後の高座には花束や連絡先が

書かれた手紙などが再び多数届くようになったという小朝は「今は寂しくないですよ」と笑顔。この日のイベントで初顔合わせとなったお笑いタレント・ふかわりょうから「節目ごとに

相談に乗って欲しい」とせがまれると、これには「僕は元奥さん以外のことはよくわかります」と自虐ネタで締めくくり、会見終了後は “天使” たちと足早に会場を立ち去った。

 映画『ぼくの大切なともだち』はフランスの名匠・パトリス・ルコント監督の最新作。

親友から裏切られた骨董商と、過去に妻を親友に奪われるという苦い経験を持つ

タクシードライバーが出会い、友情を育む様子を描いている。6月14日より公開。

【補足】

 

岸本加世子の恋愛遍歴 ①:春風亭小朝

出典:nikkan-gendai.com

 

岸本加世子さんは、以前は落語家の春風亭小朝さんと結婚寸前だったと言われています。

しかも、なかなかのオープンな交際だったそうです。

2人が交際スタートさせたのは岸本加世子さんが20歳の頃です。

岸本が週刊誌の対談で「モンチッチのような顔をした落語家が好きだ」と言えば、小朝もテレビで「好きな人は岸本加世子さん」と宣言するなど堂々としたもの。  岸本が神津善行・中村メイコ夫妻に仲人を頼んでいるという証言まで

飛び出す騒ぎとなった。

 

引用:岸本加世子 結婚秒読みとみられていた小朝との破局|日刊ゲンダイDIGITAL

 

春風亭小朝さんは付き合っていることを認めていましたし、岸本加世子さんは

「結婚して女優をやめたい」と中村メイコさんに相談していた。

また、結婚への憧れも口にしていたそうです。

 

結婚秒読みと言われつつも、ずっと交際を続け、同棲報道まで飛び出しましたが、

結婚はしなかった2人ですが、1987年に春風亭小朝さんは泰葉さんと婚約を発表し、

岸本加世子さんとの交際は破局を迎えました。

この春風亭小朝さんの電撃婚約は、自分の出世のために岸本加世子さんではなく

泰葉を選んだのではないか?と言われています。

 

本当の事は分かりませんが、私は出世の為でななく、好きで結婚したんだと思います ラブラブ

泰葉さんが好きですと言って押されて結婚したんですが、小朝さんが岸本さんとの

結婚がダメになり破局を迎えた後に泰葉さんと、だから電撃的に  笑ううさぎ おばあちゃん  ハートブレイク  パンチ!パンチ! 
( 気持ちが結婚したいと思っている時に、その隙間に入ってきた )

私も、あの母親の気持ち「寂しい」を感じていました 物申す おばあちゃん パンチ!パンチ!

 

 

桂三木助の奇行・自死は春風亭小朝のいじめが原因 ?

真相を調査!     【 一部抜粋 】

 

四代目桂三木助

出典:https://twitter.com/

桂三木助は精神面が鍛えられなかったことが後に仇となる

 

桂三木助は苦しい下積み時代を経なかったことから、メンタル面が鍛えられなかったようで、

それも自殺に追い込まれた理由のひとつになるようですね。

 

落語家としての才能に恵まれていた桂三木助は、「落語会のシティーボーイ」として

人気を博し、春風亭小朝と並んで次世代のホープと目されることになります。

この頃に二つ目に昇進し、前座名を柳家小きんに改名しました。

さらに俳優やテレビリポーターなど、タレントとしても活動していた桂三木助ですが、

『 NHK新人落語コンクール 』で優秀賞を獲った翌年1985年に四代目・桂三木助を

襲名しました。しかし、華々しい活躍の裏では、”桂三木助” の名前のプレッシャーに苦しみ、

荒れた生活を送っていたようです。

 

若い時から、小さん師匠や先輩達から厳しく指導してもらっていたら、

もっと強くなり、多少の事なら乗り越えられたのかもしれませんね プンプン おばあちゃん パンチ!パンチ!

 

桂三木助は、大病をして死生観が一変した

四代目桂三木助

出典:https://twitter.com/

桂三木助は重度の胃潰瘍で胃の4分の3を摘出

 

”桂三木助”を襲名し、過度のプレッシャーから精神的に弱かった桂三木助は、

毎晩のようにビールを3Ⅼ飲み、睡眠薬がないと眠れない日々が続いたようです。

その結果、重度の胃潰瘍にかかり胃の4分の3を摘出する手術を受けました。

以降、お酒がほとんど飲めなくなったことも余計精神を蝕む結果となったようです。

プレッシャーと戦いながらも、新人落語家の発掘や中堅落語家のスキルアップで

多くの寄席や落語イベントへの出席など、春風亭小朝、林家こぶ平、春風亭昇太らと

奔走する日々が続きました。

 

1996年から桂三木助の歯車は狂いだし、奇行が目立つようになってきます。

暴漢に襲われて怪我をし、公演中止になった事件が起きた後あたりから、

桂三木助は度々寄席に遅刻したり、無断で欠席するようになりました。

身だしなみにも頓着がなくなり、ボロボロに見える風貌を嫌った客が

「桂三木助だけは見ない」と敬遠する人も少なくなかったようです。

 

四代目桂三木助

出典:https://twitter.com/

桂三木助は、ついに自殺に追い込まれます。

 

奇行が多くなり精神的に限界を迎えつつあった桂三木助は、周囲の人に

「30代で死ぬかもしれない」「( 死ねば )かつて一緒に遊びまわっていた

病死した、自殺した、変死した仲間に会える」と漏らしていたようです。

愚痴を漏らした相手の中には、春風亭小朝も含まれていたという。

 

桂三木助は仕事へのプレッシャーとは別に、プライベートで長年付き合いのあった

友人との金銭トラブルや、胃の摘出で如実に変化した体調の悪さも精神的に

追い込まれる要因になっていました。そして2001年1月2日、5代目柳家小さんの誕生

パーティーを欠席した桂三木助は、自宅のベランダで首を吊って自殺してしまいます。

第一発見者は、桂三木助の母で桂三木助のマネージャーをしていた姉が5代目小さんの

誕生パーティーに来ていないことを不審に思い、母に様子を見に行ってもらった

ことから発見されました。

 

桂三木助の遺書が発見され次のように書かれていたようです。

「か 自分でも整理がつかないと同時に私の力のなさを痛感する」

 

引用:Wikipedia – 桂三木助 (4代目)

 

桂三木助と仲が良かった林家こぶ平ら落語家により、三木助を送る会『さよなら!ミッキー』

が催されましたが、この時、春風亭小朝も桂三木助の突然の死について悲しみを

募らせていたようです。しかし、桂三木助の自死から16年あまりが経過し、

これまで沈黙していた泰葉がブログで元夫の春風亭小朝を名指しで

「桂三木助は春風亭小朝のいじめで自殺した」と告発しました。

 

なぜ、このタイミングで泰葉は告発しようと思ったのでしょうか?

そこには、泰葉の長年に渡る春風亭小朝からの虐待に耐えた日々と

決別をする意志が隠れていたようです。

 

不眠症、プレッシャーや体調が悪くなり、死へ追い詰めたのはあの姉妹です。

か ← この事が証拠です。尾崎豊も奥さんの元へ帰ってきた時に「かかか」と

言って笑っていたと。か=怒りを表します ムキー おばあちゃん パンチ!パンチ! 星

 

泰葉、ブログで桂三木助の自殺の原因は、春風亭小朝と暴露

泰葉

出典:https://amd.c.yimg.jp/

泰葉は20年に渡り元夫・春風亭小朝から虐待を受けていた?

 

泰葉は泥沼協議の末に春風亭小朝と離婚が成立しましたが、泰葉の告発が本当なら

春風亭小朝は、かなり質の悪いDV夫だったということでしょう。
 

泰葉は2017年4月24日に、突然自身のオフィシャルブログで「告発」と題して

元夫の春風亭小朝の闇を暴露しました。その内容は、桂三木助の自殺の原因は春風亭小朝の

いじめによるものだったということですが、その過激な内容にネットが騒然としています。

 

この泰葉の告発が事実なら問題ですが、実は落語界では周知の事実として知られているという。

故四代目桂三木助の自殺は

小朝のいじめによるものでした

これは

落語界の中では

周知の事実です

関係者に聞いてください

 

私がいくら

泣いてすがって

三木助を助けてくれと言っても

小朝は知らんふり

 

大名跡三木助を襲名させ

「芝浜」という

大ネタをかけろと

無理強いし

散々叩かれ

それを

薄笑いしていた姿を

忘れられません

 

命まで奪った

小朝は

心から三木助に

謝罪してほしいと思います

 

引用:泰葉オフィシャルブログ – 告発2

 

泰葉のブログでは「告発」「告発2」「告発3」と3つ立て続けに記事を更新しています。

「告発」では、泰葉が結婚後20年に渡り春風亭小朝から命の危険を感じるほど

虐待を受けていたこと。

 

「告発2」では、桂三木助は春風亭小朝のいじめにより追い詰められて自殺したこと。

 

「告発3」では、長い期間言い出せなかった春風亭小朝の暴虐を告発することができて

幸せを感じていること、そしてこれからの人生を楽しく生きるというメッセージでした。

 

占い師の母が「見て見ぬふりをしてはいけない」と言われた記憶がありますが、

このことを言っていた?小朝さんにお願いしても聞き入れてもらえなかった プンプン おばあちゃん  パンチ!パンチ!

 

泰葉

出典:http://www.hochi.co.jp/

泰葉の告発の目的は自分がスッキリしたかった?

 

春風亭小朝から長年虐待を受けていたこと、桂三木助の自殺も春風亭小朝のいじめが

原因だったことを告発した泰葉ですが、法的に訴えるなど明確な目的はなく、

自身の鬱屈した気持ちを吐露したかったようです。

特に、告発3での泰葉から春風亭小朝へ送った新たな称号について話題が

集まっているようです。

私は私らしく

小朝に

新たな

称号を与え

本日の告発を終了します

 

恐怖の金髪SM豚野郎!

 

人生を楽しもう!

yasuha

 

引用:泰葉オフィシャルブログ – 告発3

 

かつて、ブログで泰葉が春風亭小朝に対して送った言葉が「金髪豚野郎」でした。

そして、「恐怖の金髪SM豚野郎」と、さらに春風亭小朝への畏怖や悪感情の混じった

ものへと昇華しました。

 

この暴言により、泰葉が長い間溜め込んでいた鬱憤が晴れたような印象を受けますね。

 

今回の泰葉の告発について、今後ワイドショーで取り上げられるのか、それともスルーされる

のかはわかりませんが、春風亭小朝への見る目が変わった人は少なくないのかもしれません。

 

桂三木助は春風亭小朝を ”兄さん(あにさん)”と慕っていた?

春風亭小朝

出典:http://image.excite.co.jp/

桂三木助は、自身の葬儀委員長を春風亭小朝にお願いしていた

 

春風亭小朝は、デイリー新潮のインタビューに応えていたようで、それによると

桂三木助は、まだ柳家小きんを名乗っていた頃に自身の死期を察していたのか、

春風亭小朝に葬儀委員長をお願いしていたようです。

泰葉の言い分では、春風亭小朝のいじめによって桂三木助は精神的に苦しみ自殺してしまった

ということですが、春風亭小朝の話では桂三木助に葬儀委員長をお願いされていたという。

桂三木助が自身の葬儀の取り仕切りをお願いするというのは、想像を超える苦しみを抱えて

いたと思いますが、春風亭小朝を”兄さん(あにさん)”と呼んで慕っていた様子が伺えます。

「これはシャレじゃないと感じて “何でそんなこと言ってんの?” って     聞いたんです。すると “兄さん、僕ね、長くは生きられないと思うので、    今のうちにお願いしときたいんですよ” って。こんな話をされること      自体がショックだったから、“分かったよ” って話を終わりにしたんです。       もちろん、2人とも素面(しらふ)でした」

 

引用:デイリー新潮 – 「桂三木助」がオランダで「小朝」に打ち明けた

忍びよる自死の予感

 

春風亭小朝はさらに、桂三木助が自殺する直前に仲間と一緒に飲んでいた時の様子を

語っていますが、春風亭小朝が桂三木助を気にかけていたことが伺える言葉を使っています。

「肉料理やイタリアンが大好きだったのに “兄さん、お袋のね、サバの味噌煮が  旨いんですよ” なんて言う。それからある時、寄席を終えて仲間と飲みに行ったら、“好きな人たちとこうやっているのは楽しいなあ” って呟いたんです。らしく ない言葉に、僕は“相当弱ってるなあ”って心配していた矢先の自殺だったんです」

 

引用:デイリー新潮 – 「桂三木助」がオランダで「小朝」に打ち明けた忍びよる

自死の予感

 

春風亭小朝が桂三木助が嫌いでいじめていたらなら、こうしたリアリティのある

回想は中々思いつくものではないでしょう。もしかすると、泰葉の目にはいじめと

映るような春風亭小朝と桂三木助のやり取りがあったのかもしれませんが、

泰葉の告発をそのまま事実として受け取るのは早計なのかもしれませんね。

 

三木助さんから、そんな言葉を言われた時に、もっと親身になって聞いてあげて

欲しかったと言っても、突然起こる事なのでどうしようもないですね ムキーおばあちゃん 爆弾 パンチ!パンチ!

 

天国で、友達や先輩たちと楽しい話や落語の話で盛り上がって下さい ニコニコ おばあちゃん 虹

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

小朝さん、まだ再婚していないんですね。

良い人が出来れば、今度は幸せになって下さいね。

心身ともに健康で落語などを頑張って下さい 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

 

伊勢物語 第88段 月をもめでじ 【古今】

 

昔、それほど若くはない男が、いろんな友達と集まって、月を見た。

その中の一人が 月をすばらしいなどとは決して言えないぞ。

なにしろこいつが積み重なるせいで、人は年を取るのだから。

 

【定家本】

むかし、いと若きにはあらぬ、これかれ友だちども集りて、月を見て、それがなかにひとり、

 おほかたは 月をもめでじ これぞこの つもれば人の 老いとなるもの

 

【朱雀院塗籠本】

むかしいとわかき人にはあらぬこれかれともだちどもの月を見ける。それが中にひとり。

 大かたは 月をもめてし 是そ此 つもれは人の 老となるもの

 

【真名本】

昔、いとわかき人にあらぬ、是れ彼れ朋友ともだちども集まりて、夜景つきを見て、其れが中に一人、

 大方は 月面不目出つきをもめでじ 是れぞ此の 積もれば人の 老いと成る物

 

【解説】

「おほかたは」否定を伴って、「まったく」「全然」と訳せばよいか。

 

『朱雀本』では第119段と120段の間に見える。

 

『業平集』55番「月を見て」『古今集』0879

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました 愛飛び出すハート