青木拓麿「オレ、終わってないぞ」下半身不随のライダーの挑戦 | poohta8のブログ

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「周囲のサポートとそれを素直に受け入れる自分がいれば、誰だって
何だってできる!」多くの人にそのことを伝えたいという気持ちとともに、
鈴鹿のサーキットを駆け抜けた元世界GPライダーの挑戦に迫る。 
【捕捉】
青木 拓磨( あおき たくま、1974年2月24日 - )は、日本オートバイ
ロードレースライダー、現在はプロレーサー。群馬県子持村(現渋川市)出身。
青木三兄弟」の次男であり、兄は青木宣篤、弟は青木治親
 
 
 
 世界の頂点に手を掛けようとしていた。遠い夢でも届かない憧れでもない。
具体的な現実として、それは青木拓磨さんの目の前にあった。2輪レースの最高峰、世界グランプリ( 現Moto GP )は、各国選手権を勝ち上がったレーシングライダー
だけが参戦できる最高の舞台だ。 そこに参戦した拓磨さんは参戦初年度の1997年
には年間ランキング5位につけ、さらなる活躍が期待されていた。しかし翌1998年
シーズン開幕前、マシンのテスト走行中に事故に遭い、下半身不随になった。
バイクに乗ることは、想像以上の全身運動だ。特に下半身で車体を押さえることは、ライディングの基本中の基本とされる。さらに右足で後輪ブレーキをかけ、左足で
シフトペダルを操作してギアを変える。 下半身が動かない拓磨さんはバイクに
乗れなくなったが、モータースポーツをあきらめるつもりはなかった。
「クルマのレースがあるじゃないか」と、すぐに気持ちを切り換えていた。だが、
障がいを理由に国内で4輪レースに出るためのライセンスがなかなか下りなかった。やむなく海外でレースに参戦したが、「日本ではなぜダメなんだ……」と意気消沈
した時期もあった。 そんな折りに、F1ドライバーで下半身不随のクレイ・レガッ
ツォーニさんと出会った。免許取得すら困難だった時代の話を聞き、「オレより
がんばってきた人がいる。オレももっとやらなきゃ。この人を超えなきゃ」と、
気合いが入った。約5年をかけた懸命な働きかけが功を奏し、日本国内でもライセンスが発給された。 現在は国内外の4輪レースやラリーに積極的に参加している。
今年はルマン24時間レース併催の「ロード・トゥ・ルマン」で完走を果たした。
来年はルマン24時間レースに参戦する予定だ。「人生は、チャレンジし続けなくちゃいけない。チャレンジしている限りは、『オレ、終わってないぞ』と思えるんだ
から」4輪レースに取り組む一方で、拓磨さんはバイクに乗ろうと思ったことは
ほとんどなかった。 「クルマならひとりで乗れるけど、バイクは無理だからね。
乗りたい気持ちはもちろんあったけど、むずかしいだろうなって思ってた」ふたつの車輪で走るバイクの姿は颯爽としてダイナミックだ。だが止まっているバイクは、
自立できない。スタンドか、人の支えが必要だ。「迷惑をかけちゃいけない」と、
拓磨さんは自分の心にストッパーをかけていたのだった。 スクーターや、3輪バイクの「トライク」などに乗る機会は多少あったけれど、本格的なマニュアル操作の
バイクからはずっと遠ざかっていた。チャレンジを重視する拓磨さんでさえ、
「バイクは無理だ」と決めつけていたのだ。 つづく
【補足】
ロードレースライダー時代

 兄弟のふたりと同じくポケバイミニバイクレースを経て、1990年にロードレース

デビュー。1991年に国際A級に特別昇格し、全日本ロードレース選手権GP250クラスに参戦。兄弟ふたりが海外進出しても国内に残り、1994年はGP500クラス廃止により国内最高峰となったスーパーバイククラスへ転向。1995年はホンダワークスのHRCに入り、全日本チャンピオンを獲得した。また、NSR500に乗りワイルドカード枠で出場したロードレース世界選手権日本GPで3位表彰台を獲得した。

1996年はスーパーバイククラスの連覇を達成。

 

               

           1997年レプソル・ホンダのライダーたち。

           左から青木、クリビーレドゥーハン岡田

 

1997年には世界GPのGP500クラス(現MotoGP)レプソル・ホンダより

フル参戦。NSR500に比べ戦闘力の劣るNSR500Vながら、開幕戦マレーシアGPで

一時トップを走行。イモラでは宣篤と兄弟で表彰台に立ち、最終戦オーストラリアはアレックス・クリビーレと優勝を争い、僅差の2位。フル参戦初年度ながら

表彰台を3回獲得し、年間ランキング5位を獲得した。

1998年、シーズン前に結婚し、公私ともに充実した時に事故に見舞われる。

2月に栃木にあるホンダのテストコースでテスト走行中、右コーナーでハイサイド

起こし、バイクのタンクに乗りかかる格好でコースアウト。速度は50km/hも出て

いなかったが、バリアに頭部から突っ込み、脊髄損傷のため下半身不随となる。

 

あの3姉妹も青木選手の兄弟と似ていて、長女と三女が幼い時から日本に遊びに

来ていましたが、本人たちは遊びでも、やられている人は凄い迷惑  パンチ!パンチ!

その延長で今までの事故やケガ、自殺や病死などがある 物申す パンチ!パンチ!パンチ!  星 むかっ

 

この事故、何故起きたのか知りたくなってきました。

雨も降っていない、速度も50km/hも出ていなかった、

もしかすると、何らかの力が加わったのかも?ムキー パンチ!パンチ! 

バリアに頭部から突っ込んで即死じゃなく、下半身不随で命が助かって

良かったですが、本当は、もっと軽かったら・・・新婚ホヤホヤでだったのに、

奥さんや周りの人達に助けられて良かったですね 星  照れ ラブラブ 

 

 青木拓磨(あおき・たくま) 1974年、群馬県生まれ。
幼少期よりバイクレースで頭角を現す。1995~1996年、2年連続で全日本ロード
レース・スーパーバイククラス王者に。1997年には世界GP最高峰クラスに参戦。1998年開幕前の事故で下半身不随となった。現在は4輪レースに参戦しながら、
イベント主催などに積極的に取り組む。     文/高橋剛 写真/真弓悟史、大谷 耕一 
協力/ RIDERS CLUB 

 

 

“君は何でもできる!” 医師からの言葉で再起した元WGP

ライダーの青木拓磨 下半身不随から24年越しの挑戦 

車いすのレーサー、「ル・マン24時間」に参戦!

 公開|スポーツマニア編集部
ATHLETEBANKのプレスリリース

 

元WGP(ロードレース世界選手権、現Moto GP)ライダーで、24歳の若さで

脊髄を損傷し下半身不随となってしまった車いすのレーシングドライバー・青木拓磨(あおき たくま)が、24年間の苦難を乗り越えて、今月開催される「ル・マン

24時間レース(以下、「ル・マン」)」に参戦いたします。青木が合流している「SRT(ソーセ・レーシング・チーム)41チーム」は、代表のフランス人実業家・

フレデリック・ソーセ氏はじめ、ドライバーも3人中2人が障がい者で構成されており、特別枠の「イノベーティブ・カー」クラスから24時間耐久レースに挑みます。

 

報道関係者各位

 

(SRT41チーム)(SRT41チーム)

■第89回ル・マン概要

 

日程(現地時間):2021年8月21日(土)16:00~8月22日(日)16:00
場所:フランス ル・マン市サルト・サーキット
ル・マン公式サイト:https://www.24h-lemans.com

■ル・マンの凄さ、知っていますか?
世界三大レース(※1)の1つ。モータースポーツ発祥の地フランスのル・マン市で行われる四輪耐久レースで、1周13.626kmのサーキットを24時間で走破した距離を競います。例年、夏至に近い6月に開催していますが、第89回(2021年)は新型コロナウイルスの影響により8月21日(土)~22日(日)へと延期となりました。

ル・マンはエントリーすれば参加できるわけではありません。参加条件はとても

厳しく、現在は前年のル・マン他各シリーズの大会結果に従ってエントリー可能な

チームが選出されています。それらの大会の参加費は100万ユーロ(約1.3億円)、ル・マンの参加費も100万ユーロです。つまり、ル・マンに参戦するのには

200万ユーロ(約2.6億円)もかかるのです。また、ル・マンで総合優勝すると、

賞金は4万ユーロ(約520万円)と高額ではないですが、多くのスポンサーが

付くため、年収が40億にもなるドライバーや、欧州では女王からナイトの称号を

授かったドライバーもいます。
※1世界三大レースとは、各カテゴリーで最も歴史と伝統があると言われている

WEC(世界耐久選手権)のル・マン、F1(フォーミュラ1)のモナコGP、インディーカーシリーズのインディ500のこと。テニスで例えるならば、グランドスラム

(全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンというテニス界の

世界四大大会)、ゴルフでは、四大メジャー選手権(マスターズ・トーナメント、

全米オープン、全英オープン、PGA選手権)に該当します。

 

1974年生まれ。プロレーサー。
8歳の時に初めてポケバイに乗り、1990年にロードレースデビュー。1995年・1996年、全日本選手権スーパーバイククラスチャンピオン2連覇を獲得。また、1996年は世界選手権スーパーバイククラスでも優勝。1997年には世界最高峰のロードレース世界選手権500ccに参戦し、世界ランキング5位を獲得したが、翌年の1998年、開幕前のテスト中に転倒。この時に脊髄を損傷し、下半身不随の後遺症を負ってしまった。以来、車いすでの生活を送っている。その後、HRC(ホンダ・レーシング)チームの助監督に就任し、鈴鹿8時間耐久を3連覇させ、レンタルバイクによる耐久レース「Let’s レン耐!(http://rentai.takuma-gp.com/)」を主宰するなどバイク

業界に貢献。2007年にレースに復帰し、その後も「ダカール・ラリー」や様々な

四輪レースに健常者と同じ舞台の上で参戦するなど精力的な活動を続けている。
そして、今月21日~22日(現地時間)、世界一の四輪レース「ル・マン」に

参戦する。(NHKBSによる密着ドキュメント番組の放送予定あり。)
青木拓磨公式サイト:http://www.takuma-gp.com/

 

ル・マンまでの道のりは四半世紀
 バイクの最高峰WGP500に参戦し、世界チャンピオンが目の前に来た時、

瀕死の大怪我を負い、下半身不随となってしまった青木拓磨。レースへの情熱を捨て切れずに四輪レーサーへ転向し、ル・マンに挑戦するまでには24年もかかりました。そんな苦渋の日々を過ごし、乗り越えた青木のターニングポイントとは

どのようなものだったのかご紹介いたします。


1.Dr. Greenからの救いの言葉
復帰の可能性を求め、青木は米国マイアミ大学内のマイアミ・プロジェクトを

訪ねました。そこで、Dr. Greenから “君は何でもできる!”と言われたことが

救いの言葉となり、今の青木があります。


2.元F1ドライバー・故クレイ・レガツォーニとの出会い
青木拓磨が四輪を目指すきっかけになったのは、元F1ドライバーのクレイ・レガッツォーニ氏(以下。「レガッツォーニ」)との出会いでした。レガッツォーニは、

レース中の事故で下半身不随となりましたが、車いすレーサーとしてサーキットに

復帰しました。青木はレガッツォーニが来日していることを知りホテルを訪れ、運転免許すら発行されなかったにもかかわらず自ら補助装置を開発してレーサーに復帰

したことや障がい者に冷たい時代に立ち向かい続けたことを聞き、触発されました。

そこで、2007年に日本ではなく海外でレースライセンスを取得し、同年、車いす

レーサーとしてFIA(国際自動車連盟)アジアクロスカントリーラリーに出場

しました。これが青木の復帰戦です。そして、事故から13年後に日本でも

レースライセンスを獲得し、2012年には国内レース復帰を果たしました。


3.フランス人実業家・フレデリック・ソーセ率いるチームと共にル・マンに挑戦
チームオーナーのフレデリック・ソーセ氏(以下、「ソーセ」)は、人食いバクテリアにより四肢切断となってしましたが、2016年のル・マンに参加して完走して

います。そのソーセが率いるチーム・SRT(ソーセ・レーシング・チーム)41に、

世界中の障がい者レーサーを呼んで、2020年のル・マンに出るプロジェクトが

立ち上がり、青木が候補にあがりました。その後、青木は頻繁にフランスに行き、2018年にSRT(ソーセ・レーシング・チーム)41に入り、そして、

今年ソーセやチームメンバーと共にル・マンに挑戦いたします。

 

欧米に比べ日本は、障がい者の対応が遅れているとTVで数十年前に観ました。

バリア―フリーはもちろんのこと、バスに乗る時に車いすを台に乗せて自動で上がるのを観たり、障がい者に対して優しいなど、本当に日本は遅れていると思いました。今は、以前に比べ障がい者に対しての対策を取っているのが分かります ニコニコ ドキドキ

( LIVE会場の席までの案内や障がい者席を設けられたり、など )

数年前に報道ステーションで、中山ゴンさんが障がい者席などを紹介していましたサッカー

サッカー協会は、障がい者に対する気遣いをしてくれていると初めて知りました 照れ

私達が知らないことをもっと教えて下さい。そして、老若男女、子供が

平和で安心、安全に住める世界を目指してほしいですね 照れ おばあちゃん 虹

 

青木拓磨さんは不慮の事故の後、レースへの情熱を忘れられなくてアメリカまで

行き医師と出会い、この人の言葉で救われたとありますが、本当に、この出会いが

ターニングポイントになりレースライセンスを取得し、ル・マンに出場できる

までになったのは、青木さんの努力とみんなのおかげですね。ここまで来れたのも、

いろんな苦労があったと思いますが、乗り越えてこれたのは、やっぱり夢があった

からですね。その夢を叶えなれて良かったですが、また違う夢があると思うので

みんなと協力をして頑張って下さい。ニコニコ 自転車 車 虹

 

占い師の母が「待っていてもぼた餅は落ちてこない。

ぼた餅が落ちてくるところまで動かないと!」よく分かってきました 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

 

「まさか再び」義足や下半身まひの元ライダーが

バイクに跨り箱根を疾走

世界初の試み、障がい者ライダーのための「箱根ターンパイク貸し切り走行会」

2022.6.20(月)柳原 三佳follow

   バイクに跨る丸野飛路志さん。丸野さんの右足は義足だ(筆者撮影)

 

( 柳原 三佳・ノンフィクション作家 )

「22年前、突然の事故で右足を失ったときには、まさかこんな日が来るなんて

想像もできませんでした。自分だけじゃありません、脊髄損傷で下半身まひに

なった友人も一緒に、バイクで箱根を走れるとは……、夢のようです」

 

 感慨深げにそう語るのは、埼玉県の丸野飛路志さん(59)です。

話を聞いて驚きました。下肢などに重い障がいを負った方々が、

自身でバイクを操って、9月に一般道をツーリングするというのです。

コースは、神奈川県の観光有料道路「箱根ターンパイク」。なんとこの日は、

「小田原料金所~大観山」を貸し切って、障がい者と健常者のライダーが、

一緒に往復走行するという計画が進行中なのです。

「青木三兄弟」によって立ち上げられたプロジェクト

 この走行会を主催するのは、『 一般社団法人SSP( Side Stand Project=

サイドスタンドプロジェクト )』(https://ssp.ne.jp/)。2輪の世界グランプリで

レーシングライダーとして大活躍した「青木三兄弟」の長男・青木宣篤選手と、

三男・治親選手が発起人となって、2019年に立ち上げられた非営利支援団体です。

『 交通事故等で障がいを負い、バイクを諦めざるを得なかった元ライダーたちに

再びバイクに乗ってもらい、バイクを楽しんでもらえるように 』と、

一度は諦めざるをえなかった彼らの “夢” と “希望” を応援しているのです。

実は、青木三兄弟の次男・拓磨選手は、1998年、GPマシンのテスト中の事故で

脊髄を損傷、車いす生活を余儀なくされました。宣篤氏と治親氏は、そんな拓磨氏になんとかもう一度バイクに乗ってもらいたいと考え、「Takuma Ride Again」と

いうプロジェクトをスタートさせます。それが、現在の

「サイドスタンドプロジェクト」の取り組みのきっかけとなりました。

 

1997年、ドイツ・ニュルブルクリンクで開催されたドイツGPに出場したときの

青木拓磨選手。写真は大会直前の練習時のもの(写真:ロイター/アフロ)

 

青木拓磨さんや車いすの人が、またバイクに乗れるというのは奇跡ですね。

そういうプロジェクトがあって、みんなが楽しくバイクを乗れて良かったですね ニコニコ

 

 

伊勢物語のあらすじ

三十四 つれなかりける人


むかし男が
相手にしてくれなかった人に贈った歌

 言おうとすれば言えないし                 いへばえに
 黙っていれば落ちつかず            いはねば胸にさわがれて
 自分の心の中だけで                    心ひとつに
 このごろ嘆いているのです                嘆くころかな

臆面もなく苦しい気持ちを歌にしたのだろう。

 

【 別の解釈 】

(Cf. 在原業平825-880)「第34段 つれなかりける人」:

業平は、貴種のプレイボーイなのに、チャーミングだ!

2022-01-13 09:33:29 | Weblog

 

むかし、男が、すげない女(「つれなかりける人」)のもとに歌を贈った。

「いえばえにいはねば胸にさわがれて心ひとつに嘆くころかな」
口に出して言おうとすれば言えず(「いえば得に」)、

言わなければ胸のなかに思い乱れて、私の心の中だけで

(「心ひとつに」)嘆くばかりのこのごろだ。

男は面目もなく恥を忍んで(「おもなくて」)言ったのだろう。

《 感想1 》

在原業平は貴種(天皇の孫)であり浮名も大層流す有名人だ。

反感を持つ上流の女性も少なくなかったのだろう。

「第31段 よしや草葉よ」では「身分の高い女房」が

「しゃあしゃあと栄えている草葉め、のちにどんなひどい姿になるか、

お前の本性を見てやりましょう」と言っている。

「なんと憎らしい男だ」と評する女(「ねたむ女」)もいる。

   
《 感想2 》

業平は自分を「憎らしい」と思いすげなくする女(「つれなかりける人」)に

対しても純情だ。男(業平)は面目もなく恥を忍んで(「おもなくて」)、

あなたを好きですと伝える歌を贈った。女からの返事はあるはずもない。

業平は、貴種のプレイボーイなのに、チャーミングだ。

 

 

毎日、オリンピックで盛り上がっていますね。

昨夜は、男子66キロ級に阿部一二三選手が金メダル、スケボー女子は金銀のメダル。

フェンシングは日本初の金メダル。凄いですね、日頃の努力が実ったんですね。 

これからも頑張って下さい。応援しています ニコニコ おばあちゃん サッカー 虹

 

 

人の仕事の邪魔をしないで、思考低下しないで、中枢神経を触って来ないで 物申す パンチ!

人の感情パワーを抑えないで、感情を思ってこないで、痛くしないで パンチ!

人の後ろに憑かない、憑依して人をコントロールしないで、トイレ関係も ムキー 爆弾 パンチ!

人の過去を水晶で見ない脅さない。過保護。個人情報保護法、プライバ―侵害 パンチ!パンチ!パンチ!

言葉で人を傷つけないで(バッサリ斬らないで)。深夜に連絡をしてこないで プンプン パンチ!

責任は個人と、全部の責任はお母さんに取ってもらうから。3つの契約書 パンチ!パンチ!パンチ! 星 むかっ

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート