マスメディアの反応
この事件の加害者が、4名とも未成年者であったことなどから、本事件は大々的に
報道された。しかし刑事裁判で事実関係が明らかになるまで、新聞・週刊誌・テレビなどの報道においては、少女の実名・顔写真が報道される報道被害が発生した
ばかりか、以下のようなセカンドレイプ同然の記事が掲載されていた。
大道万里子は、事件当時の報道について「『被害者少女も不良グループの一員で
あり、被害者少女にも非があった』という論調が主流だった」と述べた上で、
これらの報道を「下品で低劣な想像力によって生み出された『断言』、もしくは
巧妙なレトリックまやかしで『少女にも非がある、少女の育て方にも問題があり、
両親にも責任の一端はある』=『被害者であった少女やその家族に、世間から逆に
白い目を向けられるようなマイナスのイメージが付与されてしまっている』。こんなパラドックスが許されていいはずがない」、「本音はこの事件を単なる『材料』として扱っているだけなのだ」「少女を『モノ』としていたぶり続けた少年たちと、自分たちの『はじめに死刑ありき』の目論見のための格好の材料として、やはり『モノ』として被害者を利用するだけのこれらのマスコミは、全く同質だ」と非難した。
- 『週刊ポスト』1989年4月21日号では、大島渚が「(少女は)決して、 少年たちの反対側にいた子ではなかった」と断言した。
- 『女性自身』1989年4月25日号は、事件の主旨と関係ない少女のホットパンツ姿や水着姿のスナップ写真を掲載した。大道はこれを「読み手の下品な好奇心と嫉妬心に迎合した、雑誌の「売らんかな主義」の最たるものだ。美人で、『男心をそそる』少女のイメージを醸し出し、死んだ後にも少女の人格を貶めている。死者に肖像権はないというのだろうか。死者に名誉毀損はないというのだろうか」と強く非難した。
- 『朝日新聞』1989年4月4日朝刊の「ニュース三面鏡」は、「少女は無断外泊もままある非行少女」と書き、見出しに「女高生殺人事件数々の疑問」「助け求められなかったか」と掲げた。また、1990年4月19日から25日にかけて連載された「なぜ、彼らは」では「強姦」を「関係を持つ」という言葉に置き換え、そこにあたかも少女の同意があったかのようにほのめかし、「(Cの母親が)いったんは少女を送り出した」と掲載した。大道万里子はこれを「この記事を読んだ 人は、自ずと『少女も遊び感覚で(加害者らの家に)留まっていたのでは ないか……』という印象を受けるように仕向けられている」と批判した。
- また、大道は加害者少年らを実名報道した『週刊文春』1989年4月20日号をはじめ、『週刊新潮』1989年4月13日号、『サンデー毎日』1990年6月10日号、『女性セブン』1989年7月20日号など、加害者少年に厳罰を求める論調の
- 記事に対しても「死刑先導型報道を貼り、様々な人々にインタビューをして、 少年たちを死刑にと叫ぶことこそ時流です、とばかりに論陣を張った。 あらかじめ、そういう考えの持ち主にしかインタビューしないのだから、 そうしたコメントが出てくるのは当たり前だ。ここにあるのは、一見正義の味方として少女や、少女の家族に同情し、犯人たちを糾弾するポーズを装いながら、実は少女を単なる素材、つまり『モノ』として扱っているという、本当にいやらしく、許しがたい態度だ」と非難した。
少年法では、家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により
公訴を提起された者については、第61条の規定により本人の類推に資する全ての
情報(関係者全員の名前、学校名、地名等)を報道することを禁止している。
しかし、事件直後に発売された文藝春秋の『週刊文春』(担当記者:勝谷誠彦、
編集長:花田紀凱)は、この事件に関わった加害者少年たちを実名報道した。
『週刊文春』は2週連続で、1989年4月13日号にて「女子高生監禁・殺人の惨
彼らに少年法が必要か」、次号の1989年4月20日号にて「女子高生惨殺事件 第2弾
加害者の名前も公表せよ!」と銘打った特集記事を組み、後者では加害者少年らの
実名を紙面に掲載した。
週刊文春編集長の花田紀凱は『朝日新聞』(1989年4月30日の朝刊)のインタビュー記事で「第1弾の記事では匿名表記したが、第2弾の取材をしているうちに事件の凄惨さがわかってきたため、編集部内部で『これは実名報道すべきでは』という声が出てきた」「野獣に人権は無い」と説明した。読者の反響について花田は「正直言って『反発の方が強いかな』と予想していたが、意外にも抗議の声は2件程度と少なく、
逆に『よくやってくれた』と称賛する投書が何十通も来た。人権云々を言う人たち
には『それじゃあ、殺された被害者の親御さんの前でそのセリフが吐けますか』
と問いたい気持ちです」と答えた。 他にも『月刊ゼンボウ』平成元年11月号の
p19-p26に冒頭陳述書が掲載され、加害少年グループ9人の実名が掲載された。
この事件報道をきっかけに『週刊文春』は売上部数ナンバー1の週刊誌になった。
その後、同年に発生した「名古屋アベック殺人事件」や、後に発生した「市川一家
4人殺害事件」、「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」、「神戸連続児童殺傷
事件」、「堺市通り魔事件」、「光市母子殺害事件」などの凶悪少年犯罪が発生する度に、『週刊文春』や、そのライバル誌の『週刊新潮』(新潮社)など週刊誌各誌が、次々と加害者少年を実名報道し、少年法改正論議に火をつけた。
『週刊文春』による実名報道を受け、日本弁護士連合会(日弁連)の藤井英男会長は1989年6月23日付で「立ち直り援助という少年法の原則を無視した実名報道は
極めて遺憾である。また、マスコミは被害者の実名などを必要以上に報道しているが、死者の名誉、家族のプライバシーなども尊重されるべきだ」と談話を出した。
『週刊文春』のライバル誌である『週刊新潮』は、事件当時は「犯人グループのうち、誰がどう手を下したのか、はっきりしない部分があった」として少年たちの実名報道は見送った。しかし『週刊新潮』も、1989年4月13日号にて特集記事を組み、
監禁場所を提供したCの両親について「日本共産党員だという話もある」と報道した。これに対し、日本共産党は機関紙『しんぶん赤旗』で、同両親が党員であったことを認めた上で「同事件は暴力団との関係も指摘されている、許すことのできない残虐な事件であり、もちろん日本共産党とは一切関係ありません」との記事を掲載した。
その1ヵ月半後には、同両親の対応を検証した特集記事が『しんぶん赤旗』に
連載された。なお『週刊新潮』は3年後の1992年、「市川一家4人殺害事件」の
発生時には「少年による凶悪事件が増加している今、20歳未満ならばどんな犯罪を
犯しても守られる現行の少年法は時代遅れ。問題提起する意味で実名報道すべき」、
「犯人がはっきりしており(実名報道という形で少年法への)問題提起をしやすい」として、加害者少年の実名報道を行った。
JK監禁陵辱殺人「被害女性のお父さんの背中」 娘を持つ親なら自然に涙がでる話 PRESIDENT Online 松井 清人文藝春秋前社長
1988年、埼玉県の路上で女子高生が拉致され、40日間にわたって足立区綾瀬で
監禁されて暴行・強姦を受け続け、死亡した。『週刊文春』取材班がみた
被害女性の父親の背中には、怒りと絶望と悲しみがあった——。【 一部抜粋 】
犯人4人の名前を特定する取材
論点は2つ。ひとつは、犯行の凶悪さに対して、予想される刑期が軽すぎるのでは
ないかということ。もうひとつが実名報道だ。被害者が美少女だったこともあって、週刊誌もテレビも彼女の写真は大映しで、プライバシーに関する報道も続いていた。一方、犯人4人は同じ未成年なのに、一貫して匿名のまま。おかげで、保護者たちも
雲隠れを続けることができていた。
取材班は、少年法について学んだ。多くの識者にも意見を求めた。
彼ら4人の名前を世に知らしめ、少年法の在り方について論議を促すことは、新聞や
テレビにはできない。しかし週刊誌ならできる、という意見が大勢を占めた。
実名報道を決めるのも大変な判断だが、その裏ではさらに大変かつ地道な努力が
続けられていた。4人の名前を特定する取材だ。そもそも名前がわからなければ、
報じることはできない。さらに、もしも名前を間違えようものなら、少年法の意義を問うどころの騒ぎではない。
その取材を一身に担ったのが、前出の佐々木弘記者だった。鉄壁の少年法に守られて、警察からの発表はもちろんない。担当デスクの私は、佐々木さんに、
「実名でいきたいので、なんとか4人の名前を特定してください」と頼んだ。
佐々木さんは事件現場の綾瀬へ連日通い、少年たちの自宅や盛り場周辺で
聞き込みを続け、中学校時代のクラスメイトや遊び仲間を訪ね回った。
残る3人の中に逮捕者が2人いる
私は、現場周辺で聞き込めば、少年たちの名前はすぐにわかるだろう、と甘く考えていた。ところが、逮捕された少年たちのほとんどの家はもぬけの殻。複雑な事情を抱えた家庭が多かった。惨劇の舞台となったBの家の両親も、行方をくらましている。少年たちがどこにいるか、容易には確認できなかった。
最後まで事情聴取を受けていた少年は、7人。逮捕されたのは、そのうちの4人だ。
7人の名前は判明しているが、その中の誰が逮捕されたのかがわからない。それでも佐々木記者の徹底取材で、家に帰された少年2人の名前はわかった。逮捕された
4人のうち、2人の名前も確認できた。つまり、残る3人の中に逮捕者が2人いる。
『週刊文春』の原稿の締め切りは火曜日の朝。逮捕された4人のうち2人しか
特定できないまま、取材リミットの月曜日の夜を迎えた。私は言った。
「佐々木さん、4人を特定できなかったら、残念ながら実名報道はできません」
「それは当然だよ。重大な記事だということはわかっているから、最後にひとつ
だけ、ぼくにやらせて」そう言い残して、佐々木さんは編集部を後にした。
2時間か3時間が過ぎたころだろうか。編集部でじりじりしながら待つ私に、
佐々木さんから電話が入る。「残り2人の名前が特定できたよ。
絶対に間違いないから」「そうですか! よくやってくれました。
お疲れさまです。編集部に上がってください」
捜査幹部「こんな酷い事件は前代未聞だ」
後で聞くと、佐々木さんが最後に向かった取材先は、この事件を担当する
幹部クラスの捜査員の自宅だった。ようやく招き入れてくれた相手に、取材の意図を丁寧に説明する。その捜査幹部は、犯行に対する強烈な怒りを隠そうとせず、実名
報道にも理解を示してくれた。しかし、逮捕した少年の名前は頑として明かさない。
「こんな酷い事件は前代未聞だ。長い刑事人生でも、あんなに悲惨な遺体を
見たのは初めてだ。いくら少年だといっても、こんな奴らは厳しく罰しなければ、
日本の社会が大変なことになる。それぐらい酷い事件だ」
「だからウチの週刊誌はあえて実名で報道して、少年法に関する議論を提起したい。そのためには、4人の名前を間違えるわけにはいかないんです」
「あなたの気持ちは、本当によくわかる。でも立場上、それだけは言えないんだよ」
30分がたち、1時間が過ぎた。佐々木さんは、こう持ちかけた。
「私たちは、家に帰された2人と、逮捕された4人のうち2人の名前まで特定して
います。残り3人の中で誰が釈放されて、誰と誰が逮捕されたのかがわからない。
今からその3人の名前を順番に言います。逮捕した少年の名前にうなずいたら、
あなたが私に教えたことになる。だから、“いま警察にいない者” の名前を
言ったときに、うなずいてほしい」
大ベテラン記者の切り札と配慮
“警察にいる者” を聞けば、逮捕者の名前を漏らすことになる。
しかし、逮捕されなかった少年の確認なら、捜査情報の漏洩にはならない。
大ベテラン佐々木記者ならではの、巧妙な切り札であり、相手への配慮だ。
捜査員は「わかった」とさえ言わなかったが、佐々木さんは構わず、順番に名前を
挙げていった。1人目……反応はない。2人目……捜査員は、小さくうなずく。
3人目……反応はない。「もう一度繰り返します」
佐々木さんは慎重に、同じ順番で名前を挙げていった。捜査幹部は最初と同じく、
2人目の名前にだけ小さくうなずいた。逮捕された少年は、1人目と3人目だった。
それは佐々木さんの熱意と誠意が、捜査幹部の正義感を突き動かした瞬間だった。
佐々木さんは捜査員の家を出ると、急いで公衆電話を探し、私に報告したのだ。
ところが、いつまでたっても編集部に戻ってこない。
名うてのグルメだから、さてはいい気分になって旨いものを肴に一杯やっている
のかなと思ったが、とんでもない。『週刊文春』の誇る名物記者は、私が思っていた
以上にプロフェッショナルだった。深夜零時近くなって編集部に上がってきた
佐々木さんは、開口一番、「松井さん、ごめんなさい」 と頭を下げた。
2つの宿題
「ぼくには、頼まれた宿題が2つあったよね。逮捕された4人の名前の特定と、被害者のお父さんのコメントを取ってくること。2つ目の宿題がまだできていなかったから、ぼくは捜査員の家を出たあと、八潮市の女子高生の自宅に行ったのよ。あの家には
何度も行っていて、いつもは新聞記者やテレビ局のレポーターがたくさん張り込んでいるのに、今夜は時間も遅いせいか、誰もいなくて真っ暗だった。『ああ、みんな
引き揚げたんだ』と思って、呼び鈴を押そうかどうしようかと迷っていたら、急に
門灯が点いた。そして、お父さんらしき人が、手にほうきを持って出てきたんだ。
張り込んでいた記者たちのタバコの吸い殻なんかが、門の前に散らかっていたのかもしれない。それを黙って掃き始めたお父さんを見たら、ものすごい怒りと絶望と悲しみが、体中からにじみ出てくるようだった。ぼくは、ついに声をかけられなかったんだ。家に入っていくお父さんの背中を追って、呼び鈴を押すこともできなかった。
30数年も記者をやってきたけど、こんなことは初めて。本当にごめんなさい」
私はひと言、「それでよかったと思います。もう充分ですよ」とだけ答えた。
実名報道に踏み切るかどうかという花田さんの最後の決断を、佐々木さんがじっと
待っていたのは、こういう経緯があったからだ。「これで、被害者とお父さんが
少しは浮かばれるよ」と言った佐々木さんの脳裏には、その夜の父親の背中が思い
起こされていたのだろう。
識者の反応
評論家の赤塚行雄は、この種の犯罪を、通り魔的「狂宴的犯罪」と名付け、
先駆としては本事件に加え、1983年の横浜浮浪者襲撃殺人事件、本事件と同年に
発生した名古屋アベック殺人事件を挙げた。
小田晋(当時・筑波大学精神衛生学教授)は、『朝日新聞』1989年4月21日夕刊記事の中で「少年らの成熟が早まってきている。少年犯罪を未然に防ぐためにも扱いを
変えるべきで、重大事件では厳しく処罰すべきだ。今回の事件は、親も含めて
(加害者らを)すべて実名で報道すべきだろう」とコメントした。
一般の反応
事件当時の犯人が全員、未成年の少年たちであったことから、この事件は同年代の子供を持つ親に計り知れない衝撃を与えた。
『朝日新聞』(1989年4月8日朝刊)の投書欄には「同じ未成年でも、被害者は実名・顔写真・住所まで新聞で報道されたのに対し、加害者は実名も顔写真も少年法を理由に掲載されない。これでは殺された方の人権が無視されている一方、殺した方の人権ばかりが尊重されている」「同じ少年犯罪でも窃盗・傷害などの衝動的な物ならば、本人の将来を考え匿名とすることもやむを得ないだろうが、今回のような凶悪犯罪に限っては成人も未成年も関係ない。少年A・Bなどのような匿名ではなく、
実名を掲載すべきだ」という投書が掲載された。
発覚当初から加害者少年らに対し、死刑・無期懲役などの厳罰を求める声があり、
事件を捜査した警視庁には「加害者少年らの実名を公表せよ」「極刑に処せ」などの投書や電話が相次いだ。また、東京地方検察庁が第一審の論告求刑で、主犯Aへに
無期懲役などを求刑してからは、東京地検に「刑が軽すぎる」「『公益の代表』と
してあえて死刑を求刑し、その威嚇効果によって、少年の集団による凶悪事件が
相次いでいる、昨今の風潮に歯止めをかけるべきだ」など、量刑の軽さを批判するかなりの数の投書・電話が寄せられた。また検察庁のみならず、東京地裁に対しても「判決の量刑が軽すぎる」などの批判の投書・電話が多数寄せられた。
一方で本事件と同年(1988年2月)に発生した「名古屋アベック殺人事件」の刑事
裁判では、第一審・名古屋地裁の1989年6月28日・判決公判で主犯格の犯行当時19歳少年に死刑、準主犯格の犯行当時17歳少年にも「死刑相当」とした上での無期懲役といった極刑がそれぞれ言い渡された。このことから同事件は、最高でも懲役17年
(求刑無期懲役)だった本事件の第一審判決との対比でも注目された。
その決定的な違いについて、当時・日本大学法学部教授の板倉宏は「名古屋では殺害被害者が2人、本事件は1人という殺害人数の違いがある。殺害被害者数1人では
(永山基準の影響もあり)死刑判決はほとんど出ない」「確定的殺意と『未必の故意』の差が大きい。名古屋の事件では『殺してしまえ』という明確な殺意があり、
事前に殺害用のロープを購入するなどの計画性もあった。それに対して本事件は
『死ぬかもしれない』という未必の故意だった」と『週刊文春』1990年8月2日号の
特集記事で解説した。
他事件への影響
- 新潟青陵大学大学院の碓井真史教授は、この事件の女性監禁に関する報道が 翌1990年に起きた(事件発覚は2000年)、新潟少女監禁事件の犯人に、 刺激を与えた可能性があると指摘している。
- お笑いタレントのスマイリーキクチは、「この事件に関与した」とする ネット上のデマが原因でいわれなき誹謗中傷を長年受け、悪質な中傷犯数十名が一斉摘発を受ける事態にまで発展した(スマイリーキクチ中傷被害事件)。
- この事件の3年後(1992年)には千葉県市川市で、当時19歳の少年が金目的で一家5人のうち4人を殺害し、1人残された少女を殺人現場で強姦するという事件(市川一家4人殺害事件)を起こした。永瀬隼介の著書『19歳 一家四人惨殺犯の告白』によれば、この事件の加害者少年は、逮捕後も本事件「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を引き合いに出し「(本事件の)犯人の少年たちでさえ、 あれだけのことをやっておきながら死刑どころか無期懲役にすらなっていない。それなら俺の方が犯行は長期間ではないし、犯行にあたって凶器一つ用意して いないからまだ頭の中身もまともだ」、「これで俺も少年院行きか」程度にしか考えていなかった。しかしその考えも虚しく、こちらの少年は第一審判決から 最高裁判決に至るまで、一度たりとも死刑判決を回避することなく一貫して 死刑判決を言い渡されて確定し、戦後日本で37人目(永山則夫連続射殺事件の 最高裁判決以降、及び平成の少年犯罪では初)の少年死刑囚となった。2017年12月、この少年の死刑が執行された。
書籍・映画化
- 2003年、事件を元にしたノンフィクション・ノベル『十七歳、悪の履歴書』(作品社)が出版された。
- 翌2004年、映画『コンクリート』が『十七歳、悪の履歴書』を原作に、この事件を“モチーフとして”映画化された。この映画の公開をめぐっては、事件の残虐性や「そもそも映画にする必要があるのか」などの意見がインターネットを中心に多数湧き上がり、劇場にも上映反対意見が多数届いた。その影響で5月29日から予定されていた公開は中止されたが、その後、別の劇場で7月3日から9日の 一週間だけ公開された。製作者側によれば、大手レンタルチェーン店にもこの 映画のビデオ・DVDを取り扱わないよう意見が多数寄せられた。なお、この映画のビデオ・DVDはレンタル用としてはR-15に指定されている。
- 女子高生コンクリート詰め殺人事件 -壊れたセブンティーンたち
- 2004年にオークラ出版から発売された氏賀Y太の単行本『真・現代猟奇伝』に、この事件を漫画化したものが収録されている。
- 事件を題材とした漫画作品として、樹村みのりによる『彼らの犯罪』(『ROSA』(少年画報社)1992年12月号掲載、単行本『彼らの犯罪』 (朝日新聞出版、2009年)所収)がある。
- この事件を題材とした漫画に円山みやこの作品『蟲笛』がある。
- 今野敏の「隠蔽捜査」では、被害者のうち2人が「1980年代末に足立区で発生 した誘拐・監禁・強姦・殺人・死体遺棄事件」の犯行グループである設定。
2004年に公開された『コンクリート』という映画。
AV女優と北川悠仁、三船美佳…! 数々の有名人が演じた【封印映画】
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」3作品!
女子高生コンクリート事件が元ネタとなっている映画ですが、
詳細が見たいかたはU-NEXTで見れます。
純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、、
体などを痛くしない。身体を暑くしないで、トイレ関係も。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
TV等の撮影でスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存を止めて、人に嫌な事をしてこないで
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこない。トイレ等禁止
思考低下、頭を空っぽにしないで!仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、
老眼近視、他人に言われたことを人に言わさない。心の中に持って来ない
ブログを書いている時邪魔しない!自分で考えて書いて。深夜に連絡してこない
負けず嫌いも程々に高圧的な態度禁止。口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、
散財させないで、調子づかないで、無理強いしないで、身体を暑くしないで
乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!
人の感情やパワーを抑えない、唇を痺れさせない。人をコントロールしないで
マウントを取って来ない、過保護にしない! 耳を痛くしないで!あの母親のパワーが
胃の付に感じて、あの子が後ろに憑き、あの三女が遠隔でコントロールしてくるの
止めて!あの親子、両依存水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、
プライバシー侵害しない! 日本には言論や表現の自由がある
その力、仕事以外に使わないで人の為に使って、決して悪いように使わないで。
全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!
あの長男、人のPCやスマホに侵入してきて、ハッカーのようにしてこないで
長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました