我谷ダムから上流の九谷ダムへ向かう途中に神社が見えたので立ち寄ってみました。
枯渕八幡神社入正面。玉垣はない。
この神社はダム建設によって住民が移転した枯渕の鎮守社であり、元の鎮座地は南東の大聖寺川のほとりにあって現在もそちらに御神木の杉が残っている。
鳥居は離村後の平成十七年に建立されたもの。
傍らの社標は大正十年、「石材商 松下長八郎」の銘があった。
これとは別に、元の鎮座地の鳥居と思われるものの柱だけが移設されており、そちらは大正八年、銘は同じく「石大工 福井市橋南 松下長八郎」。
境内全景。時期もあるが、明るくて庭園のような雰囲気。
石造りの五重塔。昭和十年建立。
狛犬。明治三十六年?、作者不明。
岡崎型の発明前ではあるが、割と現代の狛犬に近い姿をしている。
前脚の柔らかそうな曲線がいい。
しっぽがカールしまくっているのもチャームポイント。
また、写真では伝わり辛いかもしれないが、この狛犬を含め旧社地からの石造物の多くには笏谷石(しゃくだにいし)という、薄い青みがあってきめの細かな石材が使われている。
私の地元に近い岡崎市の糟目犬頭神社の江戸時代初期の鳥居に使われており、美しい風合いが印象に残っていたのですぐに分かった。
現在はもう採掘されていないそうだが、産地の福井県にも近いのでかつてはこの辺りの寺社の石造物に使われることも多かったのだろう。
石灯籠と拝殿。
鳥居の手前右手には離村を記念した「枯渕の里」の碑と、村の歴史を跡付けた説明が書かれた碑が立っている。
旧社地にも「枯渕八幡神社由来記」と題した看板が設置されているが、何が言いたいのかよくわからない。
石川県神社庁の紹介では単に「創立年代不詳。元八幡社を明治21年現社名に改称。」としている。
御神木の杉。樹齢は推定700年以上という。同年代と思われる欅もあったが昭和25年の台風で倒れたとのこと。
今となってはこの神社がここに村があったことを伝える数少ないしるしである。