引揚記念館をあとにし、赤レンガパークへとやってきた。

引揚記念館のチケットとセットで購入していたのである。

入り口正面。

背後には自衛隊の船。

向こうに見える艦、チビがイージス艦だと言っていた。

当たってんのかどうだか知らんけど。

で、この赤レンガパーク、引揚記念館と打って変わって戦争や引揚とはほぼ関係なく

とにかくレンガの記念館であった。

とにかくレンガ

レンガ

レンガ。

鉄道がらみの展示もありまして

この阪鶴鉄道

現在のJR宝塚線こと福知山線。

僕が毎日通勤で使っている路線である。

神崎ってのは今の尼崎。

その他塚口、伊丹等となじみの駅の名前が並ぶ。

いや~あの駅があの時代からあったんだなぁって当時をしのぶ。

つーか当時は猪名寺、北伊丹はなかったんだな。。。

で、この池田が今の川西池田ね。

所在地は川西なんだけど駅名は池田。

時々あるでしょ?

海老名にある厚木駅、港区にある品川駅etc。

 

で、そうなんですよ。

昔・・・と言っても昭和50年代後半まで尼崎港という駅が存在してましてね。

塚口ー尼崎港間の盲腸線として運行していた。(福知山線の支線)

宮脇俊三先生の作品で何度か当時の様子を読んだことがある。

ちなみに以前は播但線に飾磨港って駅がありまして。

姫路ー飾磨港間で運行されていた。

兵庫の西と東の工業都市で港までの盲腸線みたいな路線が存在していた。(こちらは支線ではなく純粋に播但線の一部)

 

レンガの歴史について学んだあとは赤レンガ倉庫へ。

歴史を感じますなぁ。

赤レンガの倉庫というと僕的には函館。

横浜って人もいるかと思うけど僕は函館の金森倉庫である。

BE KOBEみたいなのがあった。

 

赤レンガを満喫し次なる訪問地は

ここ。

引揚船が発着していた桟橋である。

ここがあの歴史的な場所なのである。

今は復元されたものなのね。

けどこの場所が66万人の引揚者を受け入れた場所であった事実は変わらない。

そんな歴史も今は昔で令和の現在は静かな海である。

でもなんか何となく当時を様子が想像できる。

ここに引揚船が入港し、帰りを待つ人たちが桟橋で集まっていたんだなぁ。

北側の桟橋を目指して移動。

水面に空が写る。

あの大きな船。

小樽に向かうフェリーだな。

しかし北側の桟橋ってどこだろうか?

確かあちら側からこちら側を見た時に桟橋が見えたんだが。

あれがさっきまでいた南側の桟橋。

しかし水面に写る空がきれいね。

天橋立みたいに股覗きしたらそれっぽく見えるかも。

穏やかな海だ。

あ、桟橋・・・だけどこれ違うよな。

どう見ても地元の漁師さんとかが使ってそうな感じである。

その向こうに崩れた桟橋みたいなのが。

近づいてみたけど全然違ってた。

全然桟橋じゃないわ。

ここでチビが言う。

「なんか資料に北側の桟橋雪で壊れたって書いてあったでしょ?だからもうないんだよ。」

そうか。

そうだよな。

この辺りにそれらしき案内とか一切ないもの。

けど場所的にかつてはこの辺りに北桟橋があった。

ここに祖国への第一歩を刻んだ多くの人々がいたはずだ。

そういう場所に今僕は立っている。

 

しばらくここからの景色を眺めたあと川西へと引き返す。

さっきまで停泊してた船が出航してた。

あれ?小樽に向かうフェリーの出航時間は真夜中のはず。

しかも外海じゃなくて湾内の陸地側に向かってる。

うむ~あの船なんだろか???

フェリーに見えるけど。

 

そんな疑問を抱えながら舞鶴の街をあとにした。  おしまい