春は必ず来るって言うけど、

阪神大震災当時の私には、そう思えない時もありました。


自宅にいられる自分に罪悪感を持ったり、

瓦礫の中の容赦ない光景を見たりして

神も仏も無いなと、そう感じてました。

嬉しい事、少し前進した事を

日めくりカレンダーのように、自分の感情から捨てていった時もありました。



一変した通勤、通学経路。

1回の乗り換えで行けた場所へは

路線違いの駅と駅の間を歩き、走り、

あるいは代替バスに乗り継いで 通う事となりました。


母校の校庭には仮設住宅が建ち、

また別の校庭は自衛隊などの物資の拠点ともなりました。



眠っている間に崩壊するんじゃないかと思うほどの建物のきしみに

眠れない日は数ヶ月続きました。(ストレスからくる幻聴かな)



気付かないうちに、日々の生活は戻っていきました。

断水が続くも、町内に給水場が出来て、自衛隊の給水車に並ぶ必要は無くなりました。

自宅の水道がいつ使えるようになったかは、全く記憶に無いのが不思議です・・・


電話も繋がるようになった(最初の頃は、コレクトコールでかかってきた)。


友達と待ち合わせをして、おしゃべりする余裕も出てきました。


乙女魂とフランス魂





短い茎のタンポポが色づき、

沈丁花の爽やかな香を確かめたくて、マスクを外して顔を近づける。

植えっぱなしの球根も、春になると花を咲かせます。



歩みは 目に見えないほど遅いかもしれないけど

確実に前へ踏み出していくはずです。

人生を直視出来ないほど困難な事が起こるでしょうが

何とか乗り越えていって欲しい。


ハード面だけでなく、心の復興も同時にお願いしたいです。