これまで、4月1日採用の新規採用教員には1分たりとも研修の時間は与えられず、いきなり現場に投入され、わけの分からないまま右往左往して時間だけが過ぎていく様子を記した。

 

その状況は、4月3日になっても変わらない。

 

4月3日も、朝は職員清掃から始まる。教員による清掃活動は、教員残業裁判における裁判所判断では「教員の自主的活動」とされたが、実際には命令として職員会議や打ち合わせなどの文書に記されている。

これが終わると、4月3日も会議が連続する。教科部会と生徒指導・特別活動・研究研修の3部会、あとは安全や特別支援、引継ぎなどである。

まず、学級の引継ぎがある。4年2組が受け持ちなのであれば、旧3年1組2組3組の担任からそれぞれ子どもの様子を聞く。旧担任が居ればいいのだが、居ない場合は専科や養護教諭など代わりの誰かが話をする。この引継ぎは次々に行われ、2年生から6年生まであるから1学年につき10分で片づけたとしても60分はかかる。待っている間に教師自身の通勤申請書とか個人調査票とか目標申告とかを片付けておけばいいのだが、新採で始めからそういう要領のいい動きが出来るはずもなく、何をすればいいかわからずに時間だけはあっという間に過ぎる。

 

次に教科部会がある。教員の世界ではこの手の「部会」「会議」がやたらと多い。

教科部会の中で大変なのは理科と体育だろう。特に運動会が5月にある場合は、4月の一番最初の教科部会では運動会の内容にまで切り込まなければならない。新採はもちろん4年目5年目の若手でも会議内容の加減が出来ず、2時間経っても体育部会が終わらず、仕方がないから夕方5時半からもう一度体育部会をやり、その日終わったのは8時だった・・・・ということさえある。理科部会も案外馬鹿にならず、学年ごとの畑の割り当てとか消耗品の確認とか薬品使用時の記載や処理とか案外面倒臭いことをいちいち確認していかなければならないのだが、大学は体育出身の3年目の若者とか理科を全く分かっていない教員が理科主任になったりすると、大混乱が起きる。

前の記事にも書いたがこうした教科部会の在り方など、教師の研修は一度たりとも開かれたことが無いので、誰も何をどうしたらいいのか全く分かっていないのだ。中にはただ集まって「何かありますか?無かったら終わります」と言って1分も経たずに終わってしまう社会のような教科もある。いや、1分で終わって解散し、自分の仕事に取り掛かるようならまだ合理的だが、「今度来た校長は」とか「こんな行事日程じゃやってられない」とか「○学年の▽先生は」とかのうわさ話や愚痴やボヤキが始まって延々と雑談会になってしまう「会議」もある。

この部会の割り振りは4月1日に行われるが、ベテラン勢は長くなりそうなところ、ハードなところは嫌がり、体育や理科のような面倒臭いのは若者に割り当て、自分は楽なところを巧妙に選ぶようにしている。

 

教科部会は、教科だけで国語社会算数理科英語図工音楽道徳体育総合生活と11科目あるから、それを学年3人ずつ分担して3回会議に出てもまだ会議が残っている。20分ぐらいずつ区切って課題が残ったら午後の空いた時間でやる、ということになる。体育は例外なく時間内には終わらない。理科もよほど手腕のある人が主任でない限り終わらない。か、仕事に気がつかずにあとで慌てふためくか、である。総合は各学年あまりにもバラバラな内容なので集まっている意味がない。比較的楽である教科は本来なら集まらずに済むはずなのに、自治体教委の方から「教科の努力目標」「指導や活動の工夫」を部会ごとに考えて書類に記入・提出せよという文書が降りてくる。そんなものは書かなくても提出しなくても誰の損にもならないどころか教員の負担軽減にもつながり、真っ先に切り捨てるべき無駄仕事の筆頭のはずなのだが、この不思議な書類は消滅することなくずっと教師たちを苦しめ続けている。

 

教科部会が終わると保健安全給食会議がある。この辺の順番となるともう学校ごと自治体ごとに違ってくるし名称も違うだろうが、この種の話し合いを持つことだけは確かだ。

例えば安全。通学路の設定は「4月の○日までに委員会に書類提出」と決まっている。子どもたちがどの道を通って学校に通っているのかを調べなければならない。避難経路を知っておかなければならない。避難経路はいつも同じではない。火事の場所によっても違ってくる。不審者対策もある。保護者から安全カードを集めなければならない。担任は常に名簿を持っていなければならない。学期初めには「登校下校指導」を行う。どこそこの学年はどこ、と指定される。緊急時のマニュアルはこれこれこうなっており、役割分担は・・・・と、延々と説明は続く。安全主任は比較的若い人が任されるのだが、その割には内容は多岐にわたっており、荷が重い場合もある。

 

生徒指導・研究研修・特別活動の話し合いもある。そのどれも年間計画と4月の予定が議題だが、研究はテーマがどうのとか授業者が誰とか、研究をやって2年目なのか3年目なのかとか、結構面倒臭い。研究授業は、教師にとっては面倒くさいことこの上なく、出来ればやらずに済みたい厄介仕事だ。表面上は「教員にとって必要です」とか言いながら、実はシレッと他人に押し付け合い、時には醜い争いが起きることもある。

各学校単位の教員の研究は、「研究」という名はついているが企業などの研究機関からすればおよそ幼稚な、「ごっこ」にすらなっていないレベルの内容だ。教員自身も実はそのことに薄々気がついており、やらない方がマシだと内心思っているのだが、対外的には「○○をやってます」的な虚勢ポーズを取り続けている。本気で研究を行うのであればしかるべき機関を立ち上げ研究費も人間も充実させ、ローテーションを組んで学校現場の担任教師たちを一定の間「研究」に専念させるべきだ。現状のように、担任をしながらあれもやりこれもやりながら「研究」などというレベルのものも出来るわけではなく、言葉だけは「研究」となっているがそれは本当に言葉だけである。

言葉だけの「研究」だが、「教師には研修の義務が課せられている」となっているため、各学校では研究が行われる。「研修」と「研究」は似たような言葉だが内容は違っており、この違いについて説明しているとかなり長くなってしまうので、別の機会に書くことにしよう。

「研修」さえ充実すれば、「研究」の方は余裕がある教師たちの個人的探究で済むのではないかと思われる、教師の小さな自尊心は「研究ごっこ」を捨て去ることは許されず、「本年度は研修だけにしましょう」と提案しようものなら袋叩きの憂き目にあう。小学校ではいろいろな教科領域を多岐にわたって学んだ方が良い結果を得られるかもしれないのに、そういう発想がないこと、「研究授業を無くして研修だけにしよう」と提示しても断固として拒絶し、柔軟な発想がないことに驚いてしまう。

研究内容は前年度に決まっている場合もあるが、それはあくまでも仮決めで、新年度の新メンバーになってから決定するのが普通である。

例えば「道徳をやりたい」などと言い始める声があり、その声が学校内勢力のある派閥であったりすると、力関係で「道徳」と決まってしまう。ところが言い出しっぺは道徳の権威でもなんでもなく、ましてや授業を自分が引き受けるわけでもなく、誰かにやらせておいて自分は後ろに隠れて引っ込んでいる。こんな卑劣がまかり通って何が「道徳」なのかと憤慨するような現象は、学校内外のそこかしこにある。

新採の場合は、どっちにしろ研究授業的なことはやらされるわけだから、この類の校内の政争というか醜い押し付け合いに巻き込まれることはない。だが、2年目3年目になった時にかならず「授業研はあなた」「焦点授業は君こそが」と言われることは間違いなく、4月当初の研究部会から暗澹たる思いをすることだろう。

 

生徒指導や特別活動にもそれぞれの醜い内容があり、学校はかくも汚いところなのかと落胆するのか感心してしまうのかすぐに染まるのか、それは人それぞれの性質によるが、前に話した会議の内容を消化しきれないまま忘れ去ってしまう膨大なもろもろが、流れては消え流れては消えていくことだけは確かだ。

 

これらの諸会議が終わるのが11時ごろ、下手をすると午前中いっぱいかかってしまったりするが、体育などは恐らく退勤時間後にサビ残となるだろうが、終わるのが午前中の11時だ、としよう。ところがここからすぐに開放されるわけではない。前日に続いて入学式の準備が入れられていたりする。入学式の準備が無くても、確認しなければならないことがたくさんある。学年学級名簿は出来たのか、仮時間割には修正が入っているのか、学力テストの置き場所はどこか、PC上の出席簿の付け方はどうなっているのか、・・・能力ある学年主任はそうした仕事のチェックリストを作って新採に渡してくれるのだが、そんなことは99%の確率でまず無いと断言していい。

 

4月3日になると昼食はカップラーメンで5分程度で済ませて、とにかく時間を作って自分のクラスのことをやりたいという衝動に駆られるようになる。ところが「昼ぐらいゆっくり食べよう」という意見が大半を占め、実際、教師には45分間の休憩時間は保証されているわけだから、45分間は雑談でもしながらゆっくり食べる方が良いのだが、精神的にだんだんと追い詰められてくるのだ。何の研修もなく、準備も一切できないまま時間だけが過ぎていく状況に焦り、不安がどんどん膨れ上がってくる。ところが教員の大多数は「どうにかなるさ」と驚くほど楽観的だ。「どうにかなる」的な態度で臨まめる子供たちは実に不幸なのだが、そういう視点を持ち合わせている教師は稀である。新採も「どうにかなるさ」を経験し一回でもどうにかなってしまったら、次はもう悠々と昼を食べて「そんなに焦ったって仕方がない。どうにかなるさ」教師になってしまう事だろう。始業式以降の学級経営や授業に対する指導の在り方を、きちんと4月初めに行わなかった結果、それも数十年と行わなかった結果、全国ほとんどの学校で、教師は「どうにかなるさ」教師となった。

 

さて、じりじりとした不安を抱えながら昼食を終えると、午後になってようやく学級の仕事らしきものに取り掛かれるようになる。

が、自治体によっては新規採用者を集めて「辞令交付式」を行うところもある。辞令交付式は、いわゆる「入社式」に該当するが、わざわざ新採を自治体庁舎に呼びつけ、要するに「奴隷になれ」的な洗脳を行う形式的な儀式だ。有意義な研修を行うどころか新年度の貴重な時間を奪い、あとは教員の自主的な残業に頼るという狂気に満ちた悪しき慣例は、この国が滅びるまで続くのだろう。

ここで初めて「指導教員」が紹介される場合もある。指導教員は数校掛け持ちである場合がほとんどであるため、新規採用者が一斉に集まる辞令交付式で引き合わせると、手間が省ける。ただ、辞令交付式が始業式より後の自治体では、指導教員と4月10日とか15日とかに初めて顔を合わせるところもある。どっちにしろ初顔合わせでは何も教えてもらえず、今後の予定がA4のぺら紙で手渡される程度だ。研修が始まる前に担任業務がスタートするという、こんなバカげたシステムは恐らく学校だけだと思われるが、時数を何よりも大切にし始業式を4月5日か6日に設定して頑として譲らない文科省が音頭を取っている限り、絶対にと言っていいほどこの仕組みは変わらない。

 

無意味な儀式に狩り出される新採だが、そのあとは学校に戻って作業をしなければならない。

まだ自分の教室のことは、何もできていない。

まず、昇降口の靴箱に名前シールを貼る。名前シールは、一つずつゴム印を押す。教室のロッカーにも名前が必要だ。教室内の机の高さはバラバラなので、調整しなければならない。調整と言っても机やいすを一つずつ横にして六角レンチのような器具でネジを回し、高さを合わせてからネジを締める。机イス1セットの調整にかかる時間は約2分だ。10組調整すると、20分かかる。クラスには30数組の机といすがある。名前シール貼りも机イスの高さ調整も、単純で何も考えずに済む作業だが、効率的に出来るような作業ではなく、ただ単に時間を食っていく。

 

次に学年で打ち合わせることは山のようにある。

学年だよりのタイトルはどうなった。あいさつ文は出来たか?誤字脱字をチェックしてくれ。学級目標は決まった?じゃあ4時から作ろう。廊下の掲示物入れはこれでいいか?学級内の壁の掲示物はこれこれ。習字の掲示はどこにどうやって。背面黒板には何を書く?子どものマグネットシートを大きさ別に3組は作っておかないとね。始業式の後に書かせるものを作らないと。配るものはもう一度確認しましょう。掃除分担場所の確認をして人数を決めておかないと、始業式の日から掃除があるね。学年花壇の確認もしなくちゃ。まだ先のことだけど校外学習の候補も考えないとね。それから懇談会はもう来週だから、共通して話すことのリストを作りましょう。あなたは新採だから始業式のあいさつとかその後の学級の過ごし方も考えないと。それからすぐに給食が始まるから当番表も必要ね。掃除当番も当面のものが必要かな・・・・・。

これが次々に浮かんで時系列に必要順に並べることができる学年主任はかなりの能力があるが、周りは恐らくついてこれない。行き当たりばったりの主任の方が多く、恐らく4月3日の夕方の時点で机の高さ調整まで出来る学年は少ないというかほとんど無いだろう。

 

3日も残業確実、夕方になってやっと「始業式のあいさつはどうしようか・・・・」と考え始める。それより、挨拶をした後のことが、新採には想像できない。子どもたちをクラスに連れて行き、その後は・・・・?とそこで困ってしまう。気が利く学年主任であれば、一連の流れを説明できる。が、たとえば「教科書を配る」と言われてもどう配るのかまでは教わらない。配り方ひとつでトラブルになりかねないのだが、そこまで親切に教えてくれる主任はいない。例えば、配って目を放したそのすきに隣の子の教科書にいたずら書きをしてしまったとか、周囲の子の教科書を自分のものだと思い込んで名前を書いてしまったとか家に持ち帰ってしまったとか。そうしたトラブルの事例を実際に示して、だから配るときにはこんな配慮が必要だというのは任命権者が責任をもって教えることなのだが、学校社会は上に行くほど徹底して無責任だしそういうことに金をかける気もないから、現場に放り投げて現場が何とかしているのが実情だ。

 

始業式は4月5日。あと一日で一体何ができるのだろう。

研修ゼロで現場の渦の中に放り込まれ、単なるロボットのように機械的に会議に参加し単純作業に時間を費やし、何一つ要領を得ないままロクな準備も出来ないまま、新規採用者の4月3日は終わる。