立ち止まって”あの戦争”を見直しませんか?


今日は終戦の日、1945年(昭和20年)8月15日


「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし全国戦没者追悼式を主催しています。


一般にも終戦記念日や終戦の日と称され、各地で平和集会が開かれます。


戦没者慰霊式典



日本は70年前、太平洋戦争で多くのアジアの国々を侵略し、


最後はアメリカなどの連合国に負け、そして、アジア諸国はその後解放された


と学校で習いました。


でも、当時の世界は、戦わなければ他国に飲み込まれるという、


弱肉強食の時代でした。(欧米の植民地支配の時代)


多くの日本人は国や家族を守るため、自分の命をかけて戦ったのです。


戦争に勝った国々は「自分たちの都合のいい歴史」を作った、、、


それが世界の常識だったのです。


アメリカも中国も、


自分の国の利益を最優先し、相手と何か交渉するとき、


相手に負い目を持たせるほうがいろいろ便利でしょう。


だから、「日本は昔悪いことをした」というウソの歴史を徹底的に


教え込み、今でも外交に利用しています。


戦後、アジア諸国のトップ(タイ、マレーシア、インドネシアその他)が、


「日本こそが欧米の支配下から、自分たちを解放してくれた」と、


感謝の言葉を次々に述べているんです。


今でも、アジアの人たちは、日本を敬愛している。


君たちの祖父はとっても立派なことをしたんですよ、と。。

コーデル・ハル元国務長官
コーディー・ハル


リンクサイト
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2010/11/post-86bd.html



アメリカの戦争責任とハルノートの真実:
http://ameblo.jp/ponio20/entry-11768411072.html


昭和16年(1941年)2月からスタートした日米交渉は11月27日、


アメリカより「ハル・ノート」が日本に提出され、


日本は事実上の宣戦布告と受け取り交渉決裂となります。


日本は開戦に踏み切りました。


このハル・ノートは後の東京裁判のパール博士が述べたとおり、


「もしハル・ノートと同じような通牒を受けとったなら、


たとえモナコやルクセンブルクのような小国といえども、


矛(ほこ)をとって立ち上がったであろう」という屈辱的な内容でした。


アメリカ人の歴史化であるアルバート・J・ノックも同じ趣旨のことを述べています。
 

アメリカのルーズベルト大統領は大の日本人嫌いでした。


駐米英国公使キャンベルの手紙によるとルーズベルト大統領はスミソニアン博物館の


自然人類学担当の博士、アレシユ・ヘリチカと親交があり、


博士から二つのことを学んだと書いています。


ひとつはインド人は白人と同種である。


もう一つは「日本人が極東で悪行を重ねるのは頭蓋骨が未発達で


白人に比べ2000年も遅れている」という説でした。


このヘリチカ説を踏まえてアジアに文明の火を灯すには「ユーラシア系と


ヨーロッパ・アジア系とインド・アジア系を作り出し、


それによって立派な文明とアジア社会を作り出していく。


ただし、日本人は除外してもとの島に隔離して次第に衰えさせるというのが


ルーズベルト大統領の考えである」と書いています。
 

この考え方は「ハル・ノート」にも現れています。


以下「ハル・ノート」の一部です。
 

・日本の支那、インドシナからの軍隊及び警察力の撤収

・日本は重慶にある中華民国国民政府以外の支那におけるいかなる政府、

 政権を認めてはならない

・日本の支那大陸における海外租界と関連権益全ての放棄(事実上の意訳)


日本の軍隊を支那から引き揚げれば、治安は維持できませんから、


日本人居留民は日本へ引き揚げることになります。


租界も認められなければ日本に引き揚げなければなりません。


満州国も認めてはならいということであれば、


満州に住んでいる日本人も日本へ引き揚げなければなりません。


日本人を日本列島に押し込めて、貿易を遮断して衰えさせるということでしょう。
 

この「ハル・ノート」はアメリカのハル国務長官より提出されていますが、


ハル国務長官自身が作成したのはこれよりもっと緩やかなもので、


アメリカは戦争準備の時間稼ぎをするつもりでした。


しかし、イギリスや中華民国(重慶政府)の反対で潰されました。


イギリスと中華民国はアメリカに早く参戦して欲しかったので


もっと強硬に出て欲しかったわけです。


そしてハリー・ホワイトという財務省の人が書いたものが提出


されることになったのです。


このハリー・ホワイトという人はコミンテルンという共産組織のスパイで、


ソ連のスターリンから「何がなんでも日本を戦争に引き入れよ」と


指令を受けていました。


ですからハリー・ホワイトは日本人嫌いのルーズベルト大統領の意に


沿うようなものを作成したと思われます。


このハリー・ホワイトの「ハル・ノート」を読んだルーズベルトは


「黄色い猿を島に閉じ込めてやれ」と思ったことでしょう。


そしてこれでやれ、とハル国務長官に命じ、


ハル長官はそれを駐米大使に手渡しました。


黄色い猿(日本人)が白人と対等に渡り合い、


アジアのリーダになることは許せないという偏見と嫉妬、


悪意をルーズベルト大統領もっていました。


イギリスのチャーチル首相も同じで「日本を農業国に逆戻りさせる」


と述べています。


日米戦争にはこうした人種差別が根底にあったのです。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへこの記事に共感された方、ご協力お願いします。


はくばく 黄金の大地 まるごと有機 シリーズ 3種類12袋セット (食塩不使用 乾麺 うどん .../はくばく

¥ 3,888 通常配送無料
Amazon.co.jp

【メール便送料無料】【日本テレビ「スッキリ!!」で放送】ごはんの友「うめぇ生姜」135gエコパ...

¥1,000
楽天