1980年(0歳) 福井の田舎で長男として生まれる。じじばばっ子で、甘やかされて育ち、非常に内気で、よく周りの子にからかわれていた。
1992年(12歳)小学校 代表あいさつで頭が真っ白で、
パニック。 以降、人前で話すことがトラウマとなった。
1995年(15歳)中学校 卓球の県大会、優勝。
1998年(18歳)高校 柔道日本一を目指し、必死で稽古。
1999年(19歳)怪我で、選手をあきらめ、治療家の道へ。京都の明治鍼灸大学へ(現、明治国際医療大学)←その当時、全国で唯一の鍼灸大学だった。
2000年(20歳)冬の京都野宿生活、四国88ヶ所巡り、九州一周、全国自転車の旅、ヨーロッパ放浪(イギリス、フランス、イタリア、バチカン、スイス、ドイツ、スペイン、オーストリア、ポルトガル、ベルギーなど)。
2001年(21歳)京都の温泉マッサージで、必死の修行。何度も何度も泣きながら、毎日深夜まで特訓。
2002年(22歳)尼崎で、鍼灸の師匠に弟子入り。約3万人の治療をする。
2008年(28歳)豊中で開業(4月8日)。
2010年(30歳)花と緑に魅了される。(地域の社会貢献も兼ねて、院内外のお花を毎日手入れしています。地域の方に、ほっとくつろいでいただき、和んでいただければと思い、趣味も兼ねて、楽しく「花いっぱいプロジェクト」に取り組んでいます。体のことよりもお花のことを質問してくる地域の方もおられるくらいです(笑)
2014年(34歳)結婚
将来・・・世界一の治療家になり、花いっぱいの公園と、心が豊かになる本を集めた図書館を作る予定。
ぽん鍼灸院を開業して、数年・・・。毎日あたふたしている中、何が書けるのか不安だったが、今までの人生の歴史について、正直に書こうと思う。
まず自分がなぜ東洋医学の世界に足を踏み入れ、今こんなにも夢中になっているのかを考えてみたい。「自分はなぜこの世に生まれてきたのか?」「何をするために生まれてきたのか?」そんな漠然とした思いがいつの日からか頭にあった。たぶん自分が、いろんなところを旅するようになってからだと思う。時間とお金に余裕があれば出かけていき、日本全国、世界各国、数百箇所の寺院、城、美術館などを訪ね歩いた。
土地土地の歴史に触れ、空気を直接肌で感じ、感動を味わうことが最高の喜びだった。食べるお金を持ち合わせていない自分に、腹いっぱいの家庭料理をご馳走してくれた人たち、野宿続きの疲れきった自分を、暖かく家に迎えてくれた夫婦。仕事を休んで島中を案内してくれた親子。自分のことを忘れて、他人に尽くす彼らは、とても輝いていた。数え切れない親切と笑顔を、世界中の人たちからいただいた。そんな中で、人々に感謝し、涙の出る思いで別れがやってくるが、彼らからいただくばかりで、自分が彼らに与えたものは何一つない。彼らのために何か役に立てればと思うようになった。
たった一人の限られた小さな力で何ができるのだろう?そんなことを考えている時、私の頭の中には、最小の力で最大のエネルギーを与えることができる東洋医学が浮かんだ。病気を患っている人々にエネルギーを与え、世界中に恩返しをするんだ!!この瞬間こそ、私と東洋医学との出会いだ。
だが、すぐにのめり込んだ訳ではなく、ある経絡治療家との出会いがあった。幸いにも、念願叶って、その先生の元で、弟子として修行させていただいた(6年間)
学生生活とは一変して、臨床での危機感や責任感は比較にならない。暇さえあれば、自分から教えを請う、書籍を片手に勉強勉強。
このような一日を送っていると、完全な休みなんて、月に何日もない。しかし、肝虚体質なのであろうか、やりだすと止まらない。でも、がんばっている自分がとても好きだ(笑)
今の自分には、その師匠が目標とする人であり、人生の師でもある。数々の神業を目の当たりにした。言うまでもなく、鍼灸界の隠れ名人だと思っている。私は、それに向かってスタートダッシュを今も続けている。
あなたの心と体に潤いを~
ぽん鍼灸院



池田市、箕面市からも好アクセス!!